ノート:基禮

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この人物については全く知らなかったので出典を確認しようと思ったのですが、少なくとも中央研究院の二十四史全文検索ではひっかからず、Googleでもどうもよく分かりません。もちろんそれだけで誤りや架空の存在だと決め付けるつもりはありませんが、記事作成者あるいは他の方が出典を明らかにしていただけない場合は、検証できない=架空の存在であるとみなし削除依頼等の手段を取らざるを得ません。どなたか、出典を教えてください。--てぃーえす 2008年5月6日 (火) 03:43 (UTC)[返信]

架空の存在の可能性が高いように思います。うさんくさすぎます。
  1. 「袁家に仕える家系」…そもそもこの表現が日本の主従と感覚がごっちゃになっているかと思われます。また、袁家というのはどこの袁家かわかりませんが、袁紹や袁術を出した汝南袁氏とすれば、代々袁氏に仕えた家系のくせに、出身は豫州汝南から遠く離れた司隷河内ではわけがわかりません。
  2. 軍の実数がやたら出てくる…『後漢書』『三国志』ともに軍勢の実数は主要な部分以外(ときには主要な部分すら)ほとんど出てこないにもかかわらず、この人物だけなぜやたら統率する兵の数が出てくるのでしょうか。
  3. なぜ基「禮」?…なぜにわかに正字を使うのでしょうか。また、諱の「礼」と字の「李候」に関連性が見当たらないのもちょっと変です。李「候」にもうさんくささがにじみ出ます。
  4. 軍師将軍…しっかり調べていないのでいけませんが、少なくとも『三国志』『晋書』を見る限りでは、三国・魏でそもそも軍師将軍になった人物はいません。そもそも軍師将軍自体も雑号将軍なのでいけませんが、三国・魏ではこの人物だけが軍師将軍に任命されたなんてありうるんでしょうか?
  5. そもそも出典は?…てぃーえすさんのご指摘通り、『三国志』『後漢書』にも出てきません。魏の将軍であったという事績から考えれば、この2書に出てきそうなものです。かといって『三国志演義大事典』にもひっかかってきません。
この記事はかなり気になります。ほかの方のご意見も頂戴してみたいです。Aboshi 2008年5月9日 (金) 13:57 (UTC)(きつい表現で書いてしまったので、改めています)[返信]

 士漆士陸の項目についてもどこからの出典なのか、検証議題に挙がっています。そちらも合わせて検証するべきですねー。219.106.123.191  2008年5月14日 (金) 14:01