ノート:

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

質問[編集]

パソコン通信の光ファイバーや、それにかかわる言葉を略して「光」といいますが、この場合は

と本文の手前に挿入すべきでしょうか?
--Tagaru 2005年12月27日 (火) 17:00 (UTC)[返信]

ウィキペディアは連想ゲームではありませんから、要らないでしょう。光ファイバー(通信)のことを調べるのに「光」で百科事典を引く人はそうそう居ないと思います。Tietew 2005年12月27日 (火) 16:57 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございました。--Tagaru 2005年12月27日 (火) 17:00 (UTC)[返信]

青と赤と緑のなかで一番明るいカラーはどれだと思いますか。ぜひ教えてください。

自然科学の節: 出典明記し、時代ごと、学者ごとの説明を区別して記述すべし[編集]

自然科学の節について。日本語版は、出典が全然ない記述で、中学生向けの入門書かなにかに書かれたような薄っぺらな、科学史的にみればかなりいい加減な記述が、非常にテキトーに書かれてしまっている。これではいけない。もっと人類の光の理解の変化を一歩一歩、正確に記述すべき。各時代、各自然哲学者、各科学者ごとに、光の理解のしかたは大きく異なっている。現代でも、誰もが同じように考えているわけではない。例えば、古代の自然哲学の段階の理解、デカルトの理解、ニュートンの『光学』での理解のしかた、アインシュタインの理解のしかた、James Clerk Maxwellの理解のしかた、マックス・プランクの理解のしかた、というように、(できれば節を分けて)学者ひとりひとりの理解のしかたを正確に紹介すべき。(なお、過去の理解のしかたを、現在視点でいちいち けなす必要はない(そういう、安易な「けなし」「批判」の記述が、かえって薄っぺらな記事の原因となる)。例えば「ニュートンは...と見なした」「...と考えた」と、批判抜きに中立的に紹介に努めるほうが、各時代の理解のしかたが正確に記述できる。)そして、最後に現代科学での光理解について、もっと正確にもっと詳細に、出典を明示しつつ、記述するとよい。

スペイン語版(es:Luz)はまあまあよく書けていて、「秀逸な記事」にも選ばれている。多少は参考になるかと思う。--222.146.168.127 2011年8月7日 (日) 03:55 (UTC)[返信]


そういった「不足している情報」は、それを認識した人が書き足していくものでは? ご高説は結構ですが、あなたはこの記事に何か貢献したのでしょうか。上記の内容を見るに、少なくとも学部教養程度の知識はあるようですから、ご自身で調査して加筆するほうが賛同を得られるかと。 --180.12.132.214 2012年2月5日

それにしても、およそ主観とか解釈の違いとかがはいる余地のなさそうな箇所にまで要出典等のタグを入れまくるのではこの記事全体の信憑性が疑われかねません。実際信憑性を疑っているとおっしゃるのであれば、それこそ出典付きで一から描き直されれば如何でしょう。--Tuny会話2012年4月4日 (水) 01:58 (UTC)[返信]

現在アクティブなユーザではないようなので、明らかに不必要な(教科書に普通に載っているような)内容への要出典タグは外してしまって構わないと思うのですが、どうでしょう。まぁ、万が一それぞれの項目に出典を付けたい人がいるならば、別に止めはしないので頑張ってくれれば良いと思いますけど。現状では、タグを付けた人の勉強不足にしか見えませんので。 --180.12.132.214 2012年4月8日

情報2011-12-03日にIP:61.112.216.201会話 / 投稿記録によっておこなわれた編集[1]]を差し戻しました。宗教関連の微妙な内容を完全にスルーして、光速度不変などの内容にだけ選択的に要出典を付けているなど不思議な編集ですが(ジョークだったのでしょうか?)、ここ当ノートの上に書かれている2011年8月7日に投稿が行われている上のIP:222.146.168.127会話 / 投稿記録による演説も、どちらも東京OCNのIPからであり、科学関係の項目で長期荒らしを繰り返している人間(LTA:IonianWind)と思われます。以上、参考までに。