ノート:中島慎三郎
意味不明な言葉の羅列
[編集]東南アジア ODA利権 ブローカー 政商 インドネシア政府要人 酒、お食事、夜のもてなし デヴィ夫人 瀬島龍三 --59.139.180.26 2007年11月21日 (水) 21:06 (UTC)
- 何ですか? この文になっていない言葉の羅列は?--経済準学士 2007年11月24日 (土) 19:40 (UTC)
インドネシア料理店
[編集]1958年中島慎三郎がインドネシア料理店を始めたのと、岸信介スカルノ瀬島龍三ラインのインドネシア賠償ビジネスがスタートしたのとがほぼシンクロしてるのが気になりますね。通訳の件は眉唾ですが中島慎三郎と岸の子分の福田赳夫に何らかの接点があったというのもまんざら嘘ではないでしょう。--59.139.180.26 2007年11月24日 (土) 10:54 (UTC)
- >1958年中島慎三郎がインドネシア料理店を始めたのと、岸信介スカルノ瀬島龍三ラインのインドネシア賠償ビジネスがスタートしたのとがほぼシンクロしてるのが気になりますね。
- 1958年に日本でインドネシア料理店を開いたという理由で、岸信介スカルノ瀬島龍三ラインのインドネシア賠償ビジネスとシンクロするのが気になるのなら、1958年にインドネシア料理店を開いた人物は皆、59.139.180.26さんの目にかかれば、岸信介スカルノ瀬島龍三ラインのインドネシア賠償ビジネスにシンクロしてしまうのねえ~。
- 同じような理由で
- 中国へのODAが始まった時期に中華料理屋を始めた者全員に、対中ODAビジネスとシンクロをするのが気になる
- ベトナムへのODAが始まった時期にベトナム料理屋を始めた者全員に、対ベトナムビジネスとシンクロをするのが気になる
- とすることもできてしまう・・・59.139.180.26さんはそうなんですね。--経済準学士 2007年11月24日 (土) 19:40 (UTC)
スカルノが来日した年が1958年で、そのとき日本で最初にインドネシア料理店をオープンしたと自称してるのが中島なんですね。っで、スカルノ来日の時にスカルノの警備をしたのが日本青年社の小林楠男。
中島のインドネシア人脈は戦中に築かれたみたいなことを本人は言ってm西村真吾も信じていますが、60年代以降に形成されたと見るのが妥当ではないでしょうか。 --59.139.180.26 2007年11月30日 (金) 12:57 (UTC)
- >スカルノが来日した年が1958年で、そのとき日本で最初にインドネシア料理店をオープンしたと自称してるのが中島
- 外国の要人が来日した時に当該外国料理屋を始めた者全員に、対外国ODAビジネスとシンクロをするのが気になるというのが、59.139.180.26さんの認識と解釈してよろしいんですね。--経済準学士 2007年12月3日 (月) 17:06 (UTC)
福田通訳ほかの件
[編集]福田通訳の件は本当です。 また、東南アジアへの人脈も広く、ルスラン・アブドラガニやモハメッド・ナチール、アラムシャ等とも確かに親交がありました。--219.116.235.139 2007年11月29日 (木) 17:33 (UTC)
日本のODAインドネシア利権は最初は スカルノ=岸信介・木下商店ラインだったのがデヴィ夫人や小林楠男の活躍で スカルノ=岸信介・児玉誉士夫・東日貿易になり クーデターでスカルノが失脚すると スハルト=福田赳夫ラインが形成され、今日に続くと。 で中島は自身のことをスハルト=福田ラインの人物だと誇示しているわけですが
大蔵省主計局の超エリートである福田と、大工の中島の接点が見つかりません。
福田とインドネシアの接点はスミトロです--59.139.180.26 2007年11月30日 (金) 13:14 (UTC)。 福田とスミトロ(インドネシア大学経済学部長)の間で会話がおこなわれたとするなら英語で直にやりやったと思われます。中島が通訳として介在する必要性があるとは思えません。--59.139.180.26 2007年11月30日 (金) 13:50 (UTC)