ノート:伊達朝宗
伊達朝宗を伊達常陸入道念西への改名提案をしたいと思います。伊達氏の初代当主に関しては、同項目を御覧になればお分かりの通り、朝宗の息子とされる宗村説が出されている等、未だはっきりしたことが分かっていないからです。伊達氏の初代を朝宗にするにせよ、宗村にするにせよ、“常陸入道念西”と言う人物であると言う点では一致しています。そこで、伊達常陸入道念西への改名とした方が良いと思われますが如何でしょうか。--202.209.203.126
- 常陸入道念西の記事を分割作成すれば足りると思います。織田敏信と織田良信など、同一人物である可能性のある人物の記事が複数作成されている例は存在します。--Kangoshiyouichi 2007年8月23日 (木) 01:38 (UTC)
- 確かに、そうですね。常陸入道念西の記事を分割作成します。--202.209.203.126 2007年9月4日 (火)
- 分割の手順が誤っています。Wikipedia:ページの分割と統合を一読してください。履歴統合依頼を出して移動扱いにしてもらえるようお願いしてきます。--Kangoshiyouichi 2007年9月12日 (水) 11:52 (UTC)
- 履歴統合は認められないケースらしいですが、とりあえず新規作成扱いする余地があるとのことです。[1]。一度削除依頼に出して手順を踏んだ上で再度作成した方がより安心なのですが。--Kangoshiyouichi 2007年10月26日 (金) 06:00 (UTC)
実宗、秀宗、助宗の名字について
[編集]「常陸入道念西と朝宗」の項で、宝賀寿男氏の説として『新編常陸国誌』を元に実宗に伊佐、秀宗に中村、助宗に中村の名字をあてる編集がなされたようです。宝賀寿男氏についてはよく存じないので、ここでは言及を避けたいと思いますが、「『新編常陸国誌』を元に」と前置きして、前述のような名字をあてるのには、やや疑問があります。
『新編常陸国誌』は伊佐の項目に[補]と註して、「伊佐氏の先は中納言藤原山陰より出ず」とした上で、①実宗は初め真壁郡中村に居て中村を称した。 ②秀宗は山尾に居て山尾蔵人を称した。また下野守に任じられ芳賀郡に居り、その氏に因んで地名を中村と改めた。任期が満ちて伊佐荘下館に還り、下館侍従と称した。 ③助宗については氏の言及なし と記述しています。
細かな所で疑問の多い説です(今はそこまでは言及しません)が、上記のように記されているのですから、そういった説が実際に語られていた事実はあるのだと思います。ただし、同書を素直に読めば、①実宗は、本姓が藤原で後に中村(由来は、下野中村ではなく常陸真壁郡の中村) ②秀宗は初め山尾(おそらく現在の茨城県桜川市山尾)で、後に中村、最後に下館(現在の茨城県筑西市) ③助宗は不明 と名乗っていたと解釈できるのではないでしょうか?
以上のような理由で、「『新編常陸国誌』を元に」という記述のあとに、「伊佐」実宗、「中村」秀宗、「中村」助宗と書くことには少し違和感を感じてしまうのですが、いかがでしょう?もしもそう書くのだったら、実宗を伊佐、秀宗を中村、助宗を中村とする根拠を何処に求めたのか、説明があったほうが親切かと思います。またこのままでは、実宗を伊佐、秀宗を中村、助宗を中村とするのは、宝賀氏の説であるように読めてしまいますが、宝賀氏がそのように言及しているのでしょうか?
話はそれますが、念西=常陸大掾説が提唱されていることは事実なので、そのことに触れることは全く問題はないと思います。ただし、『新編常陸国誌』は「伊佐」の項で伊佐=藤原氏説をとっていて、「常陸大掾系図に多気維幹の二男為賢を伊佐氏の祖とするは付会の説なり」と、わざわざ伊佐=常陸大掾説を否定する一文を載せています。またその後に[補]と註して、「伊佐氏の先は中納言藤原山陰より出ず」と記述していますので、参考までに…。
えらそうに長々と書いてしまって申し訳ありませんが、よくわからないので、どなたかお教えください。利用者: 219.6.151.50
- 「実宗に伊佐、秀宗に中村、助宗に中村の名字をあてる」に関しては以下リンク先[2]の『常陸国真壁郡伊佐庄という地』の項を基にしています。その項で、宝賀氏は「神主菅野氏の系図(『梁川町史』5 古代中世 資料編Ⅱに所載の「梁川神主系譜」)の初期段階では、伊達氏の先祖との重なる通婚が見られ、伊佐実宗の子に中村秀宗、さらに中村助宗、伊達宗村の名が見える(一方、朝宗の名は見えない)。菅野氏系譜と『新編常陸国誌』との一致からいって、伊達前史の中村助宗・中村秀宗という名前には、かなり信頼がおけそうである。」と述べておられます。従って、出典の資料としては『新編常陸国誌』ばかりでは無く、「菅野氏の系図」も記すべきだったと考えていますが・・・。--202.209.203.126 2007年9月20日 (木)
なるほど、「菅野氏の系図」というものがあるんですね。勉強になりました。出典なり参考資料として「菅野氏の系図」の記述を加えたほうが良いかもしれませんね。また、「いずれにせよ、初期伊達氏の系譜には解明すべき所が多く見られるのが現状である。」と結びの部分に書いてあるので、他にどなたか詳しい方が別の説なども記述してくれると更に充実するのかな、とも思います。202.209.203.126さん、解答いただきましてありがとうございました。利用者: 219.6.151.50 2007年9月20日 (木)