ノート:モルモン書

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・モルモン教という正式名称の団体はなく、モルモン教は、 俗称であり、文章の定義をする言葉として、ふさわしくない。

・外部リンクに設定されたモルモン・イエスという呼称は一部のグループによる造語であり、百科事典としての本来の目的を満たすものではないと思います。--Sioux2009 2009年9月23日 (水) 16:05 (UTC)[返信]

・「キリスト・イエスとモルモン・イエスは別人である」というのはページの名前ですので、それをそのまま書きました。--スーパーエックス 2009年9月25日 (金) 05:37 (UTC)[返信]


こちらのページによると、ベツレヘムの町がエルサレムの地に含まれるという考え方は成り立たないとのことですし、オリーブが比喩に用いられることもありえないとのことです。「アルマ書でいうエルサレムはベツレヘムの町をも含む地方であるとの文献も存在する」という記述はコメントアウトし、「オリーブの記述は、モルモン書においては比喩的表現であると反論されている」という記述は削除しました。--スーパーエックス 2009年10月19日 (月) 08:09 (UTC)[返信]

大幅な書き換えがあったことについて[編集]

利用者:Kh465さんによって 2012年1月29日 (日) 12:29(UTC)、ほぼ全面的な書き換えがありました[1]。要約欄にはこう書かれていました。末日聖徒イエスキリスト教会の解釈の量が多すぎ、批評も局部的、辺鄙的すぎなど、価値観の偏性が見受けられるための変更。書き換えられた内容は冒頭定義文の他は、全て「末日聖徒イエスキリスト教会側の外部サイト」へのリンクでした。ウィキペディアは末日聖徒イエスキリスト教会の主張を全面的に認めよ、という事なのでしょうか。またこれと前後して末日聖徒イエスキリスト教会へも同様な変更がなされました。大幅は書き換えは、事前にノートでの合意があってしかるべきではないでしょうか。--Sillago 2012年1月30日 (月) 14:43 (UTC)[返信]

