ノート:吉兆/過去ログ2

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曖昧さ回避

「吉兆」に多数の利用用途があるので本ページを「曖昧さ回避のためのページ」にして、本項で記載されている「吉兆」を「吉兆(料亭)」にでも移した方がスッキリすると思うのですが、皆さんの意見はどんなもんでしょう?--61.115.214.166 2007年11月28日 (水) 05:38 (UTC)

(賛成票)基本的に61.115.214.166氏に意見に賛成です。--219.105.252.180 2008年3月2日 (日) 06:56 (UTC)
(コメント)すでに吉兆 (曖昧さ回避)がありますね。--miya 2008年5月27日 (火) 23:39 (UTC)
(平等な曖昧さ回避にすることには反対)国語辞典的には、「仏教などでの寺院落慶・入仏開眼法要などで起こるめでたい前兆現象」が主な用法ですが、百科事典としては、現状通り料亭の吉兆を代表的なトピックとして扱うのがふさわしいと考えます。--武嶋 2008年6月1日 (日) 02:45 (UTC)
(曖昧さ回避にすることに賛成)百科事典だからこそ、時事問題で一時的に話題になっている特定企業名よりも、「吉兆」という単語の本来の意味の扱いを優先すべきだと思います。--しまあじ 2008年6月2日 (月) 21:02 (UTC)
(コメント)しまあじさんのご指摘は尤もではあります。ただ、「吉兆」の単語の本来の意味を優先して記事名を変更した場合、その「吉兆」は「ウィクショナリーに記載するのが適当ではないか?」との意見が生じると思います。本筋と離れるテクニカルな話ですが、「料亭吉兆」=「吉兆」とする方が、その点の問題は回避できるかもしれません。--CALCULATOR 2008年6月14日 (土) 01:42 (UTC)
(現状維持希望)現在は、本文の最上部に吉兆 (曖昧さ回避)へのリンクが追記されているため、現状のままでよいと思っております。↑私が過去に「賛成」を記したのは、その当時にはそうなっていなかったためです。既存の曖昧さ回避のページにリンクさせるという方法は、「そういえばその手もあったっけ」と感心させられました。私としては、この議論も「解決済み」として、過去ログ化していただきたいと思っております。--しまあじ 2008年6月14日 (土) 18:24 (UTC)

船場吉兆に関する情報の扱い

脚注リンク

2008-06-12T03:16の版で戻された上の脚注リンクですが、これは「船場吉兆のみ」に関する外部リンクであり、すでに船場吉兆で掲示されているため、吉兆の項では必要が無いと思います。--miya 2008年6月12日 (木) 07:43 (UTC)

これを貼ったのは私でありますが、。CALCULATOR さんより「参考資料・文献に沿った編集を行ってください。」というご指摘をいただいたので、貼ったまでです。ソースが重要なことは言うまでもありませんが、同義語の置き換え等「言いまわし」にまでどの程度の制限が必要とされるのかは個人によって意見の分かれるところだと思います。ただ言いまわしにまでソースにこだわる方もおられるので、そのような「言いまわし」をしているソースがあるということで「言いまわし」のみのために貼りました。--Poh 2008年6月16日 (月) 06:27 (UTC)
具体的には「客の食べ残し」と「別の客に提供」を記述するために貼りました。--Poh 2008年6月16日 (月) 10:28 (UTC)
(賛成)私の意見表明が抜けてましたが、私も現時点での本文での記事内容においてこの脚注は必要ないと考えています。CALCULATOR さんのが語句に及ぶところにまでソースに沿った編集わされたのみならず、他の編集者に同じことを要望されたので、それに合わせるたらこうなったということです。記事内容自体が現在議論中ではありますが、このケースでこの脚注が必要なのか否かは、むしろCALCULATORさんにお尋ねしたいです。--Poh 2008年6月17日 (火) 12:59 (UTC)
(本文からの除去を実施)この点については、加筆なされた御本人も同意してくださったと判断し、本文から除去します。同様の問題が含まれている別の外部リンク1件とあわせ、計2件を除去します。(「脚注・出典」の中に不要と思われる記述が、もう1件あるのですが、その記述の除去は、今回は保留にしておきます)--しまあじ 2008年6月19日 (木) 18:46 (UTC)

「使いまわし」について

「食べ残し」という非常にネガティブな記述を船場吉兆ならともかく吉兆に残すのはグループ全体に対する業務妨害にもなりかねないと危惧します。一度「手付かず」の料理としたところ「ワサビ」を根拠に「食べ残し」に差し戻されましたが、それではすべてが「食べ残し」であるかのような印象を与えて正確とは言えません。従ってその中間的な表現である「食材の使いまわし」(2008-06-10T13:37 CALCULATORさんの版)とするよう提案します。--miya 2008年6月12日 (木) 07:43 (UTC)

