ノート:国友一貫斎

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一貫斎の諱は能当(よしまさ)と何点か検索ではヒットしますが、出典等まで辿れていません。また、偉人とされる事になった望遠鏡売却の件りも、元々産業として他の工芸品とかへも力を入れていた御蔭なのか、当時正に天文学的だった望遠鏡の価格によるものか、両方なのか(恐らくこれが正しいかと)この辺は当時の資料がないとはっきりはしません。少なくとも飢饉の頃に黒点観測に使っていた望遠鏡は売却して観測を止め、後の村人から恩人とされている事は間違いないようです。一応メモ迄横松崎 2006年8月27日 (日) 17:01 (UTC)[返信]

「能当」は戦国時代に国友の鍛冶師が最初に制作した鉄砲を足利義晴に献上した際に授かった「銘」らしいです。それが刀鍛冶などの場合と同様代々受け継がれたようです。--Kamitani 2006年8月28日 (月) 12:19 (UTC)[返信]
銘であるとも書かれているのも見てはいたのですが途中で勘違いが混ざったようです。様子見していなければ危うく間違える所でした。ただただ感謝。更に調べると手近のwikiの国友の項に、重恭(しげよし?)が諱との説明があります。日本の歴史上の人物は可能な限りは諱で記すようではありますが、ここまで一貫斎が有名な所でもあり、私としては読みを調べてから附記に留めようかと。横松崎 2006年8月28日 (月) 12:32 (UTC)[返信]
附記:重恭の諱からしてもう少し調べる必要がありそうです。横松崎 2006年8月28日 (月) 14:37 (UTC)[返信]
残念ながら読みは追跡できませんでした。博物館も遠く、当時の書物も近くに無いので今後の課題にしときます。また、彼は世界でも当時としては類を見ない長期間の太陽黒点観測を行い、日本の天文学者の魁ともされていますので、その辺りも(天文学者、スタブ等関係のカテゴリー)附記する予定です。横松崎 2006年8月30日 (水) 10:26 (UTC)[返信]
ちなみに一貫斎の弟で次代に当たる十代目国友藤兵衛は「国友藤兵衛充俊(みつとし)」とあります。参考文献:彦根城博物館だより 26号--Kamitani 2006年8月29日 (火) 15:18 (UTC)[返信]