ノート:原始ピタゴラス数

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記述について[編集]

数学的な厳密性に則って、

  1. a < b (< c) とするもの
  2. (偶数,奇数,奇数) とするもの
  3. (奇数,偶数,奇数) とするもの

とは書いたのですが、 一般的には、

  1. a < b (< c) とする
  2. ユークリッド式では、(偶数,奇数,奇数) とする
  3. ブラフマグプタ式では(奇数,偶数,奇数) とする

というのが WikiPedia の読者(読者層が絞りきれないという悩みはあるのですが)に対しては親切だと考えます。
「どれを採用するかは著者の流儀によってまちまちである。」という表現になった理由はそこにあります。
原始ピタゴラス数は直角三角形とユニークに対応しているわけですが、「相似なピタゴラス三角形のうち、最小のもの」(面積が最小なのか辺長の和が最小なのかという議論は、また別にありうるわけですが)が原始ピタゴラス数であるということになっています(原始ピタゴラス三角形と相似なピタゴラス三角形であり、かつ原始ピタゴラス数ピタゴラス数でないことを証明するというのは、高校生には難しいと思います)。 それもあって、「現代的な、いわゆるユークリッドの式による行列を用いた証明法」と、「(「バベルの塔」で有名なネブカドネザル朝の「新バビロニア」ではない)古代バビロニアで使われていたとおぼしき(後世に再発見された)ブラフマグプタの式による図形的な証明法」は、併記する形で示したほうが利用者には分かりやすくはないだろうか、と考えます。 本来ならば、私が修正すべきところですが、ブロックされているので、他の編集者さんにお任せします。--早朝の掃除屋会話2023年9月8日 (金) 11:55 (UTC)[返信]

もうひとつ、ベクトルに正方行列を掛けるときには、『縦ベクトルに向かって左から掛ける流儀』と、『横ベクトルに向かって右から掛ける流儀』(海軍式)があるわけですが、数学分野で一般的なのは「縦ベクトルに向かって左から掛ける」だと、ソフトウェア業界における配列では横ベクトルが使われている場合が多く、「自由度が2なんだから、二次行列と横の二要素のベクトルでいいじゃん」という意見がありました。
それを考えると、「数学的なわかりやすさ」と「工学的なわかりやすさ」があり、それぞれに上下関係があるわけではないので、「わかりやすさ」という点では(WikiPedia 的にも)望ましいと思います。
現在ブロックされているので、そのあたりは他の編集者さんにお任せします。--早朝の掃除屋会話2023年9月8日 (金) 12:12 (UTC)[返信]

ありがとうございます m(_ _)m[編集]

ブロック解除されました。 みなさま、編集ありがとうございます m(_ _)m。 今後とも宜しくお願い致します。 なお、今後もボケはかまし続ける予定なので、念入りなツッコミは大歓迎です。--早朝の掃除屋会話2023年9月10日 (日) 06:26 (UTC)[返信]

教育的な配慮[編集]

純粋数学的にはまったく問題はないのですが、このページを読んだ高校生(など)に対する配慮を考えると、 p > q というのはいかにもキモチワルイ感じがします。まぁ、私には言う権利がないのですが(後述)。

数直線と云うのは、「向かって左側から向かって右側に描かれる」というお約束があり、グラフにおいても「右肩上がり」という言葉があります。 また a < b < C とか p < q < q とか x < y < z とか k < m < n とかは違和感がないのですが、この暗黙の順序は(数学的な証明に関しては全く問題がないことは充分に承知しているのですが)教育的な配慮としては尊重すべきではないか、と主張します。ヒルベルトは「点・線・面をテーブル・椅子・コップと呼んだところで、幾何学が成立しなくなるわけではない」と宣言したわけですが、教育面に配慮すると、おそらくは理解しやすい形式というものがあると思うのですよ。もうちょっと抽象化して「自然数」「無理数」「超越数」あたりになると「そこは好き勝手にやってください」とは思うのですが、アレフ・ゼロといった形で順序つけられて、連続体仮説なんかの課題につながっているわけですから。

個人的な話になりますが、古代バビロニアで(おそらく)使われていた図形的な説明だと、「面積」と「長さ」がいっしょくたになっているので、工学屋としては「ディメンジョンどうなってるんだよ!」というので非常にキモチワルイ。それを言いだすと、ピタゴラスの定理自体が「面積と数をごっちゃにしている」点でやっぱりキモチワルイといえばキモチワルイ。 遠山 啓さんは「量による指導」ということを提言したのですが、「量と数ってそもそも別物じゃない?」というので叩かれました。『無限と連続』という著書には啓発されました。

そのあたりを踏まえて、教育的な配慮から、(a < b < c)に倣って、p < q とか m < n とかにするのはいかがでしょうか。 「偶数項・奇数項・最大項」は、「e・o・l」または「e・o・d」あたりと表記して、「e と o の大小関係は、どういう条件によって分かれるか」といった話題につながることも期待しております。--早朝の掃除屋会話2023年9月12日 (火) 04:45 (UTC)[返信]

