ノート:壇ノ浦の戦い

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壇ノ浦の戦い

源氏→源 義経軍    平氏→平 清盛

そして、源氏が平氏をやぶった。みごとに源氏が壇ノ浦の戦いに勝ったのです。

以上の署名の無いコメントは、211.124.208.142会話履歴)氏によるものです。

加筆の趣旨[編集]

大幅に加筆しました。また戦況図を自作して入れておきました。この手の画像は最近になって自分の手掛けた合戦関係の記事につくって入れるようにしています。当面、誰も作りそうもなし、ないよりはマシだろうと下手を承知で作ってますのでご容赦を。将来、5年後になるか10年後になるか知りませんが、どなたか絵心がある方がもっと見栄えのいい画像を作成されましたら遠慮なく差し替えてくださって結構です。

合戦の経過は『平家物語』『源平盛衰記』などの軍記物語および大正時代に黒板勝美東京帝国大学教授が提唱して広く信じられている潮流説に基づいています。いわゆる通説どおりです。わたしは通説主義者ですので。この項目の執筆に当たって、わたし個人の見解は一切記述しないように心がけました。軍記物語は信用できないと思われる方もおられるでしょうが、『平家物語』『源平盛衰記』を排すると、この合戦の経過は『吾妻鏡』に書かれた簡単な記述以外に何も書けなくなります。それはあまりにも偏狭な考えと思います。ウィキペディアはしょせんはどこまで行っても一般人向けの雑学読み物であり、わたしのような素人が編集できる時点で学術向けに永遠になれません。そうであるならば、一般向けの書籍に書いてあるような『平家物語』『源平盛衰記』に基づく合戦の経過はあるべきと考えるのです。また、多くの学者や在野の歴史家たちがこれに基づいて壇ノ浦の戦いについて一般向け書籍で書いている事実は事実です。一応、『吾妻鏡』の記述内容を節の冒頭に書いてあるのでそれでご容赦下さい。

定説化している大正時代の黒板氏の潮流説については、わたし自身が潮流説の節を設けて幾つか本やサイトを読んだ結果、かなり怪しいのではないかと思っています。しかしながら、合戦の経過の節と画像では潮流説に基づいて書いています。これはこの項目を書くに当たって読んだ本が、古典以外は、全て潮流説だからです。ここまで定説化している以上は、これを排して合戦の経過を組み立てると、それはわたしの独自の研究と化してしまいます。わたしはそれをやってはならないと考えます。将来、本文から潮流説を排除される場合は、世の書籍類で十分に潮流説が完全に否定され、潮流についてほとんど言及されなくなった時がよろしいかと思います(10年後か20年後か知りませんが)。それまでは、新説や異説は、「近年の研究」の節に書かれるとよろしいかと。

ノートなので独自の考察をさせていただきます。潮流説を排して、源氏の勝因を水手・梶取を射た奇策とする論もあるようですが、わたしはこれも怪しいと思います。この合戦は「平氏優勢→逆転→源氏優勢」の流れになっています。これはいかにも物語的にしっくり来ます。『平家物語』では戦況の転機は水手・梶取を射た義経の奇策でした。物語を構成する上で戦況を転じる読者に分りやすい奇策が必要だったとも考えられるのです。つまり、性格的には一ノ谷の戦いの逆落としや倶利伽羅峠の戦いの火牛戦法と同じものではないでしょうか。どちらも読者に分りやすいですね。逆落としや火牛戦法はほぼ否定されています。ならば、水手・梶取を射た奇策も同じことでは。本当に水手・梶取を射ることは当時の海戦の作法に反していたのでしょうか?それすら疑っています。詰まるところ、壇ノ浦の戦いは『吾妻鏡』に簡単に書かれていること以外は何も分らないのではないでしょうか?合戦の経過を長々と書いた本人がそんな気持ちになっています。

以上、今回の大幅加筆の趣旨でした。--味っ子 2006年12月2日 (土) 04:13 (UTC)[返信]

「天叢雲剣現存説」について[編集]

「戦後」項で「天叢雲剣が海に没した」という文のあとに「別説あり、後述」とありましたが、「後述」にあたる「天叢雲剣現存説」が「「天叢雲剣水没説」に改題されており、「別説」にあたる内容も無くなっていたため、さしあたり「後述」を削除いたしました。 しかしながら、当該箇所を編集した2007年7月8日 (日) 17:38の編集を見るに、「天叢雲剣現存説」を典拠不明として削除しているものの、その前段階として「要出典」タグを張った形跡もなく、典拠が明らかであるのかないのか、議論した様子が見られません(私の見落としであればすみません)。 件の出来事について私自身は全くくわしくないので内容についての意見は差し控えますが、「天叢雲剣現存説」については根拠に欠けるという結論で問題ないのでしょうか。識者の意見を伺えると幸いです。 なお、さしあたって残してはあるものの、「天叢雲剣現存説」を削除するのだとすれば「別説あり」という記述も本来的には削除する必要があると考えます。--203.180.232.97 2008年9月1日 (月) 07:22 (UTC)[返信]

金指正三博士の没年とNHK歴史への招待の放映時期[編集]

「海事史の金指正三博士は1990年に潮流のコンピュータ解析を行い」という記述のうち、1990年という年代は確認の上、修正が必要です。なぜならば、金指正三さんが亡くなったのは、1989年4月24日です(吉川弘文館『日本史研究者辞典』)。一方、日本放送出版協会から『NHK歴史への招待 第5巻 無敵義経軍団』が刊行されたのは、1990年5月20日です。同書のなかの著者紹介は、1985年に退職したはずの山陽女子短期大学の現職であるように記してあります。放送時期と刊行時期のずれがかなりありそう。--rshiba 2009年5月12日 (火) 05:39 (UTC)[返信]