ノート:妹尾河童

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『少年H』に関する記述は妹尾氏に対して批判的過ぎませんか?124.98.133.203 2008年10月25日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

時間が経っていますが、批判的な記述は除去し、関連項目として批判的な著作を書いた山中恒氏を追加しました。山中氏の項目で批判内容は記されていますので、本項目としてはこれで問題ないものと考えます。--Unamu 2010年8月20日 (金) 13:01 (UTC)[返信]

不要な為削除が適当と考えます。以上署名のない発言は利用者:219.66.168.208会話 / 投稿記録さん 2010-09-04 06:16 (UTC)によるものです。Unamuによる追記

Wikipedia:存命人物の伝記を熟読していただきたいのですが、ここでは「出典なき批判は除去」とあります。しかし、山中氏は根拠を挙げて}}『少年H』に対する批判をおこない、信頼できる出版社から書籍として刊行したという実績があります。2010年6月5日の版[1]もこの見地からは問題がないことになります。ただ私はこの内容はむしろ『少年H』の項目、ないしは山中氏の項目にて記述されるべきことと考えて、「関連項目」での記載にとどめることにしたのです。
それでは、「関連項目」としてはどうかという点ですがWikipedia:関連項目には「関連項目とは、本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目を紹介するウィキペディア日本語版への内部リンク集です。」とあります。しかるに、山中氏は戦争中の青少年のおかれた環境や教育について多くの著書があり、その方面の専門家として挙げるには十分な存在です。加えて、『少年H』に対して公式にその内容への批判を多くの著名人や専門家がおこなっているのであれば特筆すべきものではありませんが、実際にはこの山中氏の著作以外には仄聞にして存じ上げません。『少年H』自体が話題を呼んだベストセラーであることに鑑みると、それに対して実証的な見地から批判をおこなった(それが「文学作品」に対する批判として妥当なものかどうかは別にして)ことは十分特筆に値し、関連項目として挙げるべきものと考えます。
ついでながら、貴殿と近いIPアドレス(219.66.168.127)の方(岐阜県のODNアクセスのようですね)が、8月20日の版[2]で、『少年H』に対して山中氏が批判的な反応をおこなったという記述を完全に除去したあと、山中恒氏の項目において、まさしく「出典なき批判」としかいえない書き込みをなさっておいでです[3]。これがもし貴殿によるものであるとしますと、貴殿の行動は「自分は『少年H』を支持し、それに対する山中恒氏の批判は受け容れがたい」という個人的見解を反映させたものとみなさざるを得ません。そのような書き込みはWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点というWikipediaの方針に違背しています。そうした記述はご自身のウェブサイトなりブログなりでなさってください。--Unamu 2010年9月4日 (土) 14:20 (UTC)[返信]
意趣返しのようなことはおやめなさい。「信頼できる情報源」についてきちんとWikipedia:検証可能性をお読みになりましたか?--Unamu 2010年9月5日 (日) 22:42 (UTC)[返信]


「河童」の由来について[編集]

本項目では、「周囲からおまえは人間ではなく河童だと言われたから」となっていますが、藤原義江の項目では藤原が「肇」という名前を忘れて「河童」と適当に記したのが起源と記されています。藤原の項目では妹尾の著作での記述(ただし具体的な出典元の記述はない)としており、いずれが正しいのか、それとも本人の書いたものによって違う記述をしているのか、わかりません。どなたか、そのあたりを出典を挙げて明確にしていただけないでしょうか。--Unamu 2010年8月20日 (金) 13:01 (UTC)[返信]

要出典範囲[要出典]好きなのか出典元も記述しましたが、わざわざ追加していますね。 --219.66.252.1 2010年9月5日 (日) 06:26 (UTC)[返信]

書籍名を記した「改名の経緯」という箇所が、あだ名の由来にもかかっているのかどうか、本文ではわかりませんでした。もしそうでしたら、そのように記述を改めて下さい。また、出典元については具体的なページ数まで記述することが推奨されています。あと、藤原義江が「河童」と書いたのは、先に誰かが「河童」と言っていたのを覚えていたからなのでしょうか?もしそうなら藤原の方の記述を修正する必要がありますね。--Unamu 2010年9月5日 (日) 22:42 (UTC)[返信]