ノート:二子新地駅
二子新地駅#歴史のような書き方をしている資料は一番よく見かけるので正直違和感がないのですが、いっぽう話としては玉電時代の電停名は「二子」(ふたこ)だったという話も聞くことがあり、しかしその変遷を明記している資料が無いので、二子新地駅#歴史を改めるべきか迷っています。
現在手許にある資料がふたつ。
- 大正15年時点の路線図に記載無し(開業前なので当然ですね)、昭和 9年12月時点で既に「二子新地前」。
- 隣の現在二子玉川駅は、大正15年時点で「玉川」、昭和 9年時点で「二子玉川」(大井町線の方を採用しているのかも)。
- 昭和 4年地形図
- 「ふたこ」。
- (ちなみに隣の現在二子玉川は、玉電が「たまがは」、大井町線が「ふたこたまがは」)。
上記のほか、玉電時代の記念切符に「二子」の駅名があったように記憶しています(見た記憶があるのみで資料は持っておらず)。
東急玉川線#歴史を見ると、「玉川」駅の改名は 1939(昭和14)年になっていますね。東急への合併後、読売園になるまで玉電・東急玉川線の駅は「玉川」だったようです。
しかし「二子新地前」駅については資料がなく、全くもって不明です。玉川電気鉄道(実際には東急玉川線)の記事に溝ノ口線の記述が無いので追記しようと思っているものの、とにかく資料が無さすぎて、判断つきかねています。「二子」駅が「二子新地前」改名した時期などについて、何か御存知の方がおられましたら本ノートでお知らせいただけると幸いです。
--Cory 2006年6月14日 (水) 19:59 (UTC)
- 公式ページでは軌道時代は無視されているようですね。
- 二子新地駅ですが、今尾恵介著『消えた駅名』(東京堂出版 2004年 ISBN 4-490-20530-9)p.295によると開業時は「二子」で二子新地前への改称は1935年(昭和10年)頃となっています(前後2~3年の幅があるとしている)。また、今尾恵介著『地形図でたどる鉄道史』東日本編(JTB 2000年)に掲載されていた大日本雄弁会発行『日本遊覧旅行地図』(昭和11年)から転載の路線図では「二子」となっていました。210. 2006年6月15日 (木) 20:13 (UTC)
- 210.さん、ありがとうございます。「二子」時代を紹介している書誌があったんですね、よかった。指摘いただいたように、ホームページにしても電バスにしても、東急の資料では合併以前のことは検証されていない(無視されている)ようだし、玉電を紹介した書誌では溝ノ口線についてほとんど検証されていない(半ば無視されている)ようで、困っていました。
- 「1935年(昭和10年)頃」については、さらに時期を特定できる史料があるか引き続き探してみたいと思いますが、かつて「二子」時代があった事は確かだろうと思うし、周囲の状況等から判断しても、「1935年(昭和10年)頃」に改称されていただろうと思います。今回いただいた情報をもとに玉川電気鉄道へ溝ノ口線についての加筆と、二子新地駅#歴史と駅名の由来の書き換えの検討を進めたいと思います。
- 他にも資料やご意見等がありましたら、よろしくお願いします。
- --Cory 2006年6月15日 (木) 21:49 (UTC)
- 二子三業組合の話を入れるついでに、210. さんに頂いた情報「1935年頃」を織り交ぜつつ二子新地駅#歴史を書き換えてみました。今後また資料が出てきて、時期が絞り込めるようになれば、より正確な記述に書き換えたいと思います。まずは、ありがとうございました。--Cory 2006年6月16日 (金) 18:39 (UTC)
下記の地図を見る機会があったので確認してみたところ、
- 昭和 3年「高津町」地図(郷土資料に引用されていたもの)で「二子」「高津」の駅名を確認。
- 昭和15年 8月頃の地図でも駅名は「ふたこ」になっていた。
ん〜なんとも悩ましいですが、結局、地図以外で当時の駅名に触れている資料はまだ見当たらず、正確な変更時期については分かっていません。とりあえず開業直後の駅名が「二子」であった手がかりがまたひとつ増えた以外には成果無し。
なお上記の S15年地図については、精度の問題かもしれませんので(発行年以外不明)、とりあえず本文の記述はいじらずにおきます。
現在、先に紹介していただいた「消えた駅名」を含めて資料をいくつか取り寄せていますので、今後も情報収集を続けたいと思います。
--Cory 2006年6月17日 (土) 11:05 (UTC)