ノート:大井篤

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「人物像」部分中段の親しく交友していた人物、評価していた人物、評価していなかった人物について、これまで大井氏の文献を読ませていただいた者とした感性としては納得できるんですが、出典明記の観点からやや疑問を持ちますので要出典を貼らせて頂きました。また、「辛辣ともいうべき容赦なき筆誅を加えていた」というのはやや主観的なきらいがありますので、「辛辣な評価である」程度にとどめた方がよいのではないでしょうか。-- Machine gun 2008年7月21日 (月) 23:25 (UTC)[返信]

私は栗田関連で同書のレイテ周りをチェックしたことがありますが(勿論通しで読んだこともある)、栗田健男の批判なんて無いですね。この人は捷号作戦自体が無意味というスタンスですから。まあ志摩艦隊や西村艦隊も作戦直前に護衛艦艇をどんどん引き抜かれて恨み節を言ってた筈ですがね。あとその直前の台湾沖航空戦では大井氏は「自分は疑っていた派」であったらしく、他の同業者を色々批判しては居ます。いずれにせよ有名書だと思ってただ飾っておくだけなら、この記述消しても良いんじゃないでしょうか。岩見浩造 2010年6月12日 (土) 03:13 (UTC)[返信]