(賛成)両方の点にて同意です。そもそも実を申しますと、 2008年6月11日 (水) 16:02 の Undo は、ログインを忘れてしまった(あるいは閲覧巡回している間にタイムアウトになってしまった?)ために匿名IPアドレスとなっておりますが、そのUndoをした当人は、私であります。私が、その加筆を Undo した理由は、miya様の二つの御意見と全く同一です。その後、加筆なされた御本人様により Redo され、「必要があればノートで議論してください。」とのコメントさえもありますが、この「吉兆」のページに記述されるのは不適切であるという点では、議論の余地も少ないように思います。加筆なされた御本人様からの反対意見も期待します。--しまあじ 2008年6月12日 (木) 09:38 (UTC)
(反対)たとえ「手付かず」であっても一度客に提供して残されたものはすべて「食べ残し」であるといえます。Wikipedia上信頼できる情報源である全国紙であっても(ワサビ以外に限らずすべてに)「食べ残し」という表現を使っているところが多数存在しているので正しいことだと思われます。また食べ残しの再提供は、「船場吉兆」が「吉兆グループ」の一員であった時に行われたものであることと、「船場吉」に話を限定した上で使っているので全く問題はないと思います。またこちらのほうが事実に忠実かつ具体的に表しているので読まれる方が理解しやすいと思います。用語がネガティブかどうかということですが、それは個人の主観による影響もあると思います。「食べ残し」が事実であるのならWikipediaの中立的観点からも問題ないと思います。「手付かずの・・」と呼ぶように要望したのは当時の湯木佐知子社長でありますが「ワサビ」の件もあり事実誤認も甚だしいと思います。以上の理由から「吉兆」であっても「船場吉兆」であっても「食べ残し」のほうが正しいと思います。--Poh 2008年6月16日 (月) 06:59 (UTC)
追加します。使い回しされた料理・食材全体について言及しているので「ワサビ」のように一部でも手の付いたと確認されるものがあるならば「手付かず」という言葉は使えないと思います。--Poh 2008年6月16日 (月) 07:10 (UTC)
(コメント)Poh様は論点を誤解なさっています。問題なのは、船場吉兆の不祥事の内容についてではなく、それらの記述が、船場吉兆」のページだけでなく「吉兆」のページにまでも記されているという点なのです。落ち着いて、miya様の2件の御提案を、もう一度よくお読みください。--しまあじ 2008年6月16日 (月) 10:51 (UTC)
(コメント)誤解されているのはしまあじ様のほうだと思います 。『「使いまわし」について』でのmiya様の御提案を、落ち着いてよくお読みなおされることをお勧めします。こちらでのMiya様のご提案には、しまあじ様ご指摘の『問題なのは、船場吉兆の不祥事の内容についてではなく、それらの記述が、「船場吉兆」のページだけでなく「吉兆」のページにまでも記されている』という点でには全く触れられてません。それに触れているのは脚注リンクのほうだけです。こちらではあくまでもMiya様のご提案に対して意見を申し上げたのみです。
老婆心ながら申し上げますが、もし、しまあじ様が2008年6月11日 (水) 16:02の編集の時にコメントされた『船場吉兆に関する加筆は船場吉兆の項へ(先日から分離されています)) 』について議論されたいのであれば別の場を作る必要があるでしょう。--Poh 2008年6月16日 (月) 13:11 (UTC)
(コメント・反対の理由追加)現在の記述が業務妨害になるかと危惧されてるようですが、結論から申し上げると、現状でWikipediaの記述に落ち度がないので業務妨害にはならないと考えられます。船場吉兆での使い回しがグループでの売り上げ減やイメージダウンの原因になっていて、マスコミやネットでの報道などがそれに拍車をかけている面はあるとは思いますが、責任はあくまで船場吉兆にあり、マスコミやネットは媒体としてそれを伝えているだけです。報道や記述に間違いがあれば業務妨害になるでしょうが「食べ残し」という表現に間違いは見当たりません。ご提案の理由が「業務妨害の危惧」ということですが、理由そのものが違っていると思えるので、やはりご提案には賛同できません。--Poh 2008年6月17日 (火) 11:43 (UTC)
(賛成)Miyaさんの案に賛成します。--ZCU 2008年6月17日 (火) 11:52 (UTC)
(コメント・表現について)「食材の使いまわし」だけではまかないに使われた場合なども含まれ曖昧さが生じます。またWikipediaはニュース速報ではないので、時が経てばこの事件に詳しくない方も見る機会が増えてきます。「客の食べ残しを他の客に提供した」と書けば全容が簡潔に伝わります。記事のバランスや中立性を欠くような長文になるならともかく、短い文で表現可能な場合ならリンクに跳ばず記事内で理解できる記述にしたほうがより親切で好ましいと思います。--Poh 2008年6月17日 (火) 12:42 (UTC)
食べ残しは残飯と同義なのでやはり言い過ぎかと思います。当時の報道も「使いまわし」の用語が主流かと。もっとも業務妨害と言い出すのも大げさかと思います。なんとか穏当な表現に落ち着けたらと思います。--fromm 2008年6月19日 (木) 03:22 (UTC)
(コメント)同義語として残飯が当てはまるものを、船場吉兆が客に出してたのは事実です。--Poh 2008年6月20日 (金) 09:19 (UTC)
(賛成)Miyaさんのご提案に賛成します。--CALCULATOR 2008年6月19日 (木) 15:03 (UTC)
(反対)「食材の使いまわし」では事実を伝えきれていません。例えば、客Aの料理に人参1本の半分だけ使い、その後、客Bに残りの半分を使う場合でも「食材の使いまわし」という表現となるはずです。使いまわしという表現を使うならば「一旦客に出した料理の使いまわし」とすべきでしょう。--iwaim 2008年6月20日 (金) 00:29 (UTC)
(コメント)この議論が百科事典としてより正確な記述を考えるためなのか、単なる多数決の為なのかは私の口出しすることではありませんが、「一旦客に出した料理」ですと、間違って注文主とは別の客に出して、すぐに間違いに気づいて下げた場合も含まれます。船場吉兆が問題行為とされたのはこの類ではないでしょう。--Poh 2008年6月22日 (日) 06:08 (UTC)

最終コメントから一週間経ちましたがどうなるのでしょうか?多数決では提案は通るのだと思います。私としては書くべきことは全て書いたので結果は何でもかまいません。ただもし提案が通るのなら、曖昧な事実とは異なる解釈が可能な記述が議論の結果採択されたという事実がWikipediaに前例として残ることになるでしょう。--Poh 2008年6月30日 (月) 10:38 (UTC)

多数決での決定はWikipedia:投票を踏むべきでしょうね。まあ、そもそもの話をすると、出典としたものの表記に従うべきだと思いますので、複数の候補があるならば、それぞれの出典のどの表現を採用するのか等の議論になるべきだとは思っていますが、当初よりそういう話になっていないのは非常に残念ですね。
いずれにせよ、miyaさんのご提案には反対意見がついているわけなんですが、それに対してのmiyaさんのコメントを待てばいいのではないかと思います。--iwaim 2008年6月30日 (月) 11:21 (UTC)

継続

一ヶ月ほど議論が停滞していましたが、継続しようと思います。「客の食べ残しを他の客に使い回していた」という表現がNIKKEI NETにありましたのでその表現を採用するということでどうでしょうか。「食べ残し」については船場吉兆側は手付かずであるという主張がなされていますが、そのこと自体は事実か否かは判別不可能なわけですから、まずは第三者からの表現を採用するということがウィキペディア日本語版として適切であろうと考えています。

もしくは、詳細については「船場吉兆」に書くとして、こちらについては各種不祥事の詳細は書かずにおくという手はあると思います。--iwaim 2008年7月30日 (水) 13:41 (UTC)

