ノート:ロベルト・シューマン

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改訂報告[編集]

  • 全面的に書き改めました。以前の記述も概ね妥当な内容だと思っていますが、どの文献を元に書かれたものか不明であり、私が使った資料ともほとんど重複しないため、残して使うという方法は基本的に採っていません。改訂後の文章で大半はカバーできていると考えますが、もし復活させたいものがありましたら、出典明記でお願いします。
  • 「主要楽曲一覧」は「シューマンの楽曲一覧」が別にあるため、文中で紹介したもの以外に触れる必要はないと考え、除去しました。復活した方がいいとお考えの方がおられましたらご自由に。ただしその場合でも、主要楽曲というからには一度ふるいにかけた方がいいと思います。
  • 関連項目はシューマンを中心にしたものに限定しました。したがって、クララやブラームスが主人公となった作品は除去しました。『哀愁のトロイメライ』についてはシューマンが題材なのかもしれませんが、内部リンクが生きておらず、存在が確認できないため除去しました。『シューマンの指』は、直接シューマンが登場するわけではありませんが、シューマンのピアノ曲が題材になっているという点で掲載していいかと判断しました。--みっち会話2015年10月19日 (月) 14:33 (UTC)[返信]

編集合戦?[編集]

みっちさんの上記の全面改訂によって記事が大変優れたものになったのは確かですし、その点は心より敬服致します。しかし、Coptic Lightさんが行った音楽評論チューリンゲンといった転送回避の編集まで丸まる全て差し戻すというのは少々やりすぎではないでしょうか?wikipediaの記事は優れた版を作った方の私物ではないはずです。例えば私も(どちらも自分が書いた文章ではありませんが)ドヴォルザークの第8交響曲の記事から、この交響曲がかつて「ロンドン」「イギリス」と呼ばれていたことを取り去ろうとしている編集は差し戻していますし、かつてはブルックナーの第3交響曲の記事から執拗に「ブルックナーがビールを勧められて酔っぱらった」という内容を取り去ろうとするIP利用者の編集は差し戻しました。しかしCoptic Lightさんの編集は、そのような書かれてあって然るべき内容を取り去る、といったようなことはしていません。ご自身の書かれた優れた版の文章に対する愛着はわかりますが、もう少々ご自重されるべきかと感じます。--Gruppetto会話) 2017年1月24日 (火) 14:21 (UTC) 誤記修正--Gruppetto会話2019年2月21日 (木) 13:54 (UTC)[返信]

