ノート:京城帝国大学

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初等学校への就学率は併合時代の最末期で男子が93%、女子が70%代にまで急上昇した[編集]

根拠となる出典 提示してください。 朝鮮総督府統計年鑑1942年では男子75% 女子33%で平均55%とされているが 正確ではない。 学童児童数が公表されていないため総督府は学童数を人口の13.5%として計算していた 試算してみれば男子が60%、女子が25.2% 平均42.6% とあります 日本の朝鮮統治 鈴木譲二 著 学術出版会 P215 --Osamu angel会話2021年6月4日 (金) 12:01 (UTC)[返信]

「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し[編集]

近代化に乗り出したが財政が疲弊し、計画どうり建設できなかった。 学校が増加できなかった背景や理由を記載すべきです。

でないと閲覧者は朝鮮には学校がなかったのかと思います 閲覧者に朝鮮を卑下し、遅れた国家だと思わせる目的をもって 執筆しているように感じます。

当時の朝鮮は菅公立は40校だけですが、キリスト系私学や 庶民の教育機関の書堂がありました。

書堂は併合時には26400校(朝鮮総督府 統計)あり村には 5校はありました。 韓国における初等教育の普及 1911~1955年 木村光彦

国権運動の結果識字運動がおこりハングルが国文とされ ハングルが中心となっていました。 日本はハングルを抑圧したのであって、広めたのではありません。 授業時間を減少させ1942年以降はハングルは授業では 教えられなくなりました。

日本は日本語普及に全力をあげ(教育令)その結果ハングル抑圧されたのです。 教育令のどこに「ハングルを必衰とする」と記載されていますか

そこで朝鮮政府の借款の中から臨時学事拡張費を出させ学校増設や設備費にあてさせた 教育制度を整備、日本人教員を配置し、教監、学監を置き事実上学校を支配 日本の.介入が進んだ 日本統治下の台湾・朝鮮における植民地教育の比較研究史より--Osamu angel会話2021年6月4日 (金) 12:59 (UTC)[返信]