NIKKEI NETの記述で事実が正しく伝わると思われますので、それでよろしいかと思います。不祥事についての記述は詳細というほどのものではなく、見出し程度のものだと考えられますし「船場吉兆」にはさらに詳しく記述されてます。不祥事の件は先代から引き継がれた吉兆グループ5社が4社に減ったという「吉兆」にとって重大な事象を含むものなので、こちらに残すべきだと思います。--Poh 2008年8月1日 (金) 11:40 (UTC)
コメントありがとうございます。私が挙げた代替案については、不祥事で船場吉兆が廃業したという記述はもちろん「吉兆」に残します。その詳細としての「食べ残しの使い回し」などの記述は「船場吉兆」側に任せるという提案です。--iwaim 2008年8月1日 (金) 11:46 (UTC)
(可読性を配慮して小見出しを入れました。もっと適切な形があればお願いします)Iwai.masaharuさんのご提案(代替案の方)に賛成します。本項では、一連の不祥事によって船場吉兆が廃業した、という事実の記載があれば十分であり、「食べ残し」や「使いまわし」の表現の妥当性については船場吉兆の項目で議論されるべきだと考えます。したがって、不祥事の詳細は船場吉兆の項参照ということで、問題となっている表現については除去がよいと考えます。
なお、ここで議論することではありませんが、報道の表現が「第三者による」から妥当か、という点については私は疑問を持っています。ジャーナリズムにもいろいろな立場がありますし、とかくスキャンダラスかつセンセーショナルな表現を使う傾向なきにしもあらず、ではないでしょうか。もし「食べ残し」の表現を残す場合は、それは報道でそのような表現がされている、という事実を書くべきでしょう。その場合、船場吉兆が「食べ残し」という表現に抵抗を示している、という事実も書くべきです。議論の基本的なスタンスとして望まれるのは、ウィキペディアは「真実」を追究する場ではなく、船場吉兆に対して糾弾的にも擁護的にもならない、ということです。--みっち 2008年8月2日 (土) 00:08 (UTC)
ええと、一応コメントしておきますが、私は第三者による表現だから妥当だ、とはまったく思っていません。ただ、今回のケースのように表現で揉めているにも関わらず、誰も外部での表現について触れようとしない点について非常に疑問に思っていますし、非常に残念に思いました。「あなたたちはWikipedia:検証可能性を何だと思っているのか」と。同じような議論になるにしても、2008-06-30T11:21:08 (UTC) の版差分でも述べたように、それぞれの出典をだして「どっちがよいのか」という議論になるべきです。《もし「食べ残し」の表現を残す場合は、それは報道でそのような表現がされている、という事実を書くべきでしょう》については、本文中に織り込むかどうかは検討の余地があると思いますが、第三者からそのように表現されているということは、出典と共に記載することで伝えることはできます。
《その場合、船場吉兆が「食べ残し」という表現に抵抗を示している、という事実も書くべきです》というのはどこかを出典として書いておく方がいいですね。ただ、「吉兆」の項目に書くのも冗長な気がするので、「食べ残し」という表現共々、詳細は「船場吉兆」に任せてしまう方がより良いように現時点では思っています。--iwaim 2008年8月2日 (土) 02:31 (UTC)
iwaimさんの言われる「詳細」の意味については了解いたしました。
私としては「各種不祥事」と「食べ残し…」に関する記述は残すべきで、それ以降の「ブランドイメージ」「のれんに傷」「グループ支援」等についての記述は要検討または今後の編集に任せるというところかなと思っています。「食べ残し」の記述が必要と考える理由として、他の不祥事と発覚された時期がずれている、前場吉兆廃業の直接の原因となった、グループ内他社に影響(損失)を与えた、信頼できるソースに記載されている、報道等によって知れ渡った、料亭として「食べ残し」を提供していた例は他にない、など他にもありますが、特質に値する条件は揃っていると考えるからであります。--Poh 2008年8月2日 (土) 10:29 (UTC)
挙げている理由はすべて理解できます。それを理由として残すべきという主張も理解できます。ただ、別にあってもなくてもいいんじゃないかな、というのが正直なところです。
(管理者と1利用者ではこういった件には考え方の差異がでてくるのかもしれませんが) miyaさんの《グループ全体に対する業務妨害にもなりかねない》というのは杞憂な気はしていますが、まあ、そういう懸念をもつ利用者がそれなりの数がいるということ自体は議論にて確認できたような気もしています。しかし、当初提案されていた「食材の使いまわし」というのは先にも書いたように不適格な表現であると思っています。で、まあ、議論を続けるとどちらかの表現にしてしまうことは十分に可能だとは思うんですが、そこまでコミュニティのリソースを割いてまで残すべき記述であるとは思わないんですよね。ですから、「各種不祥事で廃業」という落としどころにして、《グループ全体に対する業務妨害にもなりかねない》という懸念をもつ人々の合意も得て、議論を終了してしまうのがいいんじゃないかな、と思っています。百科事典として、廃業の直接の (あるいは最終的な) きっかけとなった不祥事については明記しておくべきですが、それは「船場吉兆」の方に書いてしまえばいいだけですし。--iwaim 2008年8月7日 (木) 06:12 (UTC)
「業務妨害」については2008年6月17日 11:43 の時点で私の意見は申し上げています。それ以外には今のところ意見を述べられた方はおられないようです。議論の場で「業務妨害」を理由に「食べ残し…」の部分を削除するのであれば、個人の見解ではなくWikipediaでの公式な指針に基づいて検討がなされる必要があるのではないかと思ってます。法律的な問題の場合、以前別の場所でmiyaさんから、裁判での結果を必要とするということを伺ったことがあります。この件では裁判には至ってませんが、この件と同等とみなせる判例があるのかどうかが一つの重要な論点だと考えられます。ただ合意を得るという以前に、専門的な見地から「業務妨害」と実証することが求められるのではないでしょうか? --Poh 2008年8月8日 (金) 10:51 (UTC)
《専門的な見地から「業務妨害」と実証することが求められる》というのは正しい意見だと思います。私もそう思います。しかし、今回の場合はそのためにリソースを割くことには、私はあまり意味を見出せないんです。Pohさんは、その上ででも該当部分の記述を残すことにこだわりますか? --iwaim 2008年8月11日 (月) 04:34 (UTC)
waimさんが「そのためにソースを割く意味を見出せない」と考えられることを、私に記述を残すことにこだわるか否かを問われる理由にされている意味が解かりません。(ソースを割いてでも)業務妨害にあたる可能性があることを説明する責任があるのは、私ではなく業務妨害の可能性を懸念される利用者の側にあることですから。
「業務妨害」あるいは「業務妨害を危惧する編集者がいる」ということを削除理由として挙げても、業務妨害の根拠が示されていないのならそれはPOV、あるいは言葉は悪いかもしれませんが根拠のない妄想にすぎないといえます。それではWikipediaで主張として認められるようなものではないでしょう。専門的見地、あるいは判例ということを挙げましたが、一つの確実な例として挙げたまでで、他の方法であってもWikipediaの指針に沿った根拠を示す必要はあると思います。--Poh 2008年8月11日 (月) 05:40 (UTC)一部訂正--Poh 2008年8月11日 (月) 08:06 (UTC)
はい。まずは業務妨害であることを立証する説明を、業務妨害であると主張する方にやっていただく必要がある点は了解しています。で、その上でPohさんや私などがその主張に対してのコメントを行って議論が発生するであろうと思っています。で、そこまでリソースを割く必要があるの?ということが私の正直な感想です。今のところ、業務妨害か否かにかかわらず該当部分の掲載が必要だと考えているのはPohさんだけだという認識です。平たく言えば、Pohさんが折れてくれれば業務妨害であると主張する側もそうでないと思っている側も、議論が更に発展したときに割かざるを得なくなるリソースを使う必要がないと思っているわけです。《waimさんが「そのためにソースを割く意味を見出せない」と考えられることを、私に記述を残すことにこだわるか否かを問われる理由にされている意味が解かりません》とのことですが、これでその疑問は解消できたでしょうか?
《「業務妨害」あるいは「業務妨害を危惧する編集者がいる」ということを削除理由として挙げても、業務妨害の根拠が示されていないのならそれはPOV、あるいは言葉は悪いかもしれませんが根拠のない妄想にすぎないといえます。それではWikipediaで主張として認められるようなものではないでしょう。》については (削除ではなく編集除去だということはともかくとして) 一般論としては正しいと思います。でも、何度も書いていますが、議論を尽くしてまで残す記述だとは思わないわけです。あるソフトウェア会社は、脆弱性になる可能性がある箇所を発見すると、それが脆弱性であるか否かを入念に調査/検討を行うコストよりも、修正のコストが格段に低いと判断した場合は脆弱性ではないかも知れないがとりあえず修正するという行動を取るときいたことがあります。費用対効果の面でその方がよいからです。それと同じようなものだと思っています。
それで、まあ、Pohさんは「編集除去する前に、まずは業務妨害であることを説明し、議論し尽くす必要がある」という主張をなさっており、これからもこの件ではその主張を変えないのだろうな、という感触を私は持ちました。もちろん、それが悪いとは思っていません。Pohさんの主張は一貫しており、その内容も正しいと思っています。あえて拘るという表現を使いますが、そこまで拘るならば記述を残す方向で議論を終結させる方がいいかな、と思います。ということで、現時点の私は当初私が出したように「客の食べ残しを他の客に使い回していた」を出典と共に記載することを推します。船場吉兆側の女将からの反論を書くか否かという話がでてきてますが、それについてはどうしましょうか。--iwaim 2008年8月11日 (月) 08:58 (UTC)
そもそもmiyaさんが「業務妨害」という言葉を使われたのは(ワサビ以外でも)すべてが食べ残しのような印象を受けるという点を理由に挙げられたようです。それに対し一度客に出して下げたものはすべて食べ残しだと申し上げ、さらにWikipedia側に落ち度がなければ業務妨害にはあたらないのではないかと申し上げました。それに対する反論は現時点まで誰からもいただいてません。業務妨害を懸念ずる利用者の合意のための議論を求めるのであれば、まず業務妨にあたるか害か否かについての議論を再開しその点での合意を得る必要はあるでしょう。--Poh 2008年8月11日 (月) 08:06 (UTC)
iwaimさんが「編集除去」のご提案をされてから該当部分の掲載が必要と主張したのは私だけですが、編集削除に賛成されたのもみっちさん一人であります。(iwaimさんは、どちらでもいいというお考えのようです)私としてはWikipediaの方針等を考慮して削除する必要はないということを申し上げて来ましたが、削除を希望される方はその根拠は欠かれていません([船場吉兆]に書けばいいというなら「各種不祥事」や「撤退した店舗」でもそちらに移行すればいいのであって「食べ残し」だけを移行するというのは主観が入ります)。Wikipedia上認められる根拠が出せないのなら議論放棄ということで議論終結なのではないでしょうか。
iwaimさんが誤解されていると思うのは、ソースを割いて根拠を挙げる必要が出てきたのは議論終結であるにもかかわらず「業務妨害」を持ち出して議論を続行させようとしたiwaimさんにその原因はあるのに、それをまるで他人事のように言われていることです。「業務妨害」を議題あるいはその理由に挙げたなら、挙げた方が理由を書くべきことであると思います。今回またソフトウェアにたとえて「脆弱性の可能性」を挙げられてますが何故脆弱と考えられるのかは説明されてませんよね。その説明責任はiwaimさんにあります。
脆弱かどうかも含めて改めて残す理由を述べますが「食べ残し」の件は吉兆のれんやブランドイメージに傷をつけたりグループ他社の売り上げ低下を招くなど、吉兆(グループ)に影響を与えた事実であり、百科事典としてのWikipediaで吉兆の記事に掲載する条件は満たしていると考えられます。一方削除に値するというWikipedia上の理由はどなたも提示されてません。脆弱である理由は見られませんし、この状況が議論停滞後一週間続けば議論終結と見てもよいのではとも思えます。
「食べ残し」の件は事実の記載であり、中立性を欠くかどうかは個人の判断であり、私としては特に問題は感じられません。ただ女将の反論を書くことについては禁止されていることではないので必要性を感じる編集者がいれば書かれればよいと思います。--Poh 2008年8月11日 (月) 23:16 (UTC)
まずはじめに。Pohさんには《今回またソフトウェアにたとえて「脆弱性の可能性」を挙げられてますが》というように、今回の記述自体をソフトウェアに喩えたと理解されてしまいましたが、私は、そのエピソードを費用対効果を考えた場合の行動の一例として示したつもりでした。また、Pohさんの発言中の「ソース」はsource (情報源) とresource (資源) が混在していると思っていますが、その点で、私の発言を誤解している可能性を懸念しています。もしよろしければ、ですが、私の発言中の「リソース」を「労力」とでも置き換えて再読してくださると幸いです。さらに、「削除」という表現ですが、ウィキペディア日本語版ではWikipedia:削除からも見て取れるように、履歴からも消してしまう行為を示す言葉でもあります。日本語としては、文章から一部を取り除くことを「削除」と表現することは正解の一つですが、誤解を招かないために「編集除去」などの誤解を招く可能性が比較的低い表現の使用も考えてみてください。
《iwaimさんが誤解されていると思うのは、ソースを割いて根拠を挙げる必要が出てきたのは議論終結であるにもかかわらず》については、そもそも私は議論が終結していたとは考えていません。まあ、提案者だったmiyaさんは《私はもうPohさんと合意を形成するのはあきらめてしまいました》と発言差分していますが。ちなみに、私も今のところは「編集除去での合意」については諦めています。
《「食べ残し」の件は事実の記載であり》とありますが、そもそもその日本語表現自体に解釈の揺れがある点を見逃していると思います。解釈の揺れがあるからこそ、船場吉兆側はその表現への反論をしているわけですから。もし、Pohさんが「食べ残し」が揺ぎ無い事実であると思っているならば、解釈のゆれについて今一度考えてみていただけないでしょうか。まあ、ウィキペディア日本語版ではWikipedia:検証可能性にもあるように、事実か否かについてはそれほどこだわらなくていいのですが。(尤も、事実か否かという視点は多少は必要だと思っていますけどね)--iwaim 2008年8月13日 (水) 11:50 (UTC)

