ノート:前進座
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年譜の表記法について
[編集]少し気になるので質問します。表題の件についてですが、前進座についての記事内であるにもかかわらずそれぞれの項目の頭に劇団名を強調して表記している理由を教えてください。--Onsentaro 2005年12月14日 (水) 08:14 (UTC)
- 強調削除は、ありがとうございました。かなり読みやすくはなりましたが、各項目に劇団名が表記されているという問題は残っております。当該記事の年譜の表記について、前進座についての記事であると自明でありながらこのような表記をされる理由をお教えください。--Onsentaro 2005年12月14日 (水) 14:42 (UTC)
- 文の主語が無いと、全消しする人がいましたので…
2005年12月14日 (水) 14:44 NiKe (前進座の記述ではない「年譜」を削除)
2005年12月14日 (水) 15:26 NiKe (再度「年譜」を削除。長十郎じゃなくて劇団の年譜を書くべき)。
海の家 2005年12月14日 (水) 15:15 (UTC)
- 私が消したものはどちらも明らかに河原崎長十郎の「年譜」になっていました。主語が無いから間違えたわけではありません。 腎炎で緊急入院。この日以降休演。以後座員として前進座の舞台に立つことはなくなった とか、 日本共産党への離党届を郵送、自ら記者会見をして明らかに とか、どう見ても「前進座」を主語にして読むことはできないものです。そういう不誠実な責任転嫁は止めて下さい。 -- NiKe 2005年12月14日 (水) 15:26 (UTC)
- 「全消し」は怖いです。とにかく。
海の家 2005年12月14日 (水) 15:30 (UTC)
- お互いの主張を要約すると、海の家さんは「長十郎氏は前進座の主要メンバーであるから本人の年譜も前進座の年譜に記載すべき」ということであり、Nikeさんの主張は「長十郎氏個人の年譜は前進座の年譜とは関係ないので入れるべきではない」という主張でしょうか。本ページでも「長十郎体制」とあることから、長十郎氏の活動が劇団に与えた影響から考えれば、海の家さんの主張もわかりまし、長十郎氏を紹介するページがあるのに劇団の紹介記事に長十郎氏個人の記事を書くのは不自然というNikeさんの主張ももっともです。
ならば、長十郎氏の活動の中で特に劇団に大きな影響を与えた出来事を選んで劇団の年譜に最低限の事実関係とそれにより劇団が受けた影響を記載するというのはどうでしょうか。たとえば、緊急入院の件ですが、一見、長十郎氏個人の出来事のようにも見えますが、当時彼は劇団の幹事長という劇団の代表者であったことから彼が倒れたことは劇団にとっても大きな出来事であるため記載してもかまわないと思います。但し、彼の入院によって劇団が受けた影響は劇団の年譜に記載し、入院の詳細、どのような病気で倒れたのか、倒れたことによって長十郎氏個人の活動にどのような影響が出たかについては、長十郎氏個人の記事に書くというように同じ「長十郎氏入院の記載」であっても劇団と個人との書き分けが必要です。繰り返しになりますが、前進座の年譜には「長十郎緊急入院」という最低限の事実関係のみ記載しそれによって劇団が受けた影響を記し、入院の詳細な内容や個人的な影響については長十郎氏の記事に記載するというようにです。
その他の記事もこのような観点からもう一度見直しを行なえば、年譜において、劇団前進座という主語を省くことは可能だと思いますがどうでしょうか。--Onsentaro 2005年12月15日 (木) 02:38 (UTC)
- お互いの主張を要約すると、海の家さんは「長十郎氏は前進座の主要メンバーであるから本人の年譜も前進座の年譜に記載すべき」ということであり、Nikeさんの主張は「長十郎氏個人の年譜は前進座の年譜とは関係ないので入れるべきではない」という主張でしょうか。本ページでも「長十郎体制」とあることから、長十郎氏の活動が劇団に与えた影響から考えれば、海の家さんの主張もわかりまし、長十郎氏を紹介するページがあるのに劇団の紹介記事に長十郎氏個人の記事を書くのは不自然というNikeさんの主張ももっともです。
演劇的な側面から言いますと、少なくとも大劇場でかけたもののうち、ほぼすべての作品の主演は長十郎でした。もちろん演出家も多くが長十郎自身だった(通常の慣例通り)。:海の家 2005年12月15日 (木) 09:15 (UTC)
- ならば、こうすればどうでしょう。まず海の家さんが主張する「長十郎が幹事長時代の演目のほぼすべての作品は彼が主演し演出も彼が行なった」旨の記述を「長十郎体制」の節の冒頭に但し書きを記し、それ以降の節もその節に沿った但し書きをすれば主語を削除できると思いますが、どうですか。この百科事典は誰もが目に触れるものなので、読みやすい形に限りなく近づけていくのが大切だと考えます。それによって無用な編集合戦を防ぐ効果もあると思います。--Onsentaro 2005年12月15日 (木) 10:10 (UTC)