ノート:刀〈銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光/於作州鷹取庄黒坂造/鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス/長禄三年己卯十二月十三日〉

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銘文と国指定名の齟齬[編集]

調べた所、この刀を作成させ、また自身も鍛刀した鷹取氏は美作菅氏#鷹取氏にあるように、菅原家を自認していて、藤原を称したことはありません。
また、本来刀の銘文は久留米市の文化財紹介にあるように「刀〈銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光/於作州鷹取庄黒坂造/鷹取勘解由左衛門菅原朝臣泰佐打ス/長禄三年己卯十二月十三日〉」であるのを、戦前に間違って「刀〈銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光/於作州鷹取庄黒坂造/鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス/長禄三年己卯十二月十三日〉」として登録されてしまったもののようです。だから、現状の国指定名としては(誤って)「藤原朝臣泰佐」となっているが、銘文自体は「菅原朝臣泰佐」であるという状態になっています。
よって記事名は国の指定に従うなら訂正されるまでは「藤原朝臣」訂正後に「菅原朝臣」、国がどうであろうがその真正の銘文を重視するなら「菅原朝臣」となり、またそれと関係なく、最低でも記事内では銘文自体は「菅原朝臣」であることを明示しておく必要があります。210.167.91.204 2019年2月14日 (木) 10:27 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

記事の名称についてですが、文化財としての登録名が現在使用されているものと思われます。しかしこの名称ですと分かりにくい(この名称すべてを入力してこの記事にたどり着くということはおそらくないと考えております)ということと、ノート:安綱 (庄内藩酒井氏伝来)#改名についてでもございます通り、ガイドラインのWikipedia:記事名の付け方に触れている点が気にかかります。このことから、この記事の名称を「則光 ○○」といった名称に変更できないかと考えております。皆様のご意見を伺えますと幸いです。よろしくお願いいたします。--遡雨祈胡会話2020年8月21日 (金) 15:25 (UTC)[返信]

