ノート:丸三鶴屋

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フロア構成について[編集]

年代別にフロア構成を記述するスペースが設けられていますが、まだほとんど記述がない1968年までのスペースは必要ないのではと思います。また、それ以降のフロア構成の参考資料や文献の明記がありませんが、もし出典がなく記憶によるものであればWikipedia:検証可能性に基づき除去します。出典があったとしても、デパートの項目に単なるデータとしてフロア構成を記述することの必要性なども議論の必要があると思います。

1週間経っても意見がない場合は、各階ごとのフロア構成の記述(未記述のスペースを含む)を除去します。編集に参加しているユーザーの皆さん、よろしくお願いします。--Cathkidston 2008年3月5日 (水) 14:49 (UTC)[返信]

上記の期限が経過したため、フロア構成の記述を除去し、時代別の解説も沿革に組み込めるものは組み込みました。時代背景の羅列は丸三鶴屋の歴史を示すに足りるものではない(単なる法令制定年のみであり、関連付けられてはいないこと、出典が示されていないこと)ため除去しました。入居テナントも特筆性のあるもののみ残しました(ただ店名のみのものは除去、移転先や具体的な内容が示されているものは存続)。また、jpegに直リンクしていた外部リンクも修正しました。--Cathkidston 2008年3月25日 (火) 11:44 (UTC)[返信]

「丸井今井釧路店として存在した建物」部分について[編集]

「丸井今井釧路店として存在した建物」の部分の記述はこの項目には必要ないと思います。この項目は丸三鶴屋について書かれるべきであり、丸三鶴屋が閉店し丸井今井に代わった後さらに閉店した後のことは「丸三鶴屋」とは無関係です。それに他のデパートの記事を見ても、建物自体の変遷について書かれているものはありません。除去しても219.164.16.156さんによって要約欄の「「何度差し戻せば気が済むんだ!!」という記述と共に差し戻されてしまうので、当人及び他の方の意見も聞きたいと思います。1ヶ月経っても反対意見が出ない場合は除去します。それ以降に再び差し戻された場合には保護依頼をします。意見をお待ちしております。--Cathkidston 2009年7月4日 (土) 18:19 (UTC)[返信]

丸三鶴屋さんは丸井今井釧路店さんの不動産管理会社として残っていた経緯があり、

  1. 丸三鶴屋さんは丸井今井さんに貸す形で会社が継続されていたこと
  2. 事実上丸三鶴屋が継続されていたこと

から、そちらの関係で書かれていたのではないでしょうか。

関係ないと考える投稿者も多いようですが、上記の経緯を考えると、関係があると解釈してもいいと思います。それゆえ、書かれては消され、消されては差し戻されるという、まさに編集合戦となったと思います(丸井今井さんもそうですが)。今回の保護は「丸井今井釧路店として存在した建物」が残る形になりましたが、「閉店後の建物利用」という項目を作るなど、何らかの形で残すべきではないでしょうか。もし残さないと保護終了後にまた編集合戦が発生するのではないでしょうか。--220.220.10.53 2009年7月5日 (日) 00:02 (UTC)[返信]

私は丸三鶴屋さんがあった北海道釧路市に長年在住する者ですが、丸三鶴屋さんは1996年に閉店、丸井今井釧路店さんに引き継がれているものの、問題の丸三鶴屋さんは丸井今井釧路店さんに賃貸するための不動産管理会社として継続されていました。確かに百貨店は丸三鶴屋さんから丸井今井さんに引き継がれて閉店に至りましたが、地元釧路市に長年在住する者にとっては丸三鶴屋さんが事実上2006年まで続いていたという気持ちが強いのではないかと思います。私もその一人です。

そのような意味からも、「丸井今井釧路店として存在した建物」の項目を何らかの形で残すのが望ましいです。もし消されるようなことがあると、また編集合戦に至ってしまう心配もありますので、とにかく消さずに解決する方法を探って欲しいと思います。--125.203.15.139 2009年7月5日 (日) 13:02 (UTC)[返信]

