ノート:住吉大社

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

|

住吉神の始原に関する記述について[編集]

各住吉神社のページで、当社が住吉神の始原であると名乗っている事を記述する分には問題は無いと思いますが、他の神社のページにまで複数の住吉神の始原を名乗る神社が複数あるのに博多のみを記述するのはいくらなんでも問題があると思います。どうしても博多の住吉が始原である事をこのページに載せたいのであれば、他の始原説のある住吉神社も併記すべきです。住吉三神のページにも住吉神の始原についての記述はありますので、無理に記述する必要はないのではないしょうか?意見を求めます。究極の幻想 2007年3月28日 (水) 05:53 (UTC)[返信]

同意。各神社の項目内では、その神社の伝承のほかは「住吉神社の始原については諸説ある(住吉三神を参照)。」と書くだけで十分であり、(密接に関係しているものは別にして)他の住吉神社の始原説について書く必要はないでしょう。nnh 2007年3月28日 (水) 07:36 (UTC)[返信]
「日本全国の住吉神社の総本社である」と紹介されているので、この文だけを読んだ人は住吉神社の始原も住吉大社であると思ってしまう恐れが有るので記述は必要でしょう。--Denki 2007年3月31日 (土) 07:32 (UTC)[返信]

由来と学術的な意味での歴史は区別すべきでは[編集]

歴史のところで「仲哀天皇9年(200年)~祀ったのに始まる。」という記述がありますが、あくまで由来であって、学術的な裏付けのある史実ではないはずです(というかその年代はまだ弥生時代)。もちろん文化的な意味も尊重すべきですからその神社の由来を書くこと自体は重要だと思いますが、あたかも史実であるような誤解を与えないよう「~祀ったことが由来とされる」などと記述を改めるべきではないでしょうか。あるいはセクションを分けてもよいでしょう。--Yoh-yoh 2008年2月7日 (木) 05:04 (UTC)[返信]