ノート:伏見康治

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

理由説明なき一部削除の復元[編集]

114.156.36.32さんが2009年8月31日に理由を説明することなしに記述の一部を削除しましたので、削除分を復元しました。この削除は内容の劣化をもたらすだけで、有害無益だと考えます。もし削除に合理的な理由があるならば、まずこのノートに問題提起をして下さい。なお復元に関する議論の詳細については「Wikipedia:井戸端/subj/あるIP氏の編集活動についての対処」を参照して下さい。 --Midz 2010年2月7日 (日) 12:11 (UTC)[返信]

本人から聞いた話[編集]

が出典として成立するんなら本当にウィキペディアのコンセプトを根底から覆す話なんですが、削除しましたからね、小松左京がどうのという件については。--串的会話2016年10月24日 (月) 15:32 (UTC)[返信]

差し戻しの理由[編集]

差し戻しによって削除部分を復元しました。 串的さんは、本人から聞いた話を出典として記事を書くのはけしからん、と言って一刀両断に削除しましたが、根拠が本人からの伝聞だけなら、お説の通りだと思います。 しかし、「物体O」の登場人物のモデルが伏見康治だということについては、「本人から聞いた話」は話のきっかけに過ぎず、この記述の根拠は状況証拠にあります。

つまり、阪大理学部の核物理の教授で、学術会議、原子力問題で政治家や役人を相手に活躍した、となれば伏見康治以外に考えられませんし、しかも教授に伏見のアナグラムであり、世間では余り見ない「三伏」をいう姓を与えているのは、むしろ小松左京が『伏見がモデルだ』ということを誇示しているようにも見えます。

『三伏教授のモデルが伏見だ』ということについて、印刷された出典を示せないのは弱点ですが、この小説は小松左京の小説の中でマイナーなものなので、中の登場人物のモデルが話題になることはまずなく、印刷された証拠文献があるとは思われません。 私自身、「物体O」は、そのころ名古屋の公務員住宅に住んでおられた伏見先生のお宅で、『この中の三伏教授は僕がモデルなんだそうだ』と言って先生から「物体O」の載っている文庫本を見せられて初めて読んだ小説です。

伏見康治と小松左京との間に交友があったかどうか知りませんが、どちらも関西に住んでいて、どちらも世間の広い人ですから、たまたま会う機会があって、『これは先生をイメージしながら書きましたので』と言って本を贈呈されたのかも知れません。 しかし、状況証拠だけで誰をも首肯させる内容でありながら、誰かが書かなければ埋もれてしまう話ですから、「伏見康治」の記事の中に書き留めておくことは十分に意味があると考えます。 いかがでしょうか。--Midz会話2016年11月3日 (木) 02:58 (UTC)[返信]

第三者的に見て、上記の長いお話は、説明になっていません。--XYZ-0990会話2016年11月5日 (土) 14:34 (UTC)[返信]
Wikipedia:独自研究は載せないという方針がありますのでMidzさまが独自に立てられた説はウィキペディアに載せることはできません、ご理解下さい。ただし、大変面白い仮説ではあると思いますので、ご自身のブログやSNSで発表されると良いと思います。--串的会話2016年11月5日 (土) 16:06 (UTC)[返信]
報告 問題の記述が加筆されたまま放置されていましたので、先ほど除去しました(差分)。「故人から生前にそう聞いた」という主張や状況証拠だけでは、Wikipediaにそのことは記載できません。方針の「検証可能性」(特に「『真実かどうか』ではなく『検証可能かどうか』」節)、およびガイドラインの「信頼できる情報源」(特に「概要」節)をお読みください。利用者:Midz会話 / 投稿記録さんが記述を復帰なさりたいのでしたら、信頼できる情報源出典として提示してください。--侵入者ウィリアム会話2018年11月25日 (日) 11:34 (UTC)[返信]
情報 利用者:MidzさんがWikipedia:井戸端/subj/記述に印刷された情報源が絶対必要かを作成しました。--153.205.3.116 2019年10月3日 (木) 09:56 (UTC)[返信]