ノート:人間の性の諸相

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「位相」といふ語について[編集]

この記事において、「位相」は、どういふ意味でつかはれてゐますか。辞書をしらべますと、數學用語と物理學用語と言語學用語がある樣ですが。どれにあてはまるのでせう。それとも、また別の用法か。--壽日 2006年7月31日 (月) 12:01 (UTC)[返信]

「三つの意味」というのは、例えば、GOOの辞書で引いてみると確かに、「位相数学」、「振動の位相」、言語学での「位相語」というような三つの例しか出てきません。しかし、哲学的な著作ではよく出てくる文語的な言葉です。Aspect(様相・相)、Phase(位相・局面)などの意味です。例えば、Google で「哲学 位相」として検索すると、最初の二十件に次のような形で使われていることが分かります。:
1「忠誠と 反逆―転形期日本の精神史的位相」、2「臨床哲学. が住み着く 位相はおそらく……」、3「科学的地の位相」(註:おそらく「科学的知の位相」のミスだと思える)、4「ポストモダン」の教育学的位相」、5「国家との関係における人間の 位相は……」、6「国家 との関係における人間の位相と公共性」、 7「"communicatio" の存在論的, 社会哲学的位相―」、8「「ア・プリオリ」という枢軸概念の一位相に 対してカントが自ら与えた……」、9「フレーゲ論理哲学的探究の認識論的位相と……」、10「日常における宗教の位相」、11「陽明学の位相」、12「知のアンソロジー ―ドイツ的知の位相」、13「定言命法における 二つの位相と……」、 14「西田哲学における「行為 的直観」の位相と……」……
(1から14の番号はわたしが付けました)。
以上のような使い方での「位相」は、「局面・相・ありよう」というような意味ですが、数学・物理学・言語学での用法とは意味が違います。特に、「知の位相」というような言い方でよく出てきますが、これは「知のありよう・知の置かれている位置・次元・局面」というような意味です。現在の若い人たちはあまり知らないのかも知れませんが、いま Google 検索の結果で示したように(137,000件ヒットの最初の二十件からの拾い出しです)、わたしが勝手に発明した表現ではありません。「人間の性を多様な位相から研究する・分析する」などと云った場合は、「色々な面から研究・分析する」ということです。文語的表現です(これが元々の漢語の用法の筈です)。「人間の性のありよう」は具体的だが、もう少し表現を文語的・漢語的に引き締めたいときに「人間の性の位相」という風に使います。納得戴けましたでしょうか。--Maris stella 2006年7月31日 (月) 20:26 (UTC)[返信]

ううむ、なるほど。いや、よう分かりました。恥をさらしたかひがありました。中国文學者の高島俊男(1998年當時、61歳、若い若い)が、「位相」を「コケおどし効果」、「「位相」というのは、(中略)自由自在に変化するすこぶるアイマイなことば」と仰つてゐますが、僕はこれを真に受けてゐました。この場合、「人間の性の位相」はどういふ意味なのだらう、と疑問の思つたわけです。しかし、「位相」には広く認められてゐる共通の義があるといふことなので、これからは認識をあらためます。Maris stellaさんの深き見識を尊敬します。ありがたうございました。--壽日 2006年8月1日 (火) 05:12 (UTC)[返信]

(追記)自己滿足のため、追記します。さて、高島俊男の仰つたことがただしいかどうか僕には分かりません。位相といふ語が「コケおどし」効果のためにあるかどうかはわからない。これがあつてゐるとしても、1998年の發言であるし、2007年である今広く認められた語義があつてもおかしくないかもしれない(これまた、僕には分からないのですが)。ここで問題になるのは、辞書にMaris stellaさんが仰つた説明、「知のありよう・知の置かれている位置・次元・局面」がのつてゐないこと。べつに僕は辞書至上主義ではないのですがやはり、辞書にのるほど広く出回つてゐる語義ではないのではないか、と氣になるのです。そんなこんなで、Star of seaさんの、人間の性の諸相への記事名の移動に、賛成します。といふわけで、上述の補足、辯解でした。--壽日 2006年8月4日 (金) 15:06 (UTC)[返信]

記事内容の改善へ向けて[編集]

Maris stellaさん、精力的な記事執筆、ごくろうさまです。とても面白く拝見しました。ただ、たしかにやや随筆的な面もあり、最善の状態とはまだいえなさそうです。

まず一番根本的なところで伺いたいのは、人間の性の記事と今後どのように棲み分けていくのか、という問題です。統合するという案もあり得ると思いますが、それはMaris stellaさんの真意ではないのかなと思いますので、今は別記事として置いておくことを前提にします。例えば検索してやって来る人の動きを考えると、セクシュアリティなどで検索して、そこから「人間の性」に誘導されて、さらに「人間の性の諸相」に誘導されていくのが一般的になると思います。その時、「性」などの単語で検索してくる人は、漠然と性について知りたいか、自分が探している項目がどんな名前かわからずにやってくる場合が多いと思います。そう考えると、人間の性では文章での説明はなるべくコンパクトにした上で、性関連の重要記事を見取り図的に提示するページとするのがよいのではないかと思いました(ただ、それだとポータルと役割がかぶってしまうでしょうか)。