こんばんわ。お返事が遅くなり申し訳ありません。ノートで話し合うことが出来ると知らずに、すみません。はい、合意があって然るべき!私が調べていた所では、反対のリンクも含めて、もっと包括的な内容がその公式リンクに含まれていたということで、話題とするトピックがもっと色々あるのに、表現がもったいないと思ったからでした。そして、教会の人たちは、教会の概要や内容を説明するための人々を一般の地域の教会員と分けて権能というものを高い基準に沿った上で与え、それによって教会の代表として教会の説明をしても良いといういことで地域でわざわざボランティアをさせているので、ウィキペディアを情報源とすることに対しての根本的なものがまずその教会の人々にとっては「異端」と思われる限りは、中立のなんたるかの定義と会釈的なものをつけないと永遠に取って中立といえない偽の記事となってしまう範疇から逃れることが出来ないのではという意見を持ったからでした。色々ご教授いただいた上で、Wikipediaは権能も何も、誰でも作り上げて理解を深めていく場所であり、いつも未完全であり、完全になる余地があるので人々の熱意を欠きたてるものであるべきものであることが前より理解できるようになりました。特に、価値観等が深く関わる物事に関して。今回のことを通してWikipedia側には危険だろうなと思うのが、あまり編集を行わない世界の多くの人がWikipediaをそのままの情報としてスンナリ信頼する。それがWikipedhiaとしてのウリになっているのもありますが、それなりの問題の多くの原因になる。つまり、思想や信念のあり方が組織と関わっていることからすればWikipedhiaも一つのリベラルを主張する宗教みたいなものなのか、と、見解を深める機会になりました。ただ、今も本当はリンクだけでいいのに、とは思います。他にも話題にされていない人や考え方、物事は世界に沢山あるのに、ここを情報源として主張させることでわざわざ対象となっている人々へのWikipediaからのイメージを植えつけることが、その組織のスタイルから説明する立場として それで、関連のある主な二つのトピックに対して削除を実行してしまい、せっかく今まで記載されてきたこれまでの方々の努力をまさに一瞬にして皆無にしてしまいごめんなさい。インディアンについてですが、その記事の出展に使われている本はある末日聖徒の教会員として洗礼を受けたことのあるネイティブ・アメリカン(多分この呼び方もインディアンより差別的でなくていいのかも・・・当人達のことを思うと)の話と本の概要より見受けます。記事の表現には、教会がこうした、と彼の主観で教会の世界全体が表現されているのが、そのまま記事の見出しと教会全体の説明になっていました。 それは教会全体の事実として演繹的に表現するにはヨーロッパからの開拓者の白人移民の背景や当時の教会員の教義以外の文化的や歴史的、民族的要素の肉付けをもう少し完成させた後トピックとなる話題ではないかと思うのです。その教会は世界的にインディアンに対してそういう姿勢である、という記事は、事実と反し、自主的にネイティブ・アメリカ人の多くがモルモンであることをネガティブも同様、ポジティブにも受け止めている現状、またその民族の選択は同一にも、違った組み合わせにも見られ、逆の立場でもおこなわれ、実は探してみると例が多すぎて、あまりトピックとして大きくあげるほどのことでも無いのかもしれない。と、思います。 また、彼らを「モルモン書の最初の著者の兄弟の末裔」として揚げるのであれば、ポリネシア人も同様として扱われます(ハゴス-Alma63:5)。なので、揚げるのであれば、「家族歴史探求」のトピックを上げて、その中に(これは、モルモン書と末日聖徒イエスキリスト教会のどちらに属する内容でもいいかもしれません)酌んでいくと良い生地が出来るかもしれないと思います。 それから、建造物についての記事を揚げてみました。色々な宗派からの観点を包括的に集めた出典をできるようになったらいいなと思っています。 長くなりましたが、お時間ありがとうございます。どうでしょうか、Sillagoさんと掘り進めて行くことは出来ればと願います。 まだ初心者なのでよくお世話になるかもしれません^^; 何卒よろしくお願いします。ウィキペディア、か。。。。多謝。 --Kh465 2012年2月3日 (金) 13:53 (UTC)[返信]

ご返事ありがとうございます。この記事つまりモルモン書末日聖徒イエス・キリスト教会については、内包している問題の本質は同一であると思います。従ってそれぞれのノートで同じ議論をするのではなく、こちらで集約させた方が効率が良いかと思います。ただ、包含の関係としては、末日聖徒イエス・キリスト教会⊃モルモン書 ですので、末日聖徒イエス・キリスト教会(長いので以後「モルモン教会」にします)のノートに書いても良いかと思います。
まずKh465さんに再度見ていただきたいのウィキペディアの基本方針です。3大方針ともいいます。全ての編集者はこれらに従わなければなりません。
  1. Wikipedia:検証可能性 - 第三者が検証できるよう、信頼されている発行元から、既に出版されているデータを元に記述しなければなりません。非公表の内部資料とかはダメなんです。
  2. Wikipedia:独自研究は載せない - 「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。「私は内部事情に通じていますから、それを書きます」…こういう方は結構多いですが、これはダメなんです。
  3. Wikipedia:中立的な観点 - これが今回いちばん問題になっている箇所かと思います。
率直に言ってKh465さんが関与する以前の記事についても、これら方針から逸脱していると私も思います。3大方針に沿って改める事にやぶさかではありません。ですがKh465さんの今までの編集のあり方については大いに疑問があります。おそらく方針を知らなかった故のことだと思いますので、今後はお互い方針に沿って冷静に、紳士的に、建設的に進めて参りましょう。検証可能性を担保するためには、主に参考文献とします。その中にはモルモン教会発行のものも、(例えば)世界の宗教大全のような比較的中立的なもの、モルモン教会からみてキリスト教の他教派の書籍(モルモン教会の意に沿わないでしょう)様々な文献からバランスよく拾っていく必要があります。それが「中立的な観点」です。してみるに、Kh465さんが当初行った書き換えは、「モルモン教会の広報担当」的なものに感じました。「中立的な観点」を考え、それを編集者「独自の研究」結果ではなく、「検証可能」な出版物から書き起こしたいと思います。ちなみに私は、きちんと記事が書けるのであれば、編集者がどの宗教のどの教派を信奉していようが関係ないと思っています。ただ余りに一方の見解に偏っている状態が続くなら、「ああ、この人はウィキペディアを宣伝もしくは伝道の道具と見ているのだな」と判断することもあります。私はそのような複数の方と対峙した経験があります。あ、別にけんかするつもりはありません。人間ですから、多様な意見を持って当然。それを議論して建設的に記事を発展させましょう、ってことで。私はモルモン教会について深く知っているわけではありません。でもいいんです。検証可能な資料を用意すれば良いのですから。--Sillago 2012年2月4日 (土) 15:11 (UTC)[返信]