(インデント戻します)私としては、合意の可能性として二つの方向性をお示ししたつもりですが、あまりご理解いただけなかったようです。

「食べ残し」の除去に賛成したのは当面私だけですが、提案者のIwai.masaharuさん及びこの表現に異を唱えられた利用者の方との合意は可能です。そうすると、「食べ残し」を残すべきと主張しておられるのはPohさんだけ、ということは認めておられるので、残るPohさんは合意されないのか、ということがひとつです。

「各種不祥事」や「撤退した店舗」は置いて、「食べ残し」だけを移行するのに主観が入っているとは思いません。なぜなら、各種不祥事や撤退は異論のない事実ですが、「食べ残し」の表現にはすでに複数のレベル(船場吉兆の社長、あるいはこのページ)で異論があります。この点、報道があったことは事実としても実態を「食べ残し」と表すのが正しいかどうか、ここで決める必要はないしそうすべきでもない、というのが私の立場であり、これはすでにお示ししたとおり中立的な観点からきています。業務妨害かどうかは、私は問題としません。しかしそれでも、Pohさんは「食べ残し」は異論のない事実だと主張されますか? あるいは、各種不祥事や撤退した店舗もいっしょに除去するのであれば、「食べ残し」の除去を認める、ということでよろしいでしょうか?

もうひとつは、仮に「食べ残し」を残すなら、「食べ残し」報道(これは異論のない事実です)と言い換えること、この表現には船場吉兆から釈明があった(報道の一例[1])ことを示すことで記事の中立性・正確性を確保する、というもうひとつの解決方向をお示ししました。これについては、反対しないがご自分でなさるおつもりはない、ということでよろしいしょうか?--みっち 2008年8月13日 (水) 10:29 (UTC)

