ノート:合従連衡

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記事名について[編集]

記事「合従連衡」について、書いておきます。

縦横家の「合従」「連衡」は合唱と連衡が完全に区分されるものではなく、それぞれが関わって「合従連衡」という四文字熟語として書かれることが多いこと。また「合従」しかなく「連衡」の記事がまったくないほど、記述量がないのであれば、「合従」と「連衡」と別々に記述するよりも、記事名を「合従連衡」としてその中で「合従」と「連衡」を書いたほうが記事の見栄えがいいと考えたため、「合従連衡」の記事となりました。

今までの他の記事の例でいれば「尊王攘夷」があげられるでしょう。これも 「尊王」だけの記事と「攘夷」だけの「尊王攘夷」に関する記事を一切書かないというよりも、「尊王」「攘夷」の二つを合わせた「尊王攘夷」が四文字熟語として用いられることが多く、二つを合わせた「尊王攘夷」に関する記事に意義があることなのがあげられます。

また「合従論」「連衡論」の記述量が多くなれば、別記事にすることを個人的には反対しません。ただ「合従連衡」という記事を完全になくす(またはリダイレクト化する)ことには一Wikipedianとして反対します。--経済準学士 2009年11月18日 (水) 00:52 (UTC)[返信]

「合従連衡」の記事となりました」とはまた、まるで自然現象ででもあるような。自分が行ったことでしょ?ご意見は伺いました、それなりにわかりますので、現時点で反対する気はありません。ただし、今後はやはり全体の意見を聞いてからにしていただきたいですね。
あと、私の記述した部分がごっそり消されてますが、問題有りとのご判断でしょうか?私としても専門外のこと、史記を読んでの加筆ですから、間違いであれば消すなり修正するなりは当然と思いますが、そのあたりもご意見を伺いたいと思います。--Ks 2009年11月18日 (水) 01:32 (UTC)[返信]