「意欲ある中学生のための 高校への数学」(二〇一七年十月号)を見たところ、各高校の入試問題は、「a > b」「m > n」「p > q」などとなっていました。
これは「バンドワゴン効果」に対する「スノッブ効果」なのではないかと強く疑っています。
出題する側は、「裁く」という立場として受験生に対して優位であるので、スノッブとして「愚かな受験生に対して、私が優位であることを見せつけてやろう」という意図から「他人と違ったこと」を行なうかもしれません。
高校受験生はおおむね中学生ですから、「a < b」「m < n」「p < q」と素直に書け、と思います。
「点・線・面をテーブル・椅子・コップと呼んだところで、幾何学が成立しなくなるわけではない」のは確かではありますが、「中学生を相手にスノッブを気取って何が嬉しいのか?」という疑問はあります。
ところが大学生(理工学部でした)になって解析の授業を受けると、微積分に入る前に「有理数は稠密ではあるが連続ではない」「実数は稠密かつ連続である」みたいな(工業数学とは無縁な)話をされて二割くらいの学生がやめてゆきます。
「差分の極限が微分であり、和分の極限が積分である」というのは、コンピュータによる数値計算においては、ほぼ(近似的には)正しいといえます。だいたい、非線形の微分方程式のほとんどは解析的には解けないので、コンピュータによる数値計算に頼るしかありません。「純粋数学者は、コンピュータサイエンティストに対して、ルサンチマンを抱えているのではないか?」と勘繰りたくなります。
WikiPedia は「万人に対して開かれた事典」を目指しているので、このあたりの見解には配慮しておいたほうがよろしいかと思います。--早朝の掃除屋会話2023年9月13日 (水) 12:49 (UTC)[返信]
そのような大きな話ではなく、単にm2n2 (m > n)n2m2 (m < n) のどちらの表示を著者が採用したかったかという差でしかないのではないのでしょうか。つまり、確固として存在するアルファベット順のm→nに対して、表式内の記号がアルファベット順に書かれる方を優先するか、数の大小関係を右向きに揃える方を優先するかという個々人の美意識ないしその他の主観が反映されたものでしかないというだけなのではないでしょうか。
引き算において表式と不等号は必ず逆方向を向くため、この観点においてどちらの表式が優れたものでもないと私は考えます。どちらが優れているとも考えないため、全て正しく書き換えられるなら特に問題視はしません。(それで逆の思想の持ち主と編集合戦など起こされると話は別ですが。)--Merliborn (会話) 2023年9月14日 (木) 02:47 (UTC)[返信]
私はプログラマなのですが、プログラマというのは必ずしも数学に長けているわけではないので、新人教育においては ある程度の「縛り」というか「ルール」というものを明示しないと、新人が大量に(四割くらい辞める企業もあると聞いています)辞めてしまうので、コーヂングルールというのはエチケット(明文化されたもの。ワインのラベルもエチケットといいます)として示さないと、誠実ではないと考えています。
ソフトウエア開発においては、「変数名は三文字以上の意味が類推しやすい名前をつけよう」とか「インクリメント演算子はポインタに対してのみ使うべきであり、『i++』は『i+=1』と書け」とかいった主張をしてきました。
数式についても、「a > b < c」とか書かれると困惑するわけで、これは「(b < a) かつ (b< c」と書き直したほうがいいと思うし、そうなるとb・a・c の記号を入れ替えて、「(a < b) ∧ (a < c)」と書くのが親切ではないか、と思います。
電算業では「プログラムは動いてなんぼ」みたいな風潮がありますが、「開発」フェイズの後に「保守」というフェイズがあります。「正しさ」は前提条件ではありますが、「可読性」「読みやすさ・わかりやすさ」にも配慮しようよ、という話です。
プロジェクト業務ですと、「動かしたから私の仕事はここでおしまい」という訳にもゆかず、「保守担当者がこのプログラムを読んだときに、正しく保守できるだろうか?」ということを考えて、ソースコードの可読性を上げ、開発文書を書くという作業があります。
わたしは「やっつけ仕事(ハック)」は得意ですが、この「開発文書」の作成には下手をするとコーディングの倍以上の手間がかかります。
「個々人の美意識ないしその他の主観が反映されたものでしかない」というのは認めますが、「当該人物が『WikiPedia の利用者にとって、どのように説明したら理解しやすいだろうか』という一つの解答である」という視点に立つと、「こっちの説明のほうがわかりやすい」という提言があっていいと考えています。
そういう観点からいうの、「ノート」という舞台裏で論評合戦をするのは建設的な行為であり、WikiPedia の精神にもふさわしいと思います。--早朝の掃除屋会話2023年9月14日 (木) 06:36 (UTC)[返信]
「原始ピタゴラス数」のノートにふさわしいとは思いません。--Glayhours会話2023年9月14日 (木) 12:44 (UTC)[返信]
小学校でも分数は教えられています。ですから「既約分数」「互いに素」「約分」「通分」という概念は知られているはずです。「三平方の定理」は中学校で教えられていますが、これはデカルト座標の実数域の話であって、原始ピタゴラス数のような数論とは無関係のこととして教えられます。
これが高校に入ると微分と積分が教えられるわけですが、解析数学になると「稠密性」「連続性」「可算無限」「実無限」という話がおぼろげに見えてきて、さらに大学の理工系学部に入ると、こってりと教えられます。
このとき、「原始ピタゴラス数は無限(可算無限密度。アレフ・ゼロ)に存在する」ことから、「単位円上には無限に有理点が存在するが、稠密ではあるが連続ではない」ことが証明されます。そうすると三角関数というものがどういうことになっているか?という話に持ってゆきやすくなります。
これは数学教育上重要なことではあると考えますので、一概に「ふさわしくない」とは断じられないように思います。--240F:38:5A1D:1:2947:784:155F:DD8D 2023年9月23日 (土) 07:16 (UTC)[返信]