ノート:ルー・テーズ

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ル・テーズのパイル・ドライバー[編集]

記憶だけで書きますので間違いがあるかもしれませんが、ル・テーズのパイル・ドライバーが「日本では使用されることはなかった」という記事には疑問があります。私が見たのはグレート草津が破れたあと豊登が挑戦してこの技で倒された試合です。たぶん三本勝負だったのでしょう、ゴングが鳴っても豊登は立つことができず、這ってテーズに向かっていきましたが、当然レフリー・ストップになりました。 ちなみに「1975年10月 - 新日本プロレスに来日し、アントニオ猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑戦」した試合ですが、一本勝負で、試合開始直後にテーズがバック・ドロップを決めるという異例の展開で、最後は逆さまに抱え上げて完全にパイル・ドライバーの体制になり、「テーズの勝ち」と思われたところで、何故か急に腰砕けとなり、簡単に猪木にフォールされてしまいました。 テーズにとって自分の実験が終われば、「後は相手に花を持たせておけばよいのだ」という考えだったのでしょう。 これは実際に見たわけではなく活字の記憶ですが、『プロレスandボクシング』誌に載った当時の若手レスラーへのインタヴューで猪木は、第4回ワールド・プロレスリング大会で来日したテーズと初めて対戦し、「投げ飛ばしたと思ったら、ブリッジでムクムクと起きてきて、逆さに抱え上げられて頭から落とされて失神した」と発言していたと思います。--以上の署名の無いコメントは、203.136.93.49会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2007年7月31日 (火) 02:25‎(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。