ノート:奉天会戦

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大規模編集(2007/11)[編集]

以下の目的により数日中の大規模な編集を予告いたします。

1.文章表現の簡略化
2.感傷的表現の緩和
3.章構成の是正

各先人による編集を極力生かしたいと思いますが場合によってはご希望に添えないかもしれません。
そもそもこの項目自体私(kibayashit)が作成いたしましたが...まぁその辺はさておき。

問題あればまずノートで議論お願いいたします。
219.195.108.107 2007年11月2日 (金) 16:38 (UTC)[返信]


樺太占領について[編集]

本文では第13~16師団を編成して、樺太を占領したように書かれています。 しかし実際は新規師団の創設は出来なかったように記憶してますが、いかがなものでしょうか?本文を書かれた方に 疑問を呈したいのですが。このことは岩波文庫の「日露戦争」に詳しいと記憶してます。


第13師団の編成は明治38年4月1日。そして樺太攻略作戦に参加し先遣の歩兵第25旅団が7月7日に上陸し樺太南部を制圧。主力も7月24日に樺太北部に上陸しています。ロシア軍は8月1日に降伏しています。

第14師団は明治38年7月6日に編成され8月には満州に渡って乃木第三軍に加わりますが戦闘を経験せずに戦後遼東半島の警備に従事

第15師団の編成は明治38年4月1日。終戦後に大陸に渡り朝鮮半島の警護に従事

第16師団は明治38年7月18日に編成され8月に満州にわたり野津第四軍に加わりますが戦闘を経験せずに終戦

(出典 新人物往来社 「別館歴史読本・太平洋戦争師団戦史」及び 学研 「歴史群像シリーズ24日露戦争」)

岩波文庫の「日露戦争」を読んだことがないのでなんとも言えませんが今迄読んできた日露戦争関連の書籍で 「新規師団の創設に日本は失敗した」 なんて書いてる書物は見たことありません。

上記のように4個師団が創設され、その内の1つは実戦も経験しています--220.43.176.31 2011年8月6日 (土) 13:40 (UTC)[返信]

兵力と損害について[編集]

本文とBattleboxとで両軍の参加兵力と損害の数字がバラバラなのですが、(諸説あるならば、そしてできればそれぞれに出典をつけて)統一するなりした方がいいのでは? 無責任かもしれませんが、自分は門外漢なのでそう突っ込んだことは言えませんが。--110.5.28.164 2010年6月8日 (火) 03:12 (UTC)[返信]