ノート:佐藤春夫

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秋田放送のアナウンサーは「佐藤春雄」なので曖昧さ回避する必要はありません。221.187.24.31 2004年12月22日 (水) 04:10 (UTC)[返信]

佐藤春夫 (文学者)を佐藤春夫に戻しませんか?アナウンサーとの曖昧さ回避のために移動されたようですが、一文字違うのでOtherusesで誘導すれば問題ないと思います。著名な佐藤春夫さんはこの人しかいないようです。--Sayosayo 2007年6月12日 (火) 07:42 (UTC)[返信]

提案に同意します。似た漢字ではないためotheruseもなくてもいいかもしれません。--Tiyoringo 2007年6月25日 (月) 12:30 (UTC)[返信]

最期の言葉について[編集]

佐藤春夫記念館(http://www.rifnet.or.jp/~haruokan/about.html)  記念館概要▼応接間

「昭和39年5月6日、朝日放送のラジオ番組「一週間自叙伝」の録音中、「さいわいに…」の言葉を最後に倒れ、不帰の人になってしまいましたが、その録音はここの畳の間で行われていました。」


山田風太郎著『人間臨終図巻 下巻』徳間書店  ラジオ録音に立ち会った放送朝日社員の大熊邦也へのインタビュー

「(録音内容は中学校時代について)そのとき佐藤春夫はこんなことを話していた。「学校ストライキがだんだん大きくなってしまって、学校の特別教室というのが、まあ化学教室やなんかからの1棟が、放火事件で……放火らしい形で……火事が起こって焼けてしまったんでね。そのとき私は東京に来ていたんで、倖いに……」そこで言葉は切れた。」


http://bungo.wikiru.jp/index.php?%BA%B4%C6%A3%BD%D5%C9%D7#d5e3a209)にて指摘されている事。

--HimikO会話2017年10月11日 (水) 02:00 (UTC)[返信]