ノート:大草流庖丁道

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六条の蔵人 藤原藤長--Mikkabie会話2014年11月19日 (水) 07:08 (UTC)[返信]

大草では7は忌数 6は世界を表す。

明治以降 欧化政策により黒が喪の色とされた--Mikkabie会話2016年12月14日 (水) 03:24 (UTC)[返信]


「庖丁(ハウチヤウ)」

 室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「波部」に、

疱丁(ハウチヤウ) 。〔元亀本28①〕 庖丁(ハウチヤウ) 。〔静嘉堂本27①〕 庖丁(ハウチヤウ) 。〔天正十七年本上14ウ③〕 庖丁(ハウチヤウ) 。〔西來寺本48④〕 とある。標記語「庖丁(ハウチヤウ)」のみで、語注記は未收載にある。『下學集』には、

包丁(ハウチヤウ)。〔態藝門85④〕 とあって、標記語「庖丁」の「庖」の字を「包」に作り、これは『庭訓徃來』五月状に「包丁」とあって等しい。やはり語注記は未收載となっている。語注記についてだが、『庭訓徃來註』に、

料理包丁 莊子ニ曰、包丁能解∨牛。又包丁為∥文惠君|解∨牛。手ノ所∨觸。肩ノ所倚。足ノ所∨履。膝ノ所∨蔑(サス)。生石(ケキ)然トシテ嚮然タリ。奏∨刀ヲ麟(クワク)然タリ。疏ニ云包丁トハ謂∥掌テ∨厨ヲ丁(アテラル)役人ヲ|。今ノ供膳也。言ハ丁ハ名也。文君ハ梁惠王也。此時用∥鑾刀ヲ|。鑾ハ鈴也。鈴ヲ付タル刀也。拍子ニ會テ好也。包丁ハ解∨牛三年ニシテ其数々千疋。是ハ日ニ一疋當歟。良包ハ歳コトニ更∨刀ヲ割(サケ) ハナリ。疏ニ曰良ハ善也。包ハ猶未∨中(ア-)∨理ニ。經∥一歳|。更∥-易其刀ヲ|。小学人也。包丁ハ大草入唐シテ傳也。莊子ニ曰、包丁ト云字ハ解ノ字ヲ用也。言ハ包丁解∨牛以也。解ノ字ヲ能ク見ニ角刀牛ノ心也。又易∥四季|也。包丁ヲ九寸五分ニ作ル亊ハ九重ノ煩悩為∨切也。箸ヲ一尺二寸ニスル亊ハ十二因縁也。箸ト刀ハ金壱兩部是也。〔謙堂文庫藏31左⑦〕 とあって、冠頭に『莊子』養生主篇を引用した「包丁」なる人物とその因縁譚を記述する。次に「包丁」のサイズを九寸五部に作ることと「箸」のサイズを一尺二寸に作ることの由縁についてで記述を結んでいる。このようにとりわけ長い注記を有するのだが、当代の古辞書は、実にあっさりしている。ただ、『節用集』類である広本『節用集』に、

庖丁(ハウチヤウ/クリヤ.ヒノト・ウツ) 魚ノ刀也。本ノ名ハ屠児。名見∥于莊子ニ|。〔器財門60③〕 とあって、本邦における「庖丁」は、牛をさばくより、魚肉をさばくのに用いることからして、冠頭に「魚の刀なり」とし、本統の名前を「屠児」といい、その典拠を同じく『莊子』に見ゆとしている。これを少し簡略化記載しているのが、印度本系統の『節用集』類で、弘治二年本『節用集』には、

庖丁(ハウチヤウ) 刀也。本名屠刀。〔財宝20⑧〕 とし、永祿二年本『節用集』、尭空本『節用集』、両足院本『節用集』は、

庖丁(ハウチヤウ) 屠児名也。見于莊子。〔永、財宝19②〕〔尭、財宝17⑤〕表記「ハウチウ」〔両、財宝21⑥〕 とある。古辞書では、古くは源順『和名類聚抄』十にこの語の注記をする。

[ことばの実際]

庖丁為∥文惠君|解∨牛。〔『莊子』養生主篇〕

家成卿、右兵衛督にて侍りけるに、庖丁すべきよし沙汰ありけれども、辞申けるを、ある殿上人、鯉を彼卿のまへにをきてけり。〔『古今著聞集』巻第十八・飲食二八「保延六年十月白河仙洞に行幸の時右兵衛督家成鯉を調理の事」〕《解釈》料理。

庖丁(テイ)ト云者カ牛ヲトイテハウチヤウシタソ。此ニヨツテ魚鳥ヲレウリスル者ヲ庖丁人(ハウチヤウニン)ト云ソ。庖ハダイ所ソ。クイモノシタツル所ソ。食ヲヲク所ヲ云ソ。丁ハヲトコソ。ソコニイテキツヽタヽイツスル者ナリ。投トル∨刃ヲ皆虚ハ牛ヲトク時ニハウチヤウノ刀ヲ骨ト肉トノアイタノスキマエヤツテトクソ。臣解∨―牛トイテハウチヤウスルコトハヤ三年ナリ。ソレヨリ後、牛ヲ目ニミルニ目ノ中ニ金牛ヲミヌソ。スク十五体ノソロウタ牛ハナイソ。ドツコモカシラカ尾マテキリハナシヲロイタホトニ、スクナ牛ヲミヌソ。十九年ノアイタハウチヤウシタソ。《『玉塵抄』16第39四二〇⑥》 --Mikkabie会話2018年4月15日 (日) 13:46 (UTC)[返信]

■とうとうたらり…は何語か?  能でもっとも神聖な曲とされる翁。特にその詞章は難解で、今日にいたるも完全に読解されておらず、学者により様々な暗号解析が試みられている”謎の言語”である。 「申楽の舞とは、いづれと取立てて申すべきならば、この道の根本なるが故に、翁の舞と申すべきか。又謡の根本を申さば、翁の神楽歌と申すべきか」(申楽談儀)。 翁が世阿弥の時代、すでに申楽の神聖曲として扱われていたことがわかる。 また、同書には、 「都良香(とろうきょう)の立合い、昔よりの立合い也。翁の言葉の様にて伝わり来たるものなれば、たやすく書き改むるべきにあらず」 と、翁の詞章の難解を示唆する指摘があり、当時すでにその意味が解読できなかったのではないか。  「とうとうたらり」の語解については、昔からさまざまな説が唱えられてきた。古くは僧宣竹が翰林胡蘆集で、陀羅尼から取られた歌詞ではないかと推測し、さまざまな神聖説が出た。江戸期になると荻生徂徠や賀茂真淵等がそれらを排斥し、笛や鼓の擬声であるとする説を唱え、一般化。後に謡の合いの手であるとする説も出た。--Mikkabie会話2018年4月15日 (日) 21:01 (UTC)[返信]