ノート:二本松氏

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素朴な疑問ですが、何故この記事名は「二本松氏」なのでしょうか? 西安達を領した畠山氏は、公式に氏を「二本松」と名乗ったことはなく、中世文書を見ても「畠山」でありました。

もちろん地域名から「二本松」とよばれることはあったでしょうが、それは大内定綱が「塩松(四本松)」、田村清顕が「三春」などと呼ばれることと同様の俗称です。 南東北の中世・近世史を鑑みるととても違和感を覚えますので、この記事の根拠などあるのであれば、ぜひその根拠(根本史料名など)を示していただきとうございます。もしなければ記事の編集をしたいと思います。222.2.14.88 2006年1月31日 (火) 13:43 (UTC)[返信]

二本松畠山氏の子孫は、二本松姓を称していますね。医学博士二本松錠識氏の建立による一族の墓碑によると「我が家は本(もと)畠山氏と称し、後二本松氏と改めたり。」とあります。完全に二本松氏に改めたのは、伊達政宗に虐殺された畠山義継の次男 ニ本松右京進義孝からですが、はじめは俗称とはいえ後に二本松姓に改めたのを考えると、二本松氏にした方がよいように思います。項目名は二本松氏とし、小項目で二本松畠山氏をつくり、義継までの記録はそこにとどめる。以後の事績については、二本松氏という小項目を別に設けて書いてはどうかと思います。

後北条氏の初代に、氏綱ではなく、早雲もカウントしているのと同じ論理ですね。--海衛士 2007年3月5日 (月) 14:02 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

本項目より分割提案を経ずして分割された二本松畠山氏の、本項目への再統合を提案いたします。二本松氏を正式に名乗ったのは義孝からというのは根拠が乏しく、複数の二次資料が国詮から義綱までを二本松氏と見なしており、別項目とする必然性がないと思われるためです。先行議論として、ノート:二本松村国#改名提案をご覧下さい。--立花左近会話2012年3月27日 (火) 16:05 (UTC)[返信]

報告 異論が出なかったため、統合を実施しました。--立花左近会話2012年4月4日 (水) 04:37 (UTC)[返信]