ご丁寧なご説明に感謝しています。その方針に同意します。そして、それが実践に上手に移していけるように努力します。ただ、教会の人々の立場からいった「伝道」や「広報」をいったん断り、ウィキペディアとの相違をどこかに明示し、一般の人と同様、その教会の人々も同意するように記事を入れることも「中立的な立場」として妥当かな、という気もするのですが、どうでしょうか。 インディアンとポリネシア人の出典を出さずにだったので、申し訳ありません。ハワイ(オアフ島)観光のツアーでもその末日聖徒の神殿にポリネシアの先祖として壁画に描かれ、その経緯の説明があったので、思いつきで書いていました。10年位前、世界不思議発見で同じ教会が世界一の家族歴史の系図で有名だということで、その系統をたどる資料もあるか、探してみようかな、と思います(こういうのは出典といわないのかもしれないですね、すみません)。Sillago 私も平和が好きです。対峙というより、皆さんがこう辛抱強く教えてくださるので、これでも最初よりは随分マシになったような心持ちがします。有難うございます! --Kh465 2012年2月5日 (日) 08:10 (UTC)[返信]

暫く間が開きましたが、末日聖徒イエス・キリスト教会モルモン書について、ぼちぼち書き直しを開始しようかと思います。現在は出典が非常にプアですので、出典に基づいた記述にします。また中立的な観点に立って、この教派の主張、批判的な見地、第三者の見地をバランスよく記述できればと思います。Kh465さんはこの教派に対する批判を好まないようですが、礼賛ばかりにならず多角的な見地で記述できるよう、ご協力をお願いいたします。Kh465さんは教団側の資料をお持ちかと思いますので、それを出典として記述していただけき、一方私は第三者及び批判的な出典の方が今手元に多いので、そちらメインになります。いわば役割分担です。ひきつづきお話ししながら編集できれば良い記事になると思います。--Sillago 2012年2月13日 (月) 15:23 (UTC)追記: 私の書き込みの直後、Asorgjot863ogcfさんが関連記事を立項されたのを確認しました。タイミングがぴったりなので関係ありげに見えますが、私とは完全に別の方です。--Sillago 2012年2月13日 (月) 17:16 (UTC)[返信]

独自見解(異なる観点の合成)[編集]

について、削除したいと思います。

  • 当時の人物が未だ記述されていない聖句を引用している。
  • イエス・キリストに関する記述が聖書と矛盾している。

一応出典があっても、1次資料の提示を双方行い、これはこうなので食い違ってる、などの分析は所詮独自見解ですので、削除します。--110.3.103.101 2012年8月6日 (月) 17:07 (UTC)[返信]

また個人の研究サイトが出典・リンクにされていますので、これも削除対象とします。 批判項目について今のところ利用可能なのは、スミソニアン博物館の見解だけです。 残りは削除します。 ご理解ください。--110.3.103.101 2012年8月6日 (月) 17:38 (UTC)[返信]