ノート:女性差別/過去ログ1

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以下の文章の削除を検討しています。理由は、あとに続く記載すなわち江原由美子及び岩永恵子弁護士の主張を紹介した記載から、この文章が男性と女性との間の非対称性を解消しようとする行為自体が女性差別である旨の主張を紹介したものと解され、この主張は男女平等の原則に反しており、この主張が中立的な観点で行われたかの如く紹介することは客観性に欠けると思われるためです。
このような問題に対して、制度上は対等であっても各人各様の価値観や行動規範などの私的・内的な領域に於ける非対称性を女性差別として問題にする論が近年盛んになっている。

また、以下の文章の削除を検討しています。理由は、この文章が女性に対し男性と同じ能力を求める行為自体が女性差別であるかの如き主張であると思われ、男女平等の原則に反しており、この主張が中立的な観点で行われたかの如く紹介することは客観性に欠けると思われるためです。
たとえば江原由美子等は、男性と同様に仕事の成果を実力で判断されるようになったことで、実力を高めるために努力しなければ良い評価が得られないという心理的抑圧が女性に働くことは女性差別であると主張している。

また、以下の文章の削除を検討しています。理由は、この文章が女性に対し男性と同様に残業や休日労働を求める行為自体が女性差別であるかの如き主張であると思われ、男女平等の原則に反しており、この主張が中立的な観点で行われたかの如く紹介することは客観性に欠けると思われるためです。また、この文章を記載した主旨が、男女ともに過重労働を減らそうという主張を紹介するためなのであれば、時間外労働過労死等の項目に記載すべきであり、本項目に記載されるべきではありません。
また、岩永恵子弁護士は「女性が男性並みに残業して、休日労働して、有給も消化しないで働かないと、男女の差別が無くならないというのはナンセンス」と主張している。
こういった方向性は「男性が男性だからといって無理をすることも解消していくべき」という考え方へと発展して来ている。2005年4月10日 (日) 22:20 (UTC)

様々な差異が存在していること、もっと端的に言えば不利な点が存在するのが分かっているのに、全く同じ条件を要求するのは「平等」とは言えない、と考えることも可能です。また、『男性だから』という理由で無理なことをしているのではないか、というのはジェンダーの問題になるはずですので、女性差別について考える上で関連しています。というか、差異を無視した同一条件は「平等」なのか、という問題に直結しています。いずれも削除すべきではないと考えます。 -- NiKe 2005年4月11日 (月) 01:56 (UTC)
全く同じ条件を要求するのは「平等」とは言えない、と考えることも可能とのことですが、労働基準法では妊産・出産・育児について既に非対称性を認めており、この定めの違反に対しては全て懲役を含む厳しい罰則規定があります。生理日の就業についても罰金の規定があり、さらに女性は坑内労働からも事実上免除されています。この様な現状に於いて江原由美子・岩永恵子弁護士が当該文章のとおりの主張を行なっているとすれば、それは妊産・出産・育児・生理日以外の差異に基き、女性に対し男性と同じ能力を求める行為・女性に対し男性と同様に残業や休日労働を求める行為自体が女性差別であるかの如き主張であると解されますが、具体的な差異についての記載がありません。各人各様の価値観や行動規範などの私的・内的な領域に於ける非対称との記載では如何様にでも解釈され、このような文章を載せ続けることは百科事典であるウィキペディアには相応しくありません。
また、『男性だから』という理由で無理なことをしているのではないか、というのはジェンダーの問題になるはず、とのことですが、ならばこれはジェンダー男性差別の項目に記載されるべきであり、本項目に記載されるべきではありません。2005年4月11日 (月) 09:54 (UTC)
編集結果が反映されていないようなので、上記文章を再投稿します。2005年4月11日 (月) 13:14 (UTC)
具体的な記述が不足していて分かりにくいとしても、実際にそのような主張や思潮が存在すること自体を記事から削除するのは賛成できません。それがもし誤った主張だとしても。不十分で誤解を招くから加筆する、あるいは余分な印象を与えないよう記述を縮小する、という程度なら文句はありませんが。
また、他の項目で扱うべき問題であっても、発端が女性差別解消にあるのなら、簡単にここで触れるのは構わないでしょう。そこから関連項目へつなげばよいことだと思います(少なくともWikipediaから抹消するのでは不味い)。 -- NiKe 2005年4月12日 (火) 02:11 (UTC)
不十分で誤解を招くから加筆する、あるいは余分な印象を与えないよう記述を縮小する、という程度なら文句はありませんが。とのことですが、当該文章を投稿した貴殿自身が加筆なさっておらず、また本ノートでも各人各様の価値観や行動規範などの私的・内的な領域に於ける非対称について未だ具体的設明をなさっておられないことから、失礼ながら貴殿自身、投稿した文章について十分に理解されていないように見受けられます。Wikipediaは百科辞典ですから、投稿者自身が理解していない文章を放置することは好ましくない筈です。
それがもし誤った主張だとしても。とのことですが、でしたら誤った主張として紹介されたら如何でしょうか、その際には誤った主張が掲載され続ける価値があるか否か再検討させて頂きます。(尚、女性専用車両の項目から阪急6300系電車の項目を即座に削除なさった貴殿の行動と、もし誤った主張だとしても削除すべきでないという本ノートに於ける貴殿の記述に対し、矛盾を感じていることを記載させて頂きます。)
また、こういった方向性は「男性が男性だからといって無理をすることも解消していくべき」という考え方へと発展して来ている。という文章は、私には理解出来ません。女性が従来の男性と同じだけ働くことを否定し、男性が仕事量を削減したなら、誰がこの国を支えるのでしょうか。団塊の世代も定年を迎え、労働力不足は益々深刻になっています。年金問題も含め、岩永恵子弁護士はこの矛盾を解決する具体的提案を行なっているのでしょうか。でなければ何ら考え方が発展しているとは言えず、根拠無き空論でしかありません。根拠無き空論に掲載の価値があるとは私には思えません。
総じて言いますと、さして重要ではなく具体的ではない記述が女性差別という世間の大きな関心事の項目に於いて大きな比重を占めていることに不自然さを感じます。
そこで提案ですが、本記述を他の項目に移動されては如何でしょうか。江原由美子については既に項目があるようですし、岩永恵子弁護士については新たに項目を作成され、そこで両氏について関心のある方同士で記述を充実させれば記事の発展も期待できます。貴殿は少なくともWikipediaから抹消するのでは不味いとおっしゃっており、何か両氏に強い思い入れがあるように見受けられます。独立した項目ならば削除の心配は少ない筈です。中立性に些か疑問はありますが、それは熱意と解釈しましょう。少なくとも今のまま本項目に載せ続けることは困難と思われます。
何れにしろ、私が削除するより貴殿自身の手で移動される方が良いかと思います。御一考下さい。219.164.12.218 2005年4月12日 (火) 15:54 (UTC)
219.164.12.218だった者です、本文を編集しました。
異論あるとは思いますが、バランスを考えるとこれ以上の譲歩は困難と思われます。
今は本文の記事が少ないですが、やがて記事が充実してくると、当該文章の掲載の価値について再び問われることになると思います。それまでに当該主張について更に研究されては如何かと思います。
220.220.227.3 2005年4月14日 (木) 18:18 (UTC)