iwaimさんへ、ソース/リソースは書き間違いというか読み間違いです。言葉は存じています。リソースを無駄に使わせてしまいすみませんでした。議論終結については慣例として1週間反対意見がなければ合意とみなし議論終了とした例がいくつもあるのでそう考えてましたが、正式なルールではないのでiwaimさんのご意見はごもっともだと思います。「食べ残し」が「揺ぎ無い事実」とは申し上げてませんし検証可能性についてもiwaimさんと同じ考えだと思います。ソースの信頼性からいってWikipedia上事実と同等とみなしてよいとは思っています。また解釈の揺れは承知の上でmiyaさんのご提案には「食べ残し」がもっとも正確であるということと船場吉兆社長の主張は認識不足も甚だしいということを説明しました。
iwaimさんのご提案で併記とNIKKEI NETをソースとする件では私は合意してますが、編集除去については合意できかねるというのが現状です。「複数の候補から選ぶ」ではなく「編集除去」という議論はちょっと性急だったのではなかったかなというのが感想です。
みっちさんへ、中立的観点では編集除去ではなく併記で対処するのがWikipediaのルールでして私が反対する理由はありません。
次に長くなりますが、まず根拠のない意見や(根拠を述べた)反論のない意見をWikipedia上どう扱うかということです。根拠を書かず意見を書いただけで認められるのならばPOV、誤解、捏造全て認められることになります。根拠の書かれていない意見を自分の根拠として使うのであれば、それを使う利用者がその根拠を説明できるようにしておかなければならないでしょう。この点はよろしいでしょうか?例えば編集除去の根拠として使うのであれば「異論を唱える編集者がいるのはWikipedia上○○のような根拠に基づくものだ」というような形にまで詰めなければ、ただ根拠のない意見に踊らされているに過ぎないのではないでしょうか。みっちさんは「食べ残し」という表現への他の編集者からの異論や船場吉兆の社長の意見にどの程度の根拠、客観性があるといわれるのでしょうか?客観的な根拠なしに、船場吉兆の記述の中で「食べ残し」だけが異論がついてるからというだけでは主観の域を出ていないと思います。船場吉兆の記述について、一括、個別に関わらず、編集除去するのであれば、それなりの理由が必要で、それはWikipediaの指針に沿ったものがもっとも望ましいですが、そうでなければ指針に相当するだけの理由が必要だと考えてます。--Poh 2008年8月14日 (木) 11:00 (UTC)
ひとつめの「食べ残し」除去には合意しない、ふたつめの「食べ残し」報道への言い換え及び船場吉兆が「食べ残し」に異を唱えていることの加筆には反対しない、ということでご回答いただけたと理解しました。これに基づき、記事の該当段落を修正してみましたので、合意いただけるかご確認ください。「概要」の節構成も手を入れてみました。
なお、後段の「よろしいでしょうか?」とのご質問ですが、あえていえば、よろしくありません。いわれている根拠の有無はPohさんの判断であって、それもまた主観でしょう。観点の異なる者同士がそんなことをいくら言い合っても合意には至らないと考えますがいかがでしょうか。ウィキペディアで記述されるべきは意見ではなく事実です。事実に争いがあれば、争いがあるように書く必要があります。これも「中立的な観点」の方針に書かれていることです。--みっち 2008年8月15日 (金) 23:48 (UTC)
みっちさんへ。編集お疲れ様です。事件の経緯がわかるようになったのは良いと思います。一つ申し上げますと、文脈から追い討ちとなったのは「食べ残しと報道された」ことのように読めますが、実際追い討ちとなったのは使いまわしの事実が判明したことですよね。
私の質問を誤解されてる部分があるようですが「根拠が書かれてない意見」については抽象論として申し上げております。みっちさんご自身が「根拠が書かれてない」とご判断された場合を想定して考えていただければ幸いです。--Poh 2008年8月16日 (土) 10:55 (UTC)
◆みっちさんへ。ええと、《ウィキペディアで記述されるべきは意見ではなく事実です》とありますが、ウィキペディア日本語版で記述されるべきは事実ではなく検証可能な内容です。ご存知だとは思いますが、それはWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にも書かれていると思っています。《これに基づき、記事の該当段落を修正してみましたので、合意いただけるかご確認ください》とありますが、その意味では2008-08-15T23:45:55 (UTC) の編集差分に全面的に賛成することはありません。ただ、まあ、これで一旦落ち着くのであれば、その記述で良いと思います。--iwaim 2008年8月16日 (土) 16:02 (UTC)
Pohさん、おおむね同意いただき、ありがとうございます。
Iwai.masaharuさんのいわれることがよくわかりませんが、「中立的な観点」より「検証可能性」を優先させるべき、というご主張でしょうか。それは方針のどこに書かれていますか? 率直にいいますが、記事の文章をどのように表現するかの判断は、検証可能性は決め手にならないと思っています。検証可能というのは、文章に出典があるという意味でしかなく、その文章・文脈が記事にふさわしいかどうかは別の問題でしょう。この議論はまさにそういう議論だと思いますが。なお、私は一度も「真実」を書くべきとはいっていません。
Pohさんのご指摘を受けて、記事にもう一度手を入れようかと考えていましたが、全面的に賛成されないことがすでに明らかな私よりも、Iwai.masaharuさんが賛成できる文面になった方がよいと考え直しましたので、あとはお任せすることにして、私はここから手を引きます。--みっち 2008年8月17日 (日) 00:49 (UTC)
《Iwai.masaharuさんのいわれることがよくわかりませんが、「中立的な観点」より「検証可能性」を優先させるべき、というご主張でしょうか》ですが、そのような主張ではありません。両方共必要であるという主張です。ウィキペディア日本語版では検証可能性が軽視される傾向があるように思っていますが、私からすれば何故そこまで軽視できるのかがよく理解できていません。《全面的に賛成されないことがすでに明らかな私よりも》については、私は現在の記述でも、信頼できる情報源を出典として検証可能性を満たすことができるならば問題ないと思っています。つまり、私が全面的には賛成しない理由は、「中立的な観点」や「独自研究は載せない」と共にウィキペディア日本語版の基本的な方針である「検証可能性」を満たしていない点だけです。みっちさん自身が手を引くと決断したのであれば、私がお止めすることは難しいとは思いますが、「検証可能性」を満たすことを諦めていると受け取れる点については非常に残念に思います。《なお、私は一度も「真実」を書くべきとはいっていません》ということであれば失礼しました。先の発言で《ウィキペディアで記述されるべきは意見ではなく事実です》とはあったので、「事実」と「真実」の違いはあるものの、文意としてはほぼ等価だろうと検証可能性を引き合いにだしてしまいました。--iwaim 2008年8月17日 (日) 01:46 (UTC)
◆Pohさんへ。《リソースを無駄に使わせてしまいすみませんでした》については少なくとも現時点では私自身は無駄に使ったとは思っていませんのでご安心ください。ただ、ウィキペディア日本語版のようなところに於ける議論は、その議論で自分の労力を多く使った方が自分の意見が通りやすいという面もあります。まあ、労力を使うということは、思い入れがそれなりにあるということもあるでしょうから、そういう結果になるのは真っ当な面もあるとは思いますが、どこかで落としどころを見つけるというのも大事なのではないかなぁ、とは思っています。後述しますが、例えば私はPohさんの主張に全面的に賛同しているわけではありません。《「複数の候補から選ぶ」ではなく「編集除去」という議論はちょっと性急だったのではなかったかなというのが感想です》とのことですが、書かないこと自体も選択肢の一つだと考えています。むしろ、編集除去という手を選択肢に入れないのはちょっと視野が狭いんじゃないかな、とまで思っています。《中立的観点では編集除去ではなく併記で対処するのがWikipediaのルールでして私が反対する理由はありません》については、それはすごく誤解があるんじゃないかと思います。もちろん、中立的な観点を保つために両論併記を行うことは推奨されてはいますが、今回のケースのように必須だとは思えないような記述で、かつ、詳細は別の項目 (船場吉兆) で記述することができるようなケースの場合にまで「両論併記すればいい」という考えに固執してしまうことはちょっと問題ではないかな、と私としては思います。《例えば編集除去の根拠として使うのであれば「異論を唱える編集者がいるのはWikipedia上○○のような根拠に基づくものだ」というような形にまで詰めなければ、ただ根拠のない意見に踊らされているに過ぎないのではないでしょうか》については、それは「食べ残し」についての記述を残すこともまた、十分な根拠が必要であるという点は考えていた方がいいと思います。まあ、Pohさんは何故必要なのかについてはPohさんなりの意見を述べていますが、例えば私はPohさんの意見を伺ってもなお、それを残す必要があるとは思っていません。そういう意味では、私は同記述を残すことに積極的に賛同はしていないのです。まあ、別にそこに労力を使ってまで議論する必要性は今のところ感じていないので別にいいんですが。--iwaim 2008年8月16日 (土) 16:02 (UTC)
iwaimさんへ。私は全て自分の主張だけを通そうとした訳ではなく、iwaimさんの3つのご提案のうち2つまでは合意してます。本文の現存の記述もiwaimさん、みっちさん、お2人のご意向を反映されていると思います。もっとも私が合意したところまででですべて決まったようではありますが。