ノート:日本刀一覧日本刀一覧に記載するように指示を頂いたのに記載できてなくて申し訳ありません。記載を迷ったのは、文化庁編 『国宝・重要文化財大全』 別巻(2000年)のp. 340では、「銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
 於作州鷹取庄黒坂造
  鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス  長禄三年己卯十二月十三日
」と書かれていて(「於」と「鷹」「長」の段差位置が微妙に違う)、どういうことかというと、この本の凡例に従えば、指定名称は「刀銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
 於作州鷹取庄黒坂造
」の部分のみであって、「鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス長禄三年己卯十二月十三日」の部分は「ト書」であるように見えます。ただ、裏銘を卜書にするのは他の日本刀ではあまり見ないような印象なのでどういうことなんだろうかと考えています。また、この部分がト書だとすると、Template:基礎情報 日本刀にも「卜書」欄を作る必要なども出てきて、名前の長さ以上に頭を抱える案件です。
本題である記事の名称についてですが、文中で引かれている久留米市の文書に「この太刀は、則光の黒坂打として古来からあまたの刀剣書に記載がある著名な刀で」とあるので、
  • 黒坂打
  • 則光の黒坂打
  • 則光 黒坂打
  • 黒坂打則光
  • 則光 (黒坂打)
  • 黒坂打 (則光)
などが考えられるのではないでしょうか。『日本刀大百科事典』「黒坂」によると美作国の黒坂は則光の刀が打たれたこと以外に刀剣関係の逸話はないようなので、「黒坂打」のみでも特段曖昧さは生じないような気がします(他に伯耆国にも黒坂という地名があって政暦という刀工の出身地だそうです)。--Senu会話2020年8月21日 (金) 16:01 (UTC)[返信]
ノート:日本刀一覧でのお願いは気になさらないでください(WP:CHOICE)。「Template:基礎情報 日本刀」の件もあったので、無茶振りをしてしまいこちらこそ申し訳ございません。こちらだと[[利用者:遡雨祈胡/下書き5#ケース2 架空と実在を分けて 同名の日本刀は統一]]で試した結果、内容として折れ曲がってくれたのは良いのですが、分量として他の作品や削った備考欄との比率も考えて、極端に少ない長い名前を持つ記事に合わせて一覧の幅を変えるのは現実的ではないと思ったことが切っ掛けでした。卜書については他の作品も今後調査の対象として、テンプレートのノートでどういう風にするか議論するのが良さそうだなと考えますが、なんとなくまとまる気がしないのですよね……
伯耆国の地名である「黒坂」はTemplate:Otheruses記載でいい気がします。他の文献でどう記載されているかを調べてみるのが良さそうですね。--遡雨祈胡会話) 2020年8月21日 (金) 17:06 (UTC)リンクの解除。--遡雨祈胡会話2020年9月10日 (木) 10:33 (UTC)[返信]
名称 出典
則光の黒坂打 内田疎天『日本刀通観』, p. 733, - Google ブックス、岡本偉業館、1937年
黒坂打 内田疎天『大日本刀剣新考』, p. 631, - Google ブックス、改訂版、岡本偉業館、1937年(初版:1933年)
則光の黒坂打 久留米市市民文化部文化財保護課『久留米市:郷土の文化財(第6版)』、113ページ、久留米市、2008年
太刀 銘 備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
       於作州鷹取庄黒坂造
     鷹取勘解由左衛門尉菅原朝臣泰佐打
        長禄参年
十二月十三日
監修(代表者)本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑 古刀篇二』 大塚巧藝社、1967年。p.274。当該刀剣の解説文(執筆者 沼田鎌次)の見出し。
刀 銘 備前國長船住左衞門尉藤原朝臣則光
    於作州鷹取庄黑坂造
    鷹取勘解由左衞門尉藤原朝臣泰佐打之
    長祿參年己卯十二月十三日
本間順治『名刀図譜』 大塚巧芸社、1935年。p.59。写真図版のキャプション。「刀」が大きいフォント、「銘」が中ぐらい、他は小さめ。
銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
 於作州鷹取庄黒坂造
  鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス  長禄三年己卯十二月十三日
文化庁編 『国宝・重要文化財大全』 別巻 毎日新聞社、2000年、p. 340。「於」と「鷹取」「長禄」の字下げ位置が微妙に違い、「鷹取」「長禄」の方がやや離れている(「鷹取」「長禄」は「刀」二字分の大きさだけ「刀」から離れている。書式からして「鷹取」以降はト書き?)。なお、打スの後に「之」はなく、「菅原朝臣泰佐」は訂正されておらず「藤原朝臣泰佐」のまま。
刀  備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
    於作州鷹取庄黒坂造
   鷹取勘解由左衛門尉藤原朝臣泰佐打之
    長禄参年己卯十二月十三日
『刀剣界新聞』2019年9月15日 第49号、第4面。全国刀剣商業組合の機関紙。「質問箱 第二回・末備前」(回答者 冥賀吉也)の年表内〔PDF
『日本刀通観』『大日本刀剣新考』『久留米市:郷土の文化財(第6版)』追加 --Senu会話2020年8月23日 (日) 07:47 (UTC)[返信]
『日本刀大鑑 古刀篇二』・『名刀図譜』・『刀剣界新聞』を追加。--小萩きりく会話2020年8月23日 (日) 08:18 (UTC)[返信]
『国宝・重要文化財大全』 別巻を追加。--Senu会話2020年8月23日 (日) 14:17 (UTC))[返信]

(インデント戻し)過去にノート:波游ぎ兼光#記事名についてで使った時の一覧のベースを持ってきました。記載した後で票の下に追加したなどの簡単な説明と署名をして頂けると、情報共有がしやすいと思います。出典は著者名、書名、出版社、ページ数などできるかけ書いて頂けますと助かります。これ以外でいい方法があれば教えて頂けますと嬉しいです。よろしくお願いいたします。--遡雨祈胡会話2020年8月21日 (金) 17:49 (UTC)[返信]