お二方のご意見拝見しました。まず、お二人とも書かれていますが「消すと編集合戦になるから残したほうが」という考えは違うと思います。編集合戦にならないようにここで合意を形成するのがこの議論の目的ですので、そういった考え方は本末転倒です。 また、丸三鶴屋が丸井今井に賃貸する不動産管理会社として継続されていた、といった事柄は載せてしかるべきでしょうが、丸井今井が閉店した後の建物を巡る現在進行形の出来事はここの項目に書くべきだとは私には思えません。なぜなら「丸三鶴屋」は屋号であって、その土地建物自体を意味する名前ではないからです。それと、Wikipediaは地域住民の思いを反映させる場所でも尊重させる場所でもありません。お二方の意見は、編集合戦に対して不必要な危惧を持ち、地域住民(もしくはご自身)の思いを無用に汲み取っているように感じます。Wikipediaが百科事典であるという原則に立ち返った意見をお聞かせ頂けないでしょうか?--Cathkidston 2009年7月6日 (月) 05:12 (UTC)[返信]

丸井今井該当項目に移して書くことも考えた方がいいでしょう。確か小樽・苫小牧両店はきちんと書かれていましたので、開店されていないという事実として経緯を含めて書いて欲しいと思います。--60.45.158.160 2009年7月7日 (火) 03:10 (UTC)[返信]

丸井今井丸三鶴屋両方の履歴を見て頂ければわかると思いますが、当該記述は当初丸井今井の中に書かれていたものです。私が、閉店後のことは丸井今井自体には無関係と判断し除去したところ、今度はこちらの項目に書き込まれました。移動を考えるのではなく、まずは当該記述が両項目内に必要か不必要かを議論するべきだと思います。ちなみに丸井今井小樽・苫小牧店については閉店後に跡地がどうなったかについては書かれていません。--Cathkidston 2009年7月7日 (火) 05:30 (UTC)[返信]

丸井今井「店舗閉鎖」の項目にある、小樽店についてと苫小牧店についての項目が跡地について書かれているとも取れるんですが、それは違うんでしょうか?小樽・苫小牧両店の跡地にについて書かれているとも取れる以上、釧路店に関しても「閉店直後と2008年の2回にわたって跡地利用計画が上がったものの、いずれもテナント探しが難航しているため、現在も閉鎖中」などという文言を書くことも検討したらいかがでしょうか。--219.167.93.31 2009年7月9日 (木) 05:10 (UTC)[返信]

すみません、ご指摘頂いたとおり小樽と苫小牧も跡地については書かれていますね。私の勘違いでした。ただ、どちらもほぼ必要最小限の記載にとどまっていますので、釧路店に関しても219.167.93.31さんの書いた「閉店直後と2008年の2回にわたって跡地利用計画が上がったものの、いずれもテナント探しが難航しているため、現在も閉鎖中」という記述で十分ですし、必要最小限にとどめておくことが大事だと思います。Wikipedia:過剰な内容の整理Wikipedia:ページの編集は大胆になどに記されているように、冗長な部分は割愛・整理の対象です。丸井今井のほうに上記のように記載し、丸三鶴屋からは当該記述を除去する、という方向でどうでしょうか。--Cathkidston 2009年7月9日 (木) 05:38 (UTC)[返信]

最後の2件で書かれた案(「閉店直後と2008年の2回にわたって跡地利用計画が上がったものの、いずれもテナント探しが難航しているため、現在も閉鎖中」という記述を行う)に賛成です。もしこれでまたおかしなことが起こるようでしたら、保護依頼を出して保護するということで様子を見るということでOKにしましょう。--218.224.177.195 2009年7月11日 (土) 05:52 (UTC)[返信]

反対意見が出ないようなので、これにて合意が得られたものとします。保護の解除を依頼します。--Cathkidston 2009年7月14日 (火) 19:31 (UTC)[返信]