ノート:北添佶摩

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「佶摩」は誤記[編集]

北添佶摩と書かれていますが、正しくは北添佶磨(きたぞえきちま)です。 一部において変名のひとつが正佶としていますが、正佶は変名ではなく本名(本名:北添佶磨橘正佶=碑文等としています。 北添氏は橘姓を自称していました。)です。 --以上の署名のないコメントは、220.49.196.5会話)さんが 2008年6月11日 (水) 15:14 (UTC) に投稿したものです。[返信]

改名提案[編集]

時系列で並べ変えました。記述内容は変更していませんので、上の「下記の」は「上記の」の意味になります。
さて、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』や『世界大百科事典』日高村教育委員会のサイト高知県立民俗資料館だより『岡豊風日』のPDF高知市のサイト内の「高知市歴史散歩」の記述京都観光産業局の「坂本龍馬と歩く今日のまち」の記述などからも、「北添佶磨」とするのが適切であると思われます。ところで、改名(移動)作業はIPユーザーの方はできませんので、アカウントを取得するか、アカウントユーザーに依頼する必要がありますが、どうなさいますか? --立花左近会話2012年10月14日 (日) 01:30 (UTC)[返信]
その後、もう少し調べましたところ、『坂本龍馬事典 虚構と真実』(加来耕三、2009年、273頁)、『幕末維新大人名事典 上巻』(2010年、新人物往来社、444頁)、『坂本龍馬大事典』(2001年、新人物往来社、94頁)では「佶」でしたが、『コンサイス 日本人名事典 第5版』(2009年、三省堂、436頁)、『新潮日本人名辞典』(1991年、新潮社、573頁)では「佶」でした。二次資料での用例が確認できたことから、明確な誤記とは言えなくなりました。改名はもう少し用例を調べてからの方がいいでしょう。また、改名するしないにかかわらず、両表記を併記しておいた方がいいように思います。--立花左近会話2012年10月23日 (火) 12:53 (UTC)[返信]

父与五郎は庄屋ではなく深尾家家臣です[編集]

佶麿の父与五郎の本来の職は庄屋ではなく土佐藩筆頭家老深尾家の家臣(温知録)です。佶麿は庄屋を兼任していた与五郎から庄屋職を継いでいますが北添家惣領ではなく惣領代でした。