ノート:三重交通サ150形電車

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北勢線の付随客車について[編集]

「三重交通社史:三重交通20年の歩み」の中に、1961年(昭和36年)12月25日に「北勢線客車1両尾小屋鉄道へ譲渡」との記述がありますが、具体的にどの車両のことを言っているのでしょうか? ご存知の方が見えましたら、記載頂ければありがたいですが。

黄電車 2007年2月24日 (土) 15:23 (UTC)[返信]


手元の資料で確認してみましたが、三重交通の各社への譲渡車が

  • 静岡ハ23~28←サ364・365・361・363・333・334
  • 尾小屋:ホハフ1~3・5~8←サ331・342・321・322・352・サニ403・401

の13両で、それぞれ前身が

  • サ321・322←三重鉄ホハ12・13←中勢ハニ2・3←中勢ボコ2・3
  • サ331・333・334←三重鉄ホハ7・9・10←三重鉄ホハ1・3・4
  • サ342←三重鉄ホハ6←四日市ホハ6
  • サ352←三重鉄ホハ2←四日市ホハ2
  • サ361・363~365←旧中勢ハ5・7・ロハ8・9←南越ハ2・4・ロハ1・5
  • サニ401・403←北勢ハフ9・11

となりますので、北勢線客車となりますと自動的に最後のサニ401・403のいずれかということになり、尾小屋側の受け入れ記録でも両車とも1962年7月10日付けで竣工していますから、やはりこれら2両のいずれかとなるかと思います。

ただ、一部資料で「三重交通社史:三重交通20年の歩み」中に客車譲渡関連で記載漏れがあること(サ334と同時に行われた静岡へのサ333譲渡が欠落している由です)が指摘されていますので、こちらも尾小屋側で2両同時に竣工手続きがとられていることから考えて、「北勢線客車1両尾小屋鉄道へ譲渡」ではなく「北勢線客車2両尾小屋鉄道へ譲渡」であった可能性が考えられます。

以上ご参考まで。-HATARA KEI 2007年2月24日 (土) 18:41 (UTC)[返信]


早速のご返答有難うございます。
ここで、お願いですが上記の「他社への譲渡車」についても本文中に記載いただけると、より記事が充実すると思われます。
ご検討をお願いいたします。
黄電車 2007年2月25日 (日) 03:58 (UTC)[返信]
ご提案ありがとうございます。
車両譲渡は本項で取り扱っている車両群とは直接関係していないので、小生としては当該車両群をそれぞれ記事化する際に個別に記述することを考えておりますが、暫定的な手当として尾小屋鉄道の車両関連項目について追補訂正は行っておきました(静岡鉄道駿遠線に関しては追補以前の状態なので検討中です)。
ただ、これらは非常に歴史が古く中勢や南越の車両が関わってくるため資料調査も難航気味で、各形式群の記事化までは当分時間がかかりそうな見通しです。
無論、いい加減な記事を新規ででっち上げてどなたかの加筆を期待する、という方法論もあるかと思いますが、例えば三重交通関連の古い車両でもシハ31はともかくシハ81については、体裁はともかく内容についてどなたのご協力もいただけていない現状であることを考慮すると、誤りの多い内容を長期間放置することにもなりかねない、そのような無謀かつ無責任な選択は出来ず、新規投稿にいたるまでのスケジュールに関しては少々悲観的に考えざるを得ません。何より、北勢デ20→近鉄デ45・46など、近年まで残存した車両でもまだ未執筆の項目がいくつかあり、そちらも資料がある程度揃ったものについては先に書きたい、という考えがありますので・・・。
-HATARA KEI 2007年2月25日 (日) 05:19 (UTC)[返信]


ご趣旨、理解いたしました。
貴方のような詳しく踏み込んだ記載は貴重なものと考えます。貴方の今後のますますのご活躍と充実した記事のご記載を祈念申し上げます。
黄電車 2007年2月25日 (日) 08:53 (UTC)[返信]