ノート:堀川辰吉郎

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出自に関して > 「ただし大草管長とは」 


堀川自身が明治天皇の血を引くと主張していたか否かについてですが、中丸薫『太陽を追って』(文藝春秋社、1975年)のp.41にはこうあります。

一九五八年の末ごろだった。帝国ホテルの一室を母といっしょに訪れた私に、辰吉郎は静かに語ってくれた。
私は辰吉郎の実子であること、辰吉郎は明治天皇の血をうけていて、生涯、国家的な仕事に明け暮れていたこと、 
そして、この父母の間にただ一人生まれた私に大きな期待をかけていることなどを、心にしみわたるような声で
話してくれた。

これによると、堀川自身が落胤説を肯定していたようです。落胤説を自ら否定していたという記述は、このため削除いたしました。--ぬらりひょん 2007年7月29日 (日) 05:44 (UTC)[返信]

辰吉郎の読み方[編集]

正しくは「たつよしろう」であると頑強に主張する捨てアカ(利用者:呉越同舟会話 / 投稿記録 / 記録利用者:すいらん会話 / 投稿記録 / 記録)とIP(IP:61.193.190.3会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)が「宮内庁内々認定記述」([1])、「一次文献(勿論殆どが非売品)を100冊みてから判断して下さいね!」([2])と意味不明な発言をしていましたが、国立国会図書館のOPACでも「ホリカワ,タツキチロウ」と登録されていることが確認できました(中矢伸一『日本を動かした大霊脈』徳間書店、2002年、ISBN 4198616191の個人名件名)。娘の中丸薫が主宰する「太陽の会」のウェブサイトでもTatsukichiro Horikawaと明記されており([3])、「たつよしろう」説の典拠は全く不明です。「殆どが非売品」ということは中には非売品でない資料も含まれているのでしょうからどうぞ参考文献として具体的に列挙してくださることをお願いいたします。特に「専門家の常識」([4])を説くほどの御方でしたら出典や検証可能性の重要性を御存じないわけはありますまい。--序ノ口 2008年5月13日 (火) 19:40 (UTC)[返信]