何故そうなったのかについて、iwaimさんは労力を使ったからだと言われてますが、私は理論、理屈の力でそうなったと考えてます。実際それほど労力は使ってません(もっとも過去に別件で使った労力が活きたとはいえますが)。iwaimさん、みっちさん、お2人ともあまり重視されていないようですが、意見に理由をつけるということは議論の場で非常に重要なことで、理由がないとなかなか有効ポイントとして認められないのです。2ちゃんねるのような場で結論を出さない議論をしているのと違って、Wikipediaの議論は結論を出すためのものですから有効な意見であることが意見としての必須条件であります。
見かけは理由の有無であっても、その奥には理由がを述べられるか否かがあり、それは利用者の力量ではなく、そのさらに奥にあるのが物事そのものに理由が有るか否かであり、それを見極められるかどうかが議論する利用者の力量なのです。手の内を明かせば私の場合、議題があった場合、まず議論の結果がどうなるかをシミュレートしてみて得られた結果の方を自分の意見としているのです。そうすれば実際の議論でもシミュレーション段階で重大な見落としでもない限り結果はその通りになります。またシミュレーション段階で得られたことは自分の意見の根拠や反対意見への切り返しとして使えます。「思い入れ」ではなく「結果が見えているかどうか」が物を言ったということですね。
別記事がある場合除去も視野に入れるべきというのは正論ではありますが、議論の段階では論点は中立的観点までしか挙がらず、編集除去の根拠としてはボーダーラインどころか全くかすりもしなかった、それでは併記という大前提をくずしてまで除去を検討するまでは行きません。私が両論併記に固執したわけではなく、併記を超えて除去まで議論は至らなかったということで、議題としてご提案される前にある程度先を読まれていれば、除去については提案として挙げる必要などなかったということが解かったのではないかなと思います。
8月16日のご意見でもiwaimさんは「思う」「思わない」というだけで意見を述べられてますが、それでは個人の思いの域を超えたものではないのです。強いて言えば同じ考えの人もいるだろうというところまでです。みっちさんも私の意見が主観でしょうと言われてますが、その理由は書かれてないですよね。私が理由を書いて意見を述べているのは、どの部分がどのように間違っているか、主観なのかと相手が指摘するための材料として与えているという意味も含まれています。それを指摘せずに主観だと言われてもそれは漠然とした主観の表現かせいぜい「完全な客観などあり得ない」という一般論まででしかないのです。
結論を読んで意見に理由を書くかどうかという習慣の違いが、今回の結果を左右したのではないかなと思っています。--Poh 2008年8月18日 (月) 12:14 (UTC)
まあ、なんというかいろいろコメントしたいところはありますが、そこに労力を使う必要性を感じないので一部だけ。《実際それほど労力は使ってません》や《「思い入れ」ではなく「結果が見えているかどうか」が物を言ったということですね。》とありますが、議論の継続という時点で労力は使うのですよ。で、その案件が自分にとってどれだけ大事なところに位置付けられているのかによって、労力をどこまで投資するのかということになるわけです。たとえば、miyaさんは自分が思う範囲での合意に至らないと考えて議論から手を引いています。これはmiyaさんの思い - 業務妨害の可能性を極力排除 - を実現させることに、それだけの思い入れしかなかったということだろうと思います。また、私にしたところで、同記述を残す必要があるとは思っていないので、その必要性についてPohさんと議論を繰り広げることも可能でしたが、そこまで労力を費やすまでには至らないと判断しています。
《併記という大前提をくずしてまで除去を検討するまでは行きません》については、そもそも《併記という大前提》という点が間違いだと考えています。「思う」という表現を使った故にPohさんにそれほど重要だとは受け取っていただけなかったようですが、ウィキペディア日本語版での議論というものは相手を打ち負かすために行うためではなく、落としどころを見つけるためのものです。その状況では、論理立てて説明し、相手の逃げ道をなくすことよりも、個人の考えを述べる程度の表現にした方がいいケースも多いのですよ。まあ、Pohさんが相手の場合はそういうケースではなかったようですが。--iwaim 2008年8月19日 (火) 06:10 (UTC)
とりあえず編集についての合意が得られた後に議論するのも無駄といえば無駄でありますが。中立的観点で併記が大前提だというのが間違いなら、中立的観点からでは除去は出来ないということでしょうか。除去の理由としては使えないなら除去案に合意させる「落としどころ」にはならないでしょう。私が反論不能に追い詰めてるのではなく、相手の支持してるものに正当性を示せるだけのものが無かったということです。除去するには別記事があることを考慮に入れても、Wikipediaの指針で違反行為に抵触する部分でもなければ極めて困難です。私は除去案には反対派なので除去するためにいちいち指針は洗ってないですが、常識からいって抵触することはないだろう。したがって除去は無理だから(反対)側に付こうと決めたのです。私が残すための理由はその後とってつけたようなものでそれほどの説得力は持っていないことは承知の上です。残すための理由より除去が無理だという理由のほうが強かったということです。
思い入れによって労力を使うかどうか判断する場合もありますが、いくら労力を使っても正当性を示すことは不可能だと判断して打ち切る場合もあります。miyaさんのご提案の場合、失礼ながら私から見ていくつかのミスを犯していて、さらにそこから派生したミスもいくつかあったので、私はそれらのミスを指摘したのです。ご本人からも賛成の意を表明された方々からも反論は無かった。労力を使う気がなかったのか反論不能と見たのかは私は知りません。--Poh 2008年8月19日 (火) 09:43 (UTC)
《中立的観点で併記が大前提だというのが間違いなら、中立的観点からでは除去は出来ないということでしょうか。》ですが、なんでも併記するってことに固執してしまっていることは視野狭窄に陥っていると私は指摘しています。記述することが必須ではなく、かつ、理由はどうであれその記述の表現に異論がでている状況下で、多大なリソースを使ってまで議論することは無駄であると私は述べているわけです。必要とする記述ではないのだから、議論してどういう記述にするのか、その内容を掲載するのならば、中立的な観点などを鑑みて他にどのような内容を記載すべきなのかをこの項目で議論することはリソースの無駄だ、ということです。--iwaim 2008年8月25日 (月) 02:03 (UTC)
《中立的観点で併記が大前提だというのが間違いなら、中立的観点からでは除去は出来ないということでしょうか。》併記については否定して、除去は出来ないとのみ述べてますが、どのようにすればこの文章から併記に固執していると読み取れるのでしょうか?--Poh 2008年8月25日 (月) 08:03 (UTC)
一連の発言から併記に固執していると判断しています。私がそういう認識を受けた、Pohさんの具体的な発言を挙げた方がよいでしょうか? --iwaim 2008年8月30日 (土) 18:10 (UTC)
それなら《》の文を載せる必要はなかったですね。固執してるのでなくそれがルールだから申し上げただけですけど。短くまとめたものでWikipedia:外部リンクの選び方#中立的な観点があります。併記という語句は使ってなくても併記で対処する旨が書かれてます。むしろiwaimさんが「除去」に固執されてるのではないでしょうか?2つの記事に掲載が可能な場合は、掲載するのはどちらか一つの記事にしなければならない(または望ましい)などという方針はありません。除去案自体が主観的なものだったということではないでしょうか。結果的には船場吉兆の女将の意見を併記するということで前進があったので無駄な議論ではなかったですが。--Poh 2008年8月31日 (日) 10:37 (UTC)
だから《除去案自体が主観的なものだった》などと発言してしまうようなところが視野狭窄に陥っているんですよ。また、私が除去に固執するならば、もっとそこに労力をかけますよ。その記述を載せる必要性などの議論は続けようと思えば続けることはできますし。《それなら《》の文を載せる必要はなかったですね》については、流れ的に関連があると思ったから載せたまでですが、その理由についても説明が必要ですか?--iwaim 2008年9月1日 (月) 04:52 (UTC)
方針にないものを出したのが主観的でないというのなら何だといわれるのでしょうか?「流れ的に関連があると思った」理由を書かれないのなら《》を載せた分だけリソースの無駄遣いだったと思われても仕方ありません。あなた個人のことですから別に要求はしません。--Poh 2008年9月1日 (月) 06:16 (UTC)
方針を無視した提案をするのと、それに方針を考慮してコメントするのとどちらがWikipediaで歓迎されないかはお解かりでしょうか?方針に基づくコメントを視野狭窄だというのは「硬いこと言わずに方針には反するけど自分の立場も認めろ」というだけではないかと思います。-Poh 2008年9月1日 (月) 08:13 (UTC)
今回のケースで該当個所の除去の提案をすることに対して《方針を無視した提案》と考える点が間違っているんですよ。中立的な観点を保つために、ある方向に偏った記述のみを記載することは避けましょうってのが中立的な観点の重要な点です。それを、必要な記述という合意がない記述について、それを残すことを前提に考え、それを除去するという手段を考慮しないという点が問題なわけです。また、ウィキペディア日本語版は共同作業の場であるため、百科事典として妥当な範囲内で、どこかで折り合いをつけることを考えるべきでしょう。--iwaim 2008年9月2日 (火) 16:08 (UTC)