Google Booksで検索したところ内田疎天氏の著書にあったので追加いたしました。念のため「則光の〜」から含めて表に記載しましたが、もし「則光の『黒坂打』」と解釈すれば、全て黒坂打になります。福永氏の『日本刀大百科事典』「則光」と「黒坂」にもこの刀は言及自体はありますが、則光が黒坂で打ったという事実のみの記載であって、固有名詞的な言い方は特に載っておりませんでした。なお、内田氏の本だと差裏(佩表)にある「鷹取勘解由左衛門(略)」の銘を「表」と表現しているので、太刀と明言はされていませんが刃長に準じて太刀として扱っているようです。--Senu会話) 2020年8月23日 (日) 07:47 (UTC)(訂正、この物件の指定名称は差裏を先に書いているので、「鷹取勘解由左衛門(略)」は差表であり、内田疎天も刀として扱っているのでした)--Senu会話) --Senu会話2020年8月23日 (日) 14:17 (UTC)[返信]
改名提案を見てまいりました。表の編集競合しました…上手く表示されているといいのですが。内田疎天の二著書は私も見ました。というより捜してみても「黒坂打」と書かれたものがそれしか見つからなかったというのが正直なところで、通称「則光の黒坂打」とは本当だろうか?と頭がやや疑問符付きになっております。それと則光の全てが黒坂打ではないし、黒坂へ出張して作刀した長船鍛冶が則光ひとりというわけでもないようです。永光という鍛冶の作で《…美作国鷹取庄於黒坂村作之…》とまた長い銘を刻んだものがあり、『日本刀大鑑』や加島 進『図説古刀史』などに写真が載っていたりします。そのため記事名「黒坂打」だけでこの則光の刀を指すことはできません。今村長賀は刀鍛冶が備前から隣の美作国へ始終往来していた(『剣話録 下』)と言っています。--小萩きりく会話2020年8月23日 (日) 08:46 (UTC)[返信]
参考になるかどうかは分からないのですが、以前柴田政太郎について書いたあと、亰のかたな展の講演にて、末兼氏が「小夜左庵國吉をまだ京都国立博物館では号としてみていない」という話があったようで、確かに見てみると小夜左庵という名称で記載していたのは確認できた限り佐藤寒山の本だけでした。今はとりあえず佐藤寒山がそのように呼んだ、という言い回しに変更してます。言いたいこととしては、割と過去の研究者の方の呼び名は疑ってかかるくらいがちょうどいいのかもしれません。いずれにしても急ぎではないので資料があったら出していくのが確実だと思います。--遡雨祈胡会話2020年8月23日 (日) 09:19 (UTC)[返信]
小萩きりくさん、丁寧に旧字体や異体字も表現してくださってありがとうございます。永光の黒坂打もあるというのは特に有用な情報だと思います。それに、則光の代表作であるので則光から探す人もいるかもしれないことも考え、現時点では「則光」と「黒坂」(あるいは「黒坂打」)あたりが最低限ページ名に入っていると良いような気がします。遡雨祈胡さん、そうですね。重要文化財ですし、他にまだ何か資料があるかもしれないので、しばらく時間を取って考えるのが良さそうです。--Senu会話2020年8月23日 (日) 14:17 (UTC)[返信]
日本刀の文化財でも『国宝・重要文化財大全』別巻と国指定文化財等データベースの両方で「ト書」が使われているケースを見つけたので、情報共有として記しておきます(これ→太刀〈銘備前国長船住左兵衛尉景光、作者進士三郎景政、嘉暦二二年已巳七月日/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁))。--Senu会話2020年9月13日 (日) 09:49 (UTC)[返信]
曾祖父母宅にあった古い小さな刀剣本には鷹取則光って書いてた。御先祖巨人のせいか進撃の巨人となぜか西川貴教を想起した。--153.180.46.165 2022年12月20日 (火) 15:34 (UTC)[返信]