には一応「人間の性」へのリンクを足しました。セクシュアリティは「人間の性」へのリダイレクトにしてよいのでしょうか。

その上で、現在人間の性にある「○○なアスペクト」の内容の大部分を「人間の性の諸相」に移動し、整理をすれば、重複部分が減り、ユーザーフレンドリーになると思います。その際、節の順番を、なるべく両記事で同じにしておけば、よりわかりやすくなると思います。

次いで具体的な内容ですが、まず生殖、生理学的な性の位相を一つの節として先にまとめたほうがよいのではないかと思います。いまも緩やかにそういう流れになっていると思いますが、はっきり節として独立してはどうでしょうか。生殖行為として必要である、という話を最初にきっちりまとめ、そこから生理学的な内容(生殖機能にまつわる医学的内容)への分岐と、社会制度としての性のありかたへの分岐(結婚制度、ジェンダー、異性愛・同性愛などはここで語れるのではないかと)、快楽を目的とする多様な社会的広がりへの分岐と展開していけば、話の見通しがよくなると思います。

生殖行為としての性の内容については、今の「人間の性の諸相」の「愛と生殖」の節の前半部分を独立させ、「人間の性」から内容を移動すれば、充分な量になると思います。生理学的な内容は「人間の性」から移動した上で、加筆が必要でしょうか。社会制度としての性にまつわる規範や、宗教的な性行為の禁忌などについては、今は内容が不足しているような気がするので、もう少し内容が欲しいと思いますが、整理してみたら充分な内容がすでにあるのかもしれません。

以上、リクエストばかりになってしまい、申し訳ありません。Maris stellaさんのなさっているお仕事が体系的で、私などが直接加筆するのがためらわれるために、こういう形になってしまうこと、ご理解ください。--Aotake 2006年8月2日 (水) 04:01 (UTC)[返信]

白紙化dbからの差し戻し[編集]

Maris stella (=Star of Sea、要するにマリア様ですね(笑))さんがご自身で白紙化dbされたのでとりあえず戻しておきました。

  • 現時点でそれなりの方向性があるので、削除するのが惜しいこと
  • 投稿した時点で、記事は投稿者の「もの」では既になくなっていること
  • 方向性を確定するなら、ある程度論議があってもよかろうと思うこと
  • これに関連して、項目が削除されてしまうと、ノートも削除されてしまうので、Aotakeさんの投稿が無駄になってしまうこと

がその理由です。恐らく人間の性では何か足りなかったことがあって、Maris stellaさんはこの項目を構想なさったのでしょう。それは何かと忖度しますと、人間の性は広く浅い項目で一貫した視点をあえて避けている点にあるのだと思うのです。人間性の発露としての性の諸相という点に関しては同項目は多くを語っていません。その種の「語り」はエッセイだ「独自の研究だ」不要だ削除だ追放だと声高な人々もおられることはよく存じていますが、それなしでは読める文章は書けないものです(私もたびたび自分が編集した項目でこっそり「語って」います)。

さて、人間の性に諸相がある、それが外からどのように見えるかというと、文化(芸術、宗教を含めています)や社会との関わりに於いてです。生物学的な性はそう簡単に変わらない(20世紀になって初めて、テクノロジーの進歩から社会や経済に「生殖」が関わるようになり、今後は関わりが深まっていくでしょうが)のですから、諸相の出様がありません。私の理解でも、この項目は主として文化史的な観点から性のさまざまなあり方、変遷を説明しようとするものだと思っていたのですが、違うのでしょうか? --NekoJaNekoJa 2006年8月3日 (水) 03:41 (UTC)[返信]

説明するのが、何というか困難ですが、「プロジェクト 性」でのカテゴリの訂正提案は賛成となったので、これについて、作業をする必要がありますし、「性に関し総合的に展望する」視点の構築などの作業も、まだまだ継続する必要があります。Aotake さんの感想には実はたいへん感謝していると共に、色々と考えることもあったというのがあります。一旦、仕切り直しをしたいと思い、即時削除と決めたので、削除された後で、Aotake 氏などにはお詫びの言葉とか、今後の考えなどを述べたく考えておりました。「即時削除」が完了しない段階では、そういうメッセージを書くのもおかしいとも思えたからです(また、ウィキペディアには、他人が善意で努力している行為を、わざと妨害して喜ぶという人間がいます。従って、ここでは、真意とか妨害される可能性のある今後の方針、考えなどは書けないという事情もあります。書くと、妨害する者がいるからです。ここはそして、そのような妨害者に対し、極めて寛容で、どこでどうなっているのか、確かに、一部か、多くの人達が「何かを」作為的に押し通そうとしている場所でもあるのです)。NekoJaNekoJa さんには、何時もご迷惑をおかけして申し訳なく思っております。何卒、ご了解願いたくも思います。--Maris stella 2006年8月3日 (木) 06:09 (UTC)[返信]

種の保存論と目的論的記述について[編集]

種の保存論は明確に間違いなので削除しました。詳しくは群選択ををご覧ください。それと目的論的な記述は物事を説明する時のたとえ話とはしては有効ですが、一歩間違えると単なる誤解の元となります。現在の記述ですとかならずしも目的論的な記述をしなくても、人における性の生物学的意義を説明できる内容だと思いますので、特に反対がなければそのように書き換えさせていただこうと思います。--124.211.118.91 2008年7月2日 (水) 05:43 (UTC)[返信]