(インデント戻します)横槍失礼いたします。お二方とも議論に熱が入るあまりに冷静さを書いているように思えてなりません。重要なのは他社の論理の整合性の矛盾を突くことではなく、いかに記事を優れたものにするかです。私個人の意見ですが、「両論併記は中立的視野に鑑みて『最善』ではあるが『最良』ではない」と考えます。そもそも『最良の記述』などというものは存在しないわけで、各個人の意見の擦り合わせの基で最大公約数を導き折り合いをつけるしか出来ません。これ以上議論を長引かせるのならば井戸端なりで不特定多数の意見を取り入れ、客観的な判断を仰ぐべきかとおもいます。失礼ながら、こうした言い争いは本記事に何ら資することのない「路傍の喧嘩」にしか見えません。--クロウ 2008年9月1日 (月) 12:44 (UTC)

さて、どうしましょう。私は一応冷静なんですが、コメント依頼にしても、何についてコメント依頼したものか……。この議論に関する話は一応記述を残すことで合意が取れた (というか、残したいPohさんと、残すか否かは別にどちらでもよい私以外は議論から撤退した) という状況なので、議論に関してのコメント依頼ってのはちょっと現状にはあわないんじゃないかな、と思います。新たに参加してくださる方が一人でもいれば、継続することは可能だろうとは思いますけれども。
《こうした言い争いは本記事に何ら資することのない「路傍の喧嘩」にしか見えません》については、本記事については (短期的には) たぶんそうなんでしょうが、Pohさんの今後の編集傾向に良い方向に影響すればなぁ、という思いはあって、ここで議論を続けています。第三者からの意見も欲しいので、会話ページへの移動はしませんでした。Pohさんには方針を無視した提案と言われていますが、私自身は私の見解はウィキペディア日本語版として外れた提案をしているとはまったく思っていません。どこかの段階で利用者の行為についてのコメント依頼を提出しようかと考えたこともありますが、議論相手への報復と取られても難儀だなぁ、と思って今に至ります。まあ、私自身も、私が「私自身は私の見解はウィキペディア日本語版として外れた提案をしているとはまったく思っていない」と思い込んでいるだけで、その考えがコミュニティとずれている可能性も否定はできませんけどね。ということで、これを見ているどなたかが、私とPohさんそれぞれに対して利用者の行為についてのコメント依頼を提出してくださればいいなぁ、と思ってます。--iwaim 2008年9月2日 (火) 16:08 (UTC)
私は既に「議論は終わってる」と書いてますし、iwaimさんが書いているのでこちらも書いてるだけで、熱を入れるほどのものだとは思ってません。iwaimさんの除去案は方針上の『最善』をは外してでも選ばなければならない程の『最良』のものではないなとはじめから思っただけです。「方針ではこうなる」と書いて視野狭窄と言われる理由はないでしょう。自分の提案に反対したから根拠のない暴言を吐いているとしか思えません。私は自分のことでどうこう言うつもりはないですし、iwaimさんの思想というか内面の自由や言論の自由は認めますが、Wikipedia上の優先順位ぐらいははっきりさせておいたほうがよいと思って書いていただけです。この方はこのままでは、また他で方針無視の議論を振って迷惑をかけるかもしれませんが、個人のことなので、ここでやることでも井戸端でやることでもないと思います。--Poh 2008年9月3日 (水) 10:25 (UTC)
(事後報告になってしまいましたが、このあとでコメント依頼をさせていただいたのはPohさんでもなくiwaimさんでもなく、私です。)--しまあじ 2008年9月4日 (木) 12:25 (UTC)

(コメント依頼より)はじめまして。賛否両論ある記述について、その記述を「書かない」あるいは「除去する」という選択は普通にありうると思います。今回は当初から「書く」「書かない」が議論の対立軸になっているため、「書かない」という選択自体が中立的でない、とPohさんは判断しておられるものと推測します。とはいえ、書くべきか否かで賛否拮抗して合意に達し得ないのであれば、その記述内容は少なくとも半分の論者を納得させられない(現に、今回はPohさん以外に積極的な「書く」派論者は現れませんでしたし、「書かない」派から意見を転じる人もいませんでした)レベルのものなのですから、書かない方が妥当である、と私は思います。
しかも今回の議論ではPohさんお一人が「書く」ことを主張し続け、多数を占めていた「書かない」派の人々は根負けして撤退した構図(に、今初めてノートページを読んだ私には見えます)ですから、もし「書かない」派にもっと根気のある論者がいればこの議論は泥沼化していたでしょうし、その場合はさらに穏やかでない展開になった可能性もあります。今後いらざる紛争に巻き込まれないためにも、Pohさんには自論の正当性を述べ続けるだけでなく、周囲から支持されない場合はご自身が納得しなくても自論を撤回する勇気と度量をお持ち頂きたいと思います。
あと、「視野狭窄」という言葉について、iwaimさんの立場からは他に表現のしようがなかったのかもしれませんが、結果的にPohさんを必要以上に刺激することになったであろう点について、今後ご配慮を頂きたいと思います。--Arawodas 2008年9月4日 (木) 11:42 (UTC)

