ノート:下士官 (ドイツ軍)

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現在出店情報を再編集中です。----Kuronekofan会話2019年7月11日 (木) 03:59 (UTC)kuronekofan[返信]

以前からドイツ国防軍の「Feldwebel」については、文献や映画で軍曹、上級軍曹、曹長といろいろな訳語が充てられていました。武装親衛隊ではFeldwebel相当の階級が通常は士官である「小隊指揮官」となっており、混乱します。映画「大脱走」には、収容所長の副官が下士官のOberFeldwebelで登場しますが、当時は将校だと思っていました。一方、TVドラマの「コンバット」では、最初、曹長で登場したヘンリー氏が突如、戦時任官で少尉になります。そうしたことがきっかけで、調べてみることにしましたが、ドイツの場合、上級下士官の扱いが特殊(事実上の予備士官)であったのでまとめることにしました。

外国文献ですが、本稿は以下の文献を中心に構成しています。昔検索できた記述が最近は検索できなくなったものも多数あります。

欧州ではWW1まではドイツに限らず貴族が将校団を構成しています。戦時に急増する軍の指揮を、多数の予備将校で補う代わり、帝政プロシャでは、Feldwebel(この当時は最上級の下士官の名称)が補いました。WW1後は、極端に将校が制約されたためと考えられますが、将校枠のFeldwebelーLeutenantは廃止され、上級下士官は全て事実上の予備少尉として勤務できる体制になったようです。 そのためか、上級下士官と下級下士官は別々の階級群を構成し、多数の軍曹の上に一握りの曹長がいる、という構図ではなく、曹長と軍曹はほぼ同数程度存在しています。

もう一つの特徴は、下士官は試験で選抜したのちに専門の学校で教育して育成した点です。当時、米英には技術系を除くと下士官に任官するための特別な教育というものはありませんでした。できの良い兵から昇格させていたのです。WW2以後、志願兵制度の割合が進むにつれて下士官に登用するための試験、準備教育が行われるようになっています。 --Kuronekofan会話2016年4月4日 (月) 08:08 (UTC)[返信]

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