ご自分は差し戻しに荷担しながら、人には自重しろと? 長い記事を書いた利用者が自分の意見をいうと私物化ですか。ずいぶんな言われようですが、そこまで非難されるようなことを私はしていますか。2度差し戻ししましたが、Coptic Lightさんの編集は以前から疑問に思っていたものであり、よりエスカレートしたのを止めるためです。そのことは利用者‐会話:Coptic Light#あなたの編集についてで詳しく述べたとおりです。シューマンの記事に限った話ではないので、直接利用者の会話ページで対話を試みました。Coptic Lightさんとの対話はひとまず済みましたので、この記事の具体的な処理についてあらためてこちらで相談することについては了解しますが、率直に言って、このような扱いでは、私はこのあとどれだけ忍耐を強いられなきゃいけないのか覚束なく思えますね。
あちらにも書きましたが、そもそもリダイレクト解消は記事の改善といえるほどのものではありません。それでも、「ヨーゼフ・ハイドン」から「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」へ、同様に「チューリンゲン」から「テューリンゲン」に修正することについてはとくに反対しないと言明しています。「音楽評論」もいいでしょう。Coptic Lightさんのご意見を汲んで「精神分裂症」をパイプ技で「統合失調症」にリンクさせることは賛成します。それ以外は、Coptic Lightさんが手を付けた以前の版に戻すことを主張します。Gruppettoさんのご意見は、ドヴォルザークやブルックナーでご自分が苦労された例と比べれば「この程度」大したことないからすべて受け入れろと読めますが、そういうことなら決裂するしかありません。--みっち会話2017年1月27日 (金) 15:00 (UTC)[返信]
>「ご自分は差し戻しに荷担しながら」とおっしゃいますが、最初に差し戻しを始めたのはみっちさんの方ではないのですか?みっちさんご自身の差し戻しは問題とせず、他の利用者の差し戻しのみを問題とするようなその自己中心的な言い方は如何なものでしょうか。
>「自分の意見をいうと私物化ですか」いいえ、自分の意見を言ったからではなく、自分の版に執拗に差し戻しているから「私物化」と申しています。
>「私はこのあとどれだけ忍耐を強いられなきゃいけないのか覚束なく思えますね」wikipediaは共同作業の場ですから常に忍耐を強いられるのは当たり前です。私も常々忍耐していますし、他の利用者の方々も皆忍耐していますよ。記事の発展に貢献した利用者のみ忍耐を免除される、という決まりでもあるのでしょうか?ご自身の記述を一語一句変えられたくないのなら、それこそWikipediaではなく個人ブログにでも書けば良い話です。
で、本来であれば「フェルディナンド」も「フェルディナント」とすべきですが、まあいいでしょう。過去の貢献のせいでか(?)我が強くなっている方を相手にするのは面倒臭いので、みっちさんの仰った条件で良いですよ。それより、少しでも記事の質が上がるほうがよいですからね。みっちさんはCoptic Lightさんのノートで「ドイツ語の語尾の d を「ト」とするか「ド」とするかは表記ゆれの範囲です。仮にドを do だとするならトは to であり、正解はないということになります。」という奇妙な理屈[1]を述べておられますが、どちらも違うのならより近い方をとるべきなのは言うまでもありません。標準ドイツ語の発音基礎から考えて「フェルディナント」が近いのは明らかですがね…。ちなみに前田昭雄氏は以前はギュンター・ヴァントのことを「ワント」などとも書いてましたから細かいカナ表記に厳密さは無いですよ。--Gruppetto会話2017年1月27日 (金) 19:03 (UTC)[返信]
差し戻しに荷担している時点であなたも「私物化」の同類だと思いますが。人に自重を呼びかけるなら、自分がまず自重するものだと思っていましたよ。常々の忍耐はどこかへいったようですね。いやいや面白いものをみせていただきました。幸い合意いただけたので、お言葉に甘えさせていただきましょう。あと、ウィキペディアの日本語表記に厳密さを求める時点で間違っていると思いますよ。ではこれで。--みっち会話2017年1月28日 (土) 02:19 (UTC)[返信]
あなたの出した条件で妥協しているのだからこちらが忍耐しているのですが、そんなこともわからないんですかね?あなたが無自覚に自己中心的な方だというのがよくわかりました(笑)。--Gruppetto会話2017年1月28日 (土) 04:27 (UTC)[返信]
差し戻しは私が悪くあなたは悪くなく、妥協したのはあなただけで私はしてないとお思いなわけですね。合意したそばからちゃぶ台をひっくり返す人がいるので、もう好きにしてください。--みっち会話2017年1月29日 (日) 02:37 (UTC)[返信]
私はFusianasan1350さんの編集を支持します。書かれていて然るべき内容をカットするとか、間違った内容を書き加えるとか、そういう編集を差し戻すのならわかりますが、いわゆる「細部の編集」にあたるような編集についてもごく一部しか認めない、というみっちさんの姿勢は、なかなか他の利用者の支持を得るのは難しいと思います。--Gruppetto会話2017年1月29日 (日) 04:49 (UTC)[返信]

良質な記事の選考ページ[編集]

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ロベルト・シューマン 20151111

秀逸な記事の選考通過に伴い上記より良質な記事テンプレートを除去しました。当時の選考ページへのリンクを残しておきます。--totti会話2019年4月7日 (日) 16:15 (UTC)[返信]

Alexander (middle name)[編集]

Alexander を省いた方が良いと思います。英語版・ドイツ語版でもそのようです。 --240D:1A:7FC:9200:4176:EA2C:DD4F:9968 2023年2月13日 (月) 13:26 (UTC)[返信]

イタリア語版やエスペラント版には Alexander はあるので、別にあっても良いのではないでしょうか。Gruppetto会話2023年2月13日 (月) 19:47 (UTC)[返信]