ノート:女性参政権

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市川房枝は平塚の青鞜社の運動には直接関わってはいない。平塚と市川が婦人運動で接点を持つのは青鞜社解散後である。市川は、1918年(大正7)名古屋新聞の婦人記者を辞めて上京した後、英語を習いに通っていた山田嘉吉(山田わかの夫)より平塚を紹介される。その後、「婦人の政治的、社会的な団体運動」の必要性を感じていた平塚が市川に声をかける。これが1919年に発足する「新婦人協会」。222.148.41.142 20050629

戦前に婦人参政権法案が衆議院で通過して貴族院で廃案になったことが一回あった筈ですが…。

写真[編集]

Jap. (Japan) - women vote LCCN2014714278

この写真はいつの、どこの選挙ですか。--ペーター会話2020年4月20日 (月) 02:24 (UTC)[返信]

コメント 写真をクリックで情報[1]、更に出典[2]が判ります。--Rabit gti会話2020年4月20日 (月) 09:44 (UTC)[返信]
どうもありがとうございました。ファイルの情報によりますと、1920年と1925年の間に撮った写真です。その時の日本には女の人が選挙に投票できましたか。--ペーター会話2020年4月21日 (火) 09:47 (UTC)[返信]
コメント すみませんが、ノートページは主ページの内容の改善についての意見交換の場です。目的外利用は控えてください。--Rabit gti会話2020年4月21日 (火) 11:21 (UTC)[返信]

ペーターさんと同じ疑問があります。不確かな写真であり、いったん使用をやめるべきでは? 

  • 撮影時期はいつか? 議会図書館資料として時期を「1920−1925年」としているが、これが正しければ有権者の条件と被写体がミスマッチではないか?
  • 1945年以降の撮影ではないのか?
  • 壁にある「区長」の掲示:区長(もしくは代理)が投票に立ち会うのか?
  • どの投票場にも男子学生(未成年)が入ったのか?

これらに違和感があります。可能性は公共の選挙ではない、あるいは何かの意図があり状況を設定して撮影したのかもしれませんが、調べきれませんでした。 --Omotecho会話2021年1月6日 (水) 13:41 (UTC)[返信]

婦選三権の典拠[編集]

「だれ2」テンプレートがついた箇所について、投稿者の意図と少し違うかもしれませんが、用語に疑問があります。

女性参政権#日本にある3つの要素の名称を「婦人三権」に修正した箇所の件です。もともとは「婦選三権」と記されていましたが典拠がわかりません。次の資料により、「婦人」三権に変えました。

  • 石田尾博夫「セクシュアルハラスメントの顕在化とジェンダー問題--現状分析と理論的アプローチ」『第一福祉大学紀要』第1号、福岡医療福祉大学、2004年、171-182頁、ISSN 1349-0613NAID 110006459295 
  • 大橋幸泰. “日本史概説I」 7.マイノリティーとマジョリティー(2)―ジェンダー”. 2018年度早稲田大学教育学部講義. p. 1. 2021年1月6日閲覧。
  • 廣森直子、朴木佳緒留『神戸大学発達科学部研究紀要』第7巻第2号、神戸大学発達科学部、2000年3月、77-86頁、doi:10.24546/81000366ISSN 0919-7419 

--Omotecho会話)/ 書誌追加--Omotecho会話2021年1月6日 (水) 13:30 (UTC)/ 2021年1月6日 (水) 13:08 (UTC)[返信]