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ノート:今村力三郎

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墓の所在地について

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墓の所在地について、出典がなく曖昧です。

飯田所在説
  • 「墓もこの飯田にあり、山に囲まれたこの地を生涯愛されたことが偲ばれる。」 - 石村修『今村力三郎小伝』[1]
多摩霊園所在説
  • 「息子の今村学郎は理学博士で同墓に眠る。墓誌碑有り。」 - 『今村力三郎』史が眠る多磨霊園[2]
  • 在京飯田高校同窓会『第8回「飯田ゆかりの地を歩こう会」報告記』[3]2014年11月6日付。

多磨霊園の所在情報は、具体的であり、確実な情報と見てよいでしょう。一方で、飯田に墓があるという情報は、根拠となる情報が示されていません。今村法律研究室発の資料を鵜呑みにするのであれば、両論併記『墓所が2箇所に存在する』となりますが。記事への反映は見合わせておきます。--Bellis会話2018年2月12日 (月) 06:15 (UTC)[返信]