ノート:ラデク・バボラーク

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各々の団体が発表するプロフィールの微妙な差異につきまして[編集]

バボラークは1989年から1994年までプラハ音楽院に所属していましたが、この期間誰に師事していたのかについて、兄・ズデニェク・ティルシャルなのか、弟・ベドジヒ・ティルシャルに師事していたのか、各団体の発表するプロフィールによってズレがあります。記事においては、ベルリンフィルの公式サイトの記述を信用し、採用しています。

また、「バボラークがバンベルク交響楽団を経てベルリンフィルの首席ホルンに就いた」「バンベルク交響楽団でも首席ホルンを務めた」との経歴を一部の招聘会社やメーカーなどによるプロフィール、さらに本項の他言語版において見つけることができますが、ベルリンフィルの公式プロフィール[1]では、2000年5月1日よりメンバー加入となっているだけでなく、バンベルク交響楽団についての記載がありませんでした。バボラークの公式サイト[2]においては、「首席ホルンとしてベルリンフィルに入団する2000年の時点で、バンベルク交響楽団と契約を結んでいた」という文を発見致しました。バンベルク交響楽団の公式サイトに掲載されている、1946年以降の歴代ホルン奏者の表には[3]、バボラークの名前を見つけることができませんでした。

さらに、バボラークがベルリンフィルの首席ホルン奏者に「いつ就任したか」は、各団体の発表するプロフィールにおいて、2000年と2003年の2つに分かれており、本当はどちらなのか判定しかねます。