私から見た経緯を申し上げます。議論が終わっているということについては、各種提案について、公式な方針に則ったもの(併記)は通り、則っていないもの(除去)は通らず、方針上どちらも問題のないもの(食べ残し等)は言葉の意味が正確なものが採用されたというところでその後は動いてません。iwaimさんが「方針に則ってないもの」が通らなかったことに不満を持ってその後も続けていると解釈しております。
何故方針に則ってないかと申しますと、iwaimさんが除去の理由に挙げた「他にも書ける記事があるからこちらは除去する」というものは方針にはないものだということと、除去賛成側の根拠として出されたものは中立的な観点だけであり、これだけでは方針上除去までには至れない、もちろん絶対無理という訳ではありませんが、それだけでは併記という方法をとらず除去を選ぶための理由としては全く満たしてないからです。
iwaimさんが主張される「除去も含めて考えるべきと」いうことがウィキペディア日本語版として外れた主張だとはまったく思ってません。ただ今までiwaimさんの立場が除去に賛成であるということも、除去の必要性もご本人からは一切述べられてません。それで議論の結果にクレームをつけるのは違うと思いますし、これではiwaimさんは議論の進め方の初歩さえ理解されてないのではないかとさえ思えます。iwaimさんが言われているのは「除去も考慮する」というところまでで、私は考慮した上で意見を申し上げてますので、「考慮するべき」というiwaimさんの要求には既に十分にお答えしております。結果として一方を選んで非難をされるのはまるで「二者択一で両方選べ」と言われているようなものです。もしiwaimさんが除去する方向で議論の継続を望まれるのなら「どうですか?」ではなく、改めて除去賛成派の立場としてWikipedia上必要とされるだけの説明を述べられるべきだと思います。
どちらでもよいという立場は変えられていないようなので、私の編集傾向についてだけで議論を継続されてこられたのでしょうか?「編集傾向」「落としどころ」というのは個人によって違うものですから自分の考えを他人に強要すべきではありませんし、吉兆のリソースを使ってすることでもないでしょう。iwaimさんはこの点で2つの間違いを犯していると思います。
最後にArawodasさんへ、iwaimさんが除去を提案された後それに賛成された「書かない派」はみっちさん1人だけで、後に併記ということで合意され、さらにご自分で本文を編集されていかれました。--Poh 2008年9月5日 (金) 14:39 (UTC)訂正--Poh 2008年9月8日 (月) 06:55 (UTC)
《私の編集傾向についてだけで議論を継続されてこられたのでしょうか?》については概ねその通りです。その上で、編集についての考えが変わったのならば、「吉兆」の今回の議論の対象となったものに対する意見を変更する可能性にも期待していました。残念ながら未だにご理解いただけてないようですが。--iwaim 2008年9月6日 (土) 16:09 (UTC)
理解するのと合意するのとでは違います。自分の考えを強要することも、それにより意見を変えさせようとする姿勢は間違いであると再度申し上げておきます。--Poh 2008年9月7日 (日) 09:41 (UTC)
ウィキペディア日本語版は、共同作業を行う場ですから、共同作業を行うために必要な姿勢について指摘することはまったく問題はありません。
理解することと合意することが違うという点には同意します。しかし、理解していないからこそ、一連の発言が出てくるのだろうな、という印象を受けています。--iwaim 2008年9月7日 (日) 09:48 (UTC)
共同作業のために公式な方針があるのですから、方針を優先し結論を導くことは当然のことです。独自の理論を展開し他人を巻き込む行為の方が問題です。--Poh 2008年9月7日 (日) 10:10 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼/Pohを提出させていただきました。--iwaim 2008年9月7日 (日) 10:49 (UTC)
付け加えますとみっち さんは私が合意したことでご丁寧にも謝辞を述べて頂いてますが、iwaimさんとは喧嘩別れされたようにも見えます。--Poh 2008年9月5日 (金) 13:32 (UTC)
現状の本文を読み返してみていただくと、いつの間にか、この件についての本文の記述は、現状維持でも大きな問題はなくなっているように思います。「食べ残し」という表現が適切であるかどうかはさておき、いつの間にか『「食べ残し」と報道されたことが~』となっており、「報道されたこと」があるのは事実ですし、NHKなどの報道で一般的であった「使い回し」という表現も、その直前に記されていますので、現状のままでも問題ないと思います。最近、私が問題と思っていたのは、肝心の記事の内容の問題から遊離して議論だけが一人歩きし、ノートが無駄に肥大化していることなのです。もうこの件の議論は「解決済み」として終結させ、さっさと過去ログ化していただいても良いように思うのですが、いかがでしょうか。--しまあじ 2008年9月5日 (金) 20:55 (UTC)
しまあじさんも言われる通り既に結論は出ています。下線部の件も、みっちさんがご自分で修正される気でいたのをiwaimさんの言葉に気を損ねて後は任されたようです。その後の議論は本題から外れてるのは分かってましたがiwaimさんが書いてくるので付き合っていただけです。--Poh 2008年9月6日 (土) 09:42 (UTC)
◆この話題が終結すれば過去ログ化してしまってもよいと思います。それなりに大きなサイズとなっていますし。--iwaim 2008年9月6日 (土) 16:09 (UTC)
その後、提出したWikipedia:コメント依頼/Pohでこちらの発言をいくつか参照していますので、コメント依頼が終結するまで過去ログ化をお待ちください。或いは、過去ログ化を行った後もリンクがたどる形式での過去ログ化か、過去ログ化の後でコメント依頼側のリンクの修正を行っていただけるのであれば、このコメント依頼のために、過去ログ化をお待ちいただく必要はないと思います。--iwaim 2008年9月7日 (日) 10:49 (UTC)
◆◆この件では今後はWikipedia:コメント依頼/Pohのみに書きます。--Poh 2008年9月8日 (月) 07:28 (UTC)

「コメント依頼/Poh」のほうは依頼者がコメントをまとめただけで結論を出さずに終了したようであります。「船場吉兆に関する情報の扱い」以降の流れのまとめとして。事件やニュース報道があると編集が増えるのはよくあることです。その中には一時的な衝動や悪意や悪戯もあることは否定しませんが、逆にそれを抑える側は絶対的に正しいかといえばそうでもない場合もある可能性を考える必要もあります。今回の「食べ残し」という表現の扱いについても、端的に言えば好まない利用者が多いのは事実ではありましたが、それを編集で他の語句に置き換えたり除去する場合の根拠を追求してみれば、客観的な理由を述べることができない、すなわち単なる主観や好みのレベルでしかないということが判明しました。また、もしそのような意見に従って編集を行えば、不正確かつ読者に不親切な記述になるというものでありました。これは単に衝動だけで抑えるのではなく、事実を冷静に客観視し考えることの重要性を認識するためのよい機会ではなかったのかと考えられます。--Poh 2008年10月15日 (水) 10:47 (UTC)