ノート:世襲大学教員

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「世襲大学教員」という言葉、表現は社会的に流通しているものでしょうか。この言葉が用いられている例を挙げてください。世襲は、社会的な身分、地位を継承するものですが、異なった大学、専門でどのように世襲がされているのでしょうか。Mishika 2008年1月13日 (日) 05:22 (UTC)[返信]

聞いたことないですね。世襲政治家ならまだしも。--hyolee2/H.L.LEE 2008年1月13日 (日) 05:23 (UTC)[返信]

大学関係者の間では、普通、「二世(教授)」、「三世」、「ジュニア」、さらにネット上では「プリン」(プリンス、プリンセスの略)を使います。しかし、世襲がらみでよく使われる「二世議員」が「世襲政治家」へリダイレクトされてしまうため、それに倣っただけです。「大学教員」という言葉を使うのも、世間一般で左翼とされる大学教授・准教授の中でも一部だけですが(共産党系の人が使うのは、あまり見かけません)、「大学教授」は「曖昧さ回避」の「教授」へリダイレクトされ、そこから「教授 (教員)」を選択すると、純粋に職階としての教授のみの説明となっており、「二世教授」という言葉を使うときの「教授」は准教授(助教授)も含んだ大学教員一般を指し、「大学教員」のページで説明されているため、「世襲大学教員」としました。--馬の骨 2008年1月13日 (日) 09:24 (UTC)[返信]

一覧を見て当事者にとって気の毒に思われることは、現在の概要を読んでからこの一覧を見ると、これらの人たちはみな実力なく採用されたのではないかと思われてしまうことです。客観的に二世教員というものがある、という指摘のみにとどめるならともかく、二世自体がいけないわけではないでしょう。また固有名を挙げるのは、事実に反していれば大変ですし、仮に事実だとしても事典の記述としては穏やかでないように思います。なお修士論文だけで採用されたことをあたかも不適切なことのように書かれていますが、大学設置基準によれば、修士の学位があれば准教授になれるわけですから、これ自体はなんら問題ないですね。「現在の状況」とはいつごろからのことですか。「余程の……困難である」「圧倒的に有利となっている」と断言されていますが、根拠はありますか。たぶん説得力あるソースはなにびとも出せないだろうと思って一旦コメントアウトしたのですが。「鷲田小彌太が間違いないと言っているから」というのは適当ではありません。「こういうことを言う者もある」式の表現にとどめておくべきではないでしょうか。--КОЛЯ 会話 2008年1月13日 (日) 11:43 (UTC)[返信]
「二世議員」と同様に「二世教授」も、これを問題視する方向以外では、そもそも認識されることが有り得ないと思います。日本における東京大学の地位を考えた場合、祖父の代から3代続きで東大教授などというのが、本人の実力だけで説明がつくでしょうか? 1990年代後半に、よほど画期的な論文ならともかく、とくに傑出した評価を受けたわけでもない修士論文だけで、助手も経験せずにいきなり旧帝国大学助教授に採用されることが、「二世」でなかった場合に起こり得たでしょうか? 「現在の状況」とは、その2つ前の文で「文部科学省の方針により大学院重点化が行われて大学院への進学率が高まり、オーバードクター問題が発生している現在」と書いてあります。「余程の……困難である」は、ウィキペディア内の「専業非常勤講師」にある記述です。この記述は2006年12月30日 (土) 03:29; Peachkiller (会話 | 投稿記録) による版で書き加えられ、2006年12月30日 (土) 11:11; Tiyoringo (会話 | 投稿記録) による版で「不可能」が「困難」に書き換えられたもので、その後は現在まで変更されておらず、これまで異論がなかったと思われます。「圧倒的に有利となっている」は削除しました。--馬の骨 2008年1月13日 (日) 13:09 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。「現在」については理解しましたが、Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないという方針もありますので、今後避けていただければと思います。「余程の……困難である」については、ウィキペディア内の記述を根拠にすることは推奨されていないと思います(Wikipedia:信頼できる情報源)。
さて内容面で。文化資本という効果がある以上、二世教員が事実として存在するのは仕方のないことでしょう(社会関係資本の効果の是非とは別)。コネも強運もない優秀な研究者は、事実として採用されていないのでしょうか。やはり優秀な人は採用されているのではないでしょうか。優秀な人でもなかなか採用されないのは、そもそもポストが少ないからではないでしょうか。--КОЛЯ 会話 2008年1月13日 (日) 14:29 (UTC)[返信]
「二世教授」にも優秀な人はいるということは、ノーベル賞受賞者を入れてあることで、アカデミズム外の人が見る場合に対しても担保されていると思います。しかし、社会関係資本(「親の七光り」)で一流大学の教授ポストを獲得したという評価が、アカデミズム内で定着している「二世教授」も少なからずいます。問題となるのはむろん後者ですが、後者に当てはまる人だけを選び出すのは恣意的になると思います。ポストの数が少なくて、社会的地位が高く、(少なくとも理系の場合)動かせる金の額が多く(しかも税金から出る金が多い)、人事選考が少数の人間によって密室で行われるとなれば、日本のような社会風土で世襲にならない方が不思議です。密室の人事ですから、「二世教授」は「二世議員」より世襲度が高いとさえいえるかもしれません。--馬の骨 2008年1月14日 (月) 14:45 (UTC)[返信]

独自研究[編集]

独自研究に他ならない。ある書籍の記述を元にしておられるようだが、そうならば、「~という意見もある」程度にとどめるべきであって、その書籍の記述が本稿の基(中心的主張)となっている感が否めない。そもそも「世襲大学教員」が「世襲政治家」ほどに一般的な言葉であって、かつ社会的な問題として提起されているのかも不明。ウィキペディアは問題提起をする場ではない。また、著名な世襲大学教員の例著名の基準が不明であり、例の割には量が多すぎ、データベースのようにも思える。-- 2008年2月3日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

前半の記述は本文として妥当だと思われる部分は定義レベルでしかないと考えます。また、後半部分は独自研究ではないかと思います。そう考えると項目として存在することが妥当なのかというと……なくてもいいのかな、とは思います。既に世襲も存在しますし。--iwaim 2008年2月3日 (日) 16:29 (UTC)[返信]

私も大学には長いことおりましたが、「世襲教員」とか「二世教授」なんて言葉は聞いたことがありません(何人か実例を存じ上げてはいますが)。この用語に独立項目を立てるべき著名性(?)があるとは思えず、こういう括りで大学教員をリストアップすることにどのような意義があるのか疑問です。さらに、一歩間違えば中傷・名誉毀損にもなりかねない危険性を孕んでいるように思います。百害あって一利なし。記事丸ごと削除が妥当かと思います。Kojidoi 2008年2月4日 (月) 16:07 (UTC)[返信]

これは明らかな独自研究ですし、例としてあげるにはあまりに人物が多すぎて単なるデータベースと化してるのも問題。それにどうも特定の大学に偏っている点も気になります。記事そのものの削除でいいのではないでしょうか?--Web comic 2008年2月5日 (火) 09:39 (UTC)[返信]