ノート:呂蒙

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「阿蒙」のニュアンスは「蒙ちゃん」のような感じですよね。「うまく教養は全くといってよいほど無く「阿蒙」と呼ばれていた。」はちょっと飛躍があります。記事として書く自信がないのでこっちに書きますが。--こいつぅ(会話) 2005年3月31日 (木) 04:00 (UTC)[返信]


創作作品における呂蒙 について[編集]

三国志演義における「祟り」等について言及するのは妥当かとは思いますが、横山光輝版や蒼天航路のそれまで書く必要はないのでは?極端に特徴的であったり、エポックメイキング的な存在で無い限りは、「呂蒙」の項目としては不要ではないでしょうか。作品ごとの違いを書くと際限が無いと思われます。人形劇三国志はそういった意味ではグレーゾーンかな?--Geso 2007年2月28日 (水) 04:51 (UTC)[返信]

創作に於いてどう扱われているかを事細かに記す必要はないと思います。もちろん『三国志演義』に於いては別ですが。その他の膨大な三国志創作の中で特に日本の人形劇三国志や横山・蒼天航路を取り上げる理由は無いと思われます。もし取り上げるならば三国志平話などが先であり、日本の作品を挙げるならば何より吉川三国志が最優先のはずです。らりた 2007年10月15日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
重複していることに気づきました。もちろんそんな各作品の比較などする必要は全くないと思いますらりた 2007年10月15日 (月) 12:36 (UTC)[返信]
両氏の言うように、主だったものとはいえ創作での内容を長々と記述していては際限がなくなるのではないでしょうか。--てぃーえす 2007年10月15日 (月) 13:00 (UTC)[返信]
たとえば戦国武将の項目だと、漫画、ドラマ、ゲーム等の記述も記載されています。三国志の人物においてもこの考えを援用してもいいのではないでしょうか。呂蒙に関しては近年用いられるケースも少なくありませんので、皆様とは異なる考えであっても認め合うべきではありませんでしょうか?124.102.84.47 2009年8月13日 (木) 01:55 (UTC)[返信]

(インデント戻します)まずはその戦国武将の項目・記述を提示していただけますか。言及のされ方で当然大きく判断基準は変わってきます。極端な話をしますが、例えば真田信繁における大阪の陣について「『戦国BASARA』ではこういうシーンがあって、『戦国無双』では『1』ではこういうシーンにされてたけど『2』ではマルチエンディングも発生する、一方NHK大河ドラマ『真田太平記』ではこうだけど、でもアニメ『戦国英雄伝説 新釈 眞田十勇士』ではこのシーン自体描かれていない~」といったような記述を想像してみてください。もっといえば、織田信長の本能寺での最期を作品ごとに羅列することを想像するだけで、その冗長さと意味性の薄さが容易に予期できます。つまりは、「作品自体の重要性・意義」「一般的認知度」といったものをよく考慮に入れる必要があります。

この差分もあわせてご覧いただきたいのですが、その前提に立った上で、私は先に挙げたように単に漫画的演出による描写の差異など殆ど重要ではないと考えています。ここで私からも質問なのですが、「『旋風は江を駆ける』の呂蒙はお坊ちゃまカットの美少年である」「『一騎当千』における呂蒙は綾波レイに似た容姿の眼帯メイド格闘家である」といった記述は本項目に必要だと思いますか?取捨選択はいずれにせよなされる必要があります。--Geso 2009年8月13日 (木) 03:58 (UTC)[返信]

前田利家を例に説明いたします。小説・ゲーム・漫画等の登場作品の羅列説明のほか、「義理の甥である前田利益(慶次郎)とはソリが合わなかったとされ、慶次郎出奔の際に水風呂に入れられたとの逸話が有名だが、この逸話は後年の創作である可能性が高い。隆慶一郎の小説『一夢庵風流記』、およびそれを原作とする原哲夫の漫画『花の慶次 ―雲のかなたに―』では、利家と慶次郎(慶次)の確執が面白可笑しく、時にはホロリとさせられる描写で表現されている。」のように、小説、漫画での描写をさりげなく説明してあります。Gesoさんが出された例は極端ですが、この項目の呂蒙の場合、呂蒙が主役、または大活躍する作品においては、軽くその作品での描写があっても差し支え無いと考えます。Gesoさんの質問に関しては、作品の羅列説明の後に( )での説明で差し支え無いと考えます。私の基本方針としてはWikipediaのルール内において、できるだけ多くの人の考えを柔軟に反映させていくべきと考えます。その点において、Gesoさんの考える「ルールから外れる書き込みは強制削除」という偏狭な考えとは一線を画すと思います。124.102.84.47 2009年8月14日 (金) 08:10 (UTC)[返信]
「呂蒙が主役、または大活躍する作品においては、軽くその作品での描写があっても差し支え無いと考えます」 私も賛成します。私の編集箇所でも代表的事例として妥当であろうとして人形劇三国志における極端な悪人化について触れ、残しています。というより、私の冒頭の主張および差分と、あなたのいう主張はむしろ近しいように思います。繰り返しますが、主役作品や大活躍した描写などは特記性からいっても記述してもいいと思います。あまりに意味のない記述は自ずとカットされていくでしょうし。あとは他の方の見解を待ちます。--Geso 2009年8月14日 (金) 10:58 (UTC)[返信]

本文中の故事成語について[編集]

「読書百遍、意おのずから現る」「韋篇三絶」と呂蒙との関係を示すものを寡聞にして知りません。前者は『三国志』魏書・王朗伝の裴注に引く『魏略』 の董遇の言、後者は『史記孔子世家を参照。 --219.126.201.148 2007年6月19日 (火) 08:07 (UTC)[返信]

該当部分を削除--219.126.201.29 2007年6月19日 (火) 11:56 (UTC)[返信]

略歴について[編集]

「冬12月14日に当陽県の南方にある漳郷で見事これを捕虜し」と、文中にはありますが、 この日付は、どういった資料に依って書かれたものなのでしょう? 呂蒙伝にも、関羽伝にも、日付の記述はありませんでしたが…。 --202.224.119.17 2007年7月20日(金) 23:16

孫権伝に「十二月に捕獲した」旨が記されているだけで、病死の日付も不明ですね。恐らく下の『演義』の10月14日捕獲・17日病死の話に(適当に)合わせたのでしょう。当該部分は削除しました。--219.126.200.80 2007年7月25日 (水) 12:32 (UTC)[返信]