ノート:ヤマタイカ

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『「ヤマトの火」のリライト』という表現には少し疑問があります。 元となっているのは確かですが、作者が違った表現をしていたように思います(文庫版の「ヤマトの火」の著者コメントあたりと記憶していますが、手元にないので確認できません)。 もう少し説明を付加できないでしょうか。 冗談を許していただければ「リライト」ではなく「リトライ」であったようですが。—以上の署名の無いコメントは、59.136.177.77(会話履歴)さんによるものです。--ヨッサン 2009年11月24日 (火) 03:53 (UTC)による付記[返信]



「登場人物」の節を最初に記述した者です。他の編集者による加筆や訂正により、記事が充実してゆくのを楽しく眺めておりましたが、ただ1件、『広目』の項に、田中芳樹の推察を書き足すのは登場人物の紹介として適切でないように思います。 一度削除しましたが復活しています。予告なしに削除した私にも問題はあったかもしれませんが、どうしても復活させなければならない理由がわかりません。--スワガー軍曹 2009年11月29日 (日) 00:00 (UTC)[返信]

復帰させた者です。あのヒロインを見る広目の視線については、田中氏の推察を書き足す前に「恋人を見る目のようであった」云々の記述が存在して印象的なシーンの一つだと思いますし、それについて星野氏と交友のある田中氏が言及しているのは記載するに足るものだと思いますが。田中氏の推察は「広目が恋人を見るような目で見ている」という印象を持った読者の弁を代表したものになっていると思いますし。それになぜ適切ではないと思うのか説明願えますか?--ヨッサン 2009年11月30日 (月) 14:29 (UTC)[返信]
(追記)たしかに「恋人を見る目のようであった」云々だけなら執筆者の感想として除去もやむをえないと思いますが、それまで敵対していた広目があのような目で神子を見るシーンはそれなりに本作の読者にとって印象的なシーンの一つだったのではないでしょうか。それについて文庫版最終巻で田中氏の言及があるわけですから、こうした意見もあるということを示す上で有用な記述だと思っていますが。むしろ「トリビア」節にある大仏云々の方が私としてはどうでもいい記述だと思うんですがね。除去しようとは思いませんが。--ヨッサン 2009年11月30日 (月) 14:50 (UTC)[返信]


>なぜ適切ではないと思うのか説明願えますか? 「登場人物の紹介として」と前置きをした上で「適切でないように思う」と私は書いています。 ウィキペディアは辞典であって、感想や評論を書く場ではないはずです。星野之宣とどう関係があろうと、田中芳樹が文庫版の巻末で述べたのは感想に過ぎないのであって、登場人物を紹介する記述ではありません。 読者にとって印象的だからとおっしゃいますが、キャラクターがらみで「印象的」なシーンなど、作品中いたるところにあるではありませんか。 どうしても載せたいとお思いなら、「登場人物」の節ではなく、「トリビア」のあたりにでも書くべきではありませんか?--スワガー軍曹 2009年12月3日 (木) 11:40 (UTC)[返信]

なるほど。それも一理ありますね。今わの際のセリフと併せて書けばまとまりもよいでしょうし。--ヨッサン 2009年12月3日 (木) 12:29 (UTC)[返信]