ノート:二子橋

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読み仮名について[編集]

  • 「ふたごばし」とする記述[1]、「ふたこばし」とする記述[2]の両方が見つけられます。「ふたごばし、ふたこばし」のように併記した方が良いと思いますが、いかがでしょうか。それとも、どちらかで決まり、という文献はありますでしょうか? -- Ron 2004年11月29日 (月) 11:33 (UTC)[返信]
二子」の読みは「ふた」です。後に玉電東急が名付けた駅名で「ふた」と呼ばれはじめ、その関係もあってか今は巷ではあまり意識されずに両方使われているようです。それ故、一部には表記のゆれがあるかもしれませんが、公文書などを含め地名としては「ふた」と濁って読む方が正式になっています。--Cory 2006年5月22日 (月) 00:14 (UTC)[返信]
二子橋には「ふたこばし」と刻まれています。地名は「ふたご」でも、橋や駅名が同じ読み方とは限りません。かつての「旭川」なんかが好例で、地名は「あさひかわ」でも駅名はながらく「あさひがわ」でした。本日現地に「ふたこばし」と書かれてあるのを確認したので、両名併記としました。--PeachLover- ももがすき。 2007年7月21日 (土) 12:33 (UTC)[返信]

新二子橋の竣工時期について[編集]

京浜河川事務所のデータは、純粋に河川に架かっている部分のもののようですね。川崎国道事務所の沿革によると、1978年6月30日が完成と供用開始ということです。どっちがいいのだろう? --崎山伸夫 2006年5月31日 (水) 18:04 (UTC)[返信]

なるほど、それは迂闊でした^^;。
(憶測ですが)あの橋の構造上、瀬田方面の陸橋が出来るまでは供用してもあまり役に立たないでしょうから、先に橋が出来て、その後瀬田まで完成した時点で供用開始になったのかもしれませんね。または単なる京浜河川事務所の誤記だったら嫌ですが(苦笑)、さすがにもう当時の記憶は無いからなぁ...

とりあえず手許に資料があるか探してみます。また、銘板、または河川敷占用に関する表示が現地のどこかにあると思いますので、機会があれば探してみます。

しかし橋自体の竣工は昭和49年なのかもしれませんから、確認できるまでは、その記述は残した方がいいように思います(後で「銘板に書いてあった」などといって直してくれる人がいたら申し訳ないですし(^^;)。 とりあえず「※供用開始は昭和53年 6月30日」などと添え書きを入れておいたらいいように思いますが、いかがでしょうか。
--Cory 2006年6月1日 (木) 10:15 (UTC)[返信]

まだ新二子橋の銘板は見てきていませんが、編集ついでに新二子橋の供用開始日を追記しておきました。--Cory 2006年6月7日 (水) 12:08 (UTC)[返信]

銘板はまだ見てきていませんが、機会があったので資料を見てきました。

  • 昭和47年地形図には橋自体記載されていない。
  • 昭和51年地形図には橋が記載されている、ただし国道指定はされていなかった(このとき二子橋・多摩沿線道路とともにバイパスの方が既に国道指定されていた)。
  • 平成 2年地形図ではバイパスおよび新二子橋が国道指定(二子橋および多摩沿線道路は国道指定が外れている)。

昭和51年時点で橋はあったようですが、使われていたかは不明です(1/2.5万地形図「溝口」では左岸側が途切れており、隣図「東京西南部」に含まれるので、今回は未確認です)。やはり、竣工と道路供用開始とで数年ズレがあったのかもしれませんね。
--Cory 2006年6月11日 (日) 00:48 (UTC)[返信]

とりあえず、東京・横浜バイパスのほうでは、玉川高架橋の供用開始が1978年というのが確認できているのでそれに従った記述にしました。 --崎山伸夫 2006年6月11日 (日) 05:17 (UTC)[返信]

国道事務所の沿革を見てみたら、高島屋駐車場の地上権設定が S51(1976).11.26 になっていた(この時すでに新二子橋は地形図に描かれていた)ので、成程やはり新二子橋竣工時には、その先の高架橋が出来ていなかったのかな(または地権者と交渉中で使えなかったとか)、ならば本文中の表記も、あのような感じ(竣工と供用開始に数年のズレがある)でいいんだろうと思えました。--Cory 2006年6月11日 (日) 06:26 (UTC)[返信]

遅くなりましたが、一応銘板を見てきたところ、1974年 3月 のようです。とりあえず本記事の記述はあれで良さそうですね。--Cory 2006年6月16日 (金) 17:55 (UTC)[返信]