ノート:南武線

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「幹線」について[編集]

>運賃計算上は幹線に分類される。

が削除された理由がよくわからないのですが。-- 2004年9月23日 (木) 03:38 (UTC)[返信]

消したのは私ではありませんが

  • 幹線に運賃計算も込みで書かれていること。
  • 「運賃計算上は幹線である」と書くと、運賃計算の上でのみ幹線の扱いとなっていると受け取れる。

あたりが考えられるのではないかと。Goki 2004年9月23日 (木) 04:14 (UTC)[返信]

修正した者です。上記の理由もありますが、「鉄道路線幹線)」としたのは、ほかのJR線の書き方に合わせたためです。210. 2004年9月23日 (木) 17:11 (UTC)[返信]

なるほど。わかりました。しかし、「幹線」とは私の感覚では幹線の最初の定義にあるように「主要地点間を結び網の骨格をなす重要路線のこと。」だし、南武線は私はそれに当たるとは思いません。だから、「鉄道路線(幹線)」という書き方には疑問を感じてしまうのです。そもそも「割安運賃区間」を「幹線」、「割高運賃区間」を「地方交通線」と呼んだこと自体に問題があるのかもしれませんがね。-- 2004年9月24日 (金) 01:47 (UTC)[返信]

要するに「主要地点」とは、「主要地点間を結び網の骨格をなす重要路線」とは何ぞやということですよね。Goki 2004年9月24日 (金) 07:48 (UTC)[返信]


川崎アプローチ線の項目について[編集]

まず、新聞の引用記事については画像ではなく、なるべく文字に落とす形で御願いします。また、画像のコピーは著作権の兼ね合いもありますので、(Wikipedia:著作権)その辺はクリア出来ているのでしょうか。著作権についてここではかなり慎重なサイトですので。
あと、補強としてJR東日本・神奈川県・川崎市の方での計画が出来ているのかどうかが不明ですが、どうなっているのでしょうか。その辺を御願い致します。Sat.K 2004年9月29日 (水) 09:23 (UTC)[返信]

乗り換えの便が悪いと[編集]

書いてもいいでしょうか? 昔チラッと聞いた話では当時の南武鉄道と東急との関係が悪くて、それが今でも接続にも影響しているということです。 稲田堤駅も接続状況ひどいですよね。知らない人は夜の暗いころだと駅までたどり着けないかもしれません。

稲田堤駅と東急は関係ありませんね…(接続するのは京王相模原線)。いわゆる大東急の頃まで拡大したら、南武鉄道は国に買収され、相模原線はまだ存在しないですし…。ただ、武藏小杉で昔は接続がなかったのは関係が悪かった事に関係しているかもしれません。--Solidate 2005年2月15日 (火) 07:24 (UTC)[返信]

異なる会社の路線同士の乗り換えが不便な例は他にもあるんではないでしょうか。JRと東急の関係でいえば、小杉・菊名は以前の構造のほうが乗り換えが楽でした。特に以前仲が悪かったせいだということもないのでは? というか、そういう話はあまり百科事典的とも思えません。sphl 2005年2月15日 (火) 14:35 (UTC)[返信]

事故について[編集]

>事故・災害等は乗客・乗務員に死者がでたもの、または復旧まで1週間以上要したものに限るべき。
福知山線の事故を受けて追加してみたのですが、このような議論が他所であったのですか?でもノートにも書かず「べき」で全部消すのは乱暴かと。武蔵小杉の事故は重傷者も出たのですが。(匿名) 2005年4月29日 (金) 09:31 (UTC)

数ある事故の中で、比較的大きな事故を選ばれたのでしょうが、それらを選ばれた基準は何ですか?基準を明らかにしておかないと何度となく起きている踏切事故や人身事故、その日のうちに解消した輸送障害などまで書かれ、年表が事故・輸送障害だらけなってしまいます。どこで線を引くかは難しいところかもしれませんが一応上記の基準を示しました。ノートに書かなかったのは申し訳ありません。ノート:鉄道事故では、基準として事故の規模が大きく社会的に衝撃を与えたもの、後年安全技術が進む契機になったものなどが挙げられています。210. 2005年4月29日 (金) 18:24 (UTC)[返信]

出典をお願いします[編集]

この項目を書かれている方が南武線を愛していらっしゃることはよくわかりますが、事実に対する出典が少なすぎるように思われます。「要出典」を貼りましたので、出典を明記できる方がいらっしゃればご協力お願いします。

また、あわせて独自研究と思われる節にテンプレートを貼りました。修正できる方がいらっしゃれば、こちらもお願いします。なお、こちらについてはしばらく待って修正無くば、コメントアウト化しようかと考えています。--本屋 2008年6月10日 (火) 07:49 (UTC)[返信]

出典15のリンクが切れているようです。代替をご存知の方おられれば改訂願います。 60.237.97.194

通勤電車の墓場という表現[編集]

確かに、国鉄末期は他線からの転入車ばかりでしたが、これは横浜線や武蔵野線なども同じ状況であり、南武線だけに特筆される事項ではありません。また、101系の冷房車を集中配置させたこともあり、車両の冷房化率は約8割で、首都圏各線区の中でも、高い冷房化率となっていました。ですので、この表現については、一定期間様子見の後、出典が出なければ削除が妥当だと思います。また、既に数ヶ月が経過しているようですので。あと少しの期間の様子見で十分でしょう。L25.203.l03.26 2010年6月14日 (月) 16:57 (UTC)[返信]

車両の編成数について[編集]

今日気づいて修正しましたが、205系の在籍数は「31編成」であるはずなのに、結構前から「26編成」と誤記されてたみたいですね。中原電車区のほうは出典つきで正しい編成数で書かれているので、この記事(特に車両節)は出典が少ないことが判明したと言うことで。とりあえず、テンプレートを付け加えておきましたが。--125.51.209.49 2013年7月2日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

小田栄駅営業キロについて[編集]

駅一覧の駅間営業キロで川崎新町・小田栄間が0.7km、小田栄・浜川崎間が1.4kmとありますが、これの出典は何でしょうか? 尻手から2.715kmとする記事はありましたが、具体的な駅間営業キロについては小田栄駅に付与されている脚注にもありませんでした。 川崎市の報道資料では小田栄駅は川崎新町駅と同じ運賃とするとしており、偕楽園駅のように営業キロが設定されない可能性もあります。

何れにしても出典の不明確な川崎新町・小田栄・浜川崎の駅間営業キロはいったん削除し、2016年3月(4月?)の時刻表または駅間営業キロの記載された出典をもって記述を戻すといった流れにする必要があると思います。如何でしょうか。 --126.114.154.228 2015年12月23日 (水) 00:20 (UTC)[返信]

2015年9月24日に川崎市の報道発表資料で公表しています。南武支線川崎新町 - 浜川崎駅間 新駅名称を「小田栄駅」に決定!。ここの2ページ目に記載されています。--59.85.8.161 2015年12月23日 (水) 07:48 (UTC)[返信]

南武線205系からのラインカラーの由来について[編集]

旧車のカラーを合わせた物が205系から現在に至るラインカラーの由来であると書かれてますが…

https://twitter.com/nambu2478/status/1357884294308507649?s=21

これによると応募した中学生が外国のサッカーチーム(80年代の西ドイツ代表でしょうか?この記事には書いてないので、その筋詳しい方探していただけるとありがたいです)のユニフォームを元にしたそうです。 出典がTwitterなのでアレですが、当時の新聞記事だとしたらこっちの方が正しいのではないでしょうか? Yokosukamomoe会話2021年10月28日 (木) 16:58 (UTC)[返信]