ノート:三十三間堂官衙遺跡

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  • Mmm31様地元関連の積極的投稿感心して拝見しております。さて、阿武隈高地を阿武隈山地ともいいますよね、だから貴方様の意思を尊重して前半の阿武隈高地の記述は残してます。山地としませんでした。で、亘理町の丘の上のほうは、山地としました。多くの本には今でも阿武隈山脈と書いてあるのもあります。ただ高地とか山脈とか言うには、最北端のここ亘理町下郡地区ではちょっとね、でもここで教科書に記載されているので、統一されてるので、高地にしなさいとおっしゃられれば、積極的に反対する(情緒的理由だけで)わけでもないし、かといって山地がだめだとの理由もヤマケイや新ハイキング社の書籍はほとんど山地なんです、山地=高地と考えます。で、初稿者として現場の遺跡の発掘に係わりの者としてこの遺跡は高地というイメージじゃァありませんので山地としました。どうしても不都合な場合も考慮して、少し工夫して見ることには、します。ここは、阿武隈最北端で『亘理地塁山地』とも言われてますのでね。papamaruchan22 2008年4月16日 (水) 11:30 (UTC)[返信]
    以上のコメントは、拙Papamaruchan22の『20メートルにも満たない小丘なので阿武隈高地と表現するにはちょっと戸惑います。』の非表示記述に対しMmm31様の『地理の教科書等では阿武隈山地とは言わず、阿武隈高地に統一されています。阿武隈山地≠阿武隈高地として狭義で使い分けが必要ならば構いませんが、そうでないならば、高地が相応しくないのでしたら山地も相応しくないと存じます。』に対応したものです。非表示分ここに移記しました。papamaruchan22 2008年4月20日 (日) 13:42 (UTC)[返信]