ノート:モチェ文化

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海外の考古学のページを見ていて思うことが多いのですが、社会のボヤっとした全体像はわかるものの、もう少し具体的な遺構や遺物の説明がほしいなあと思います。特に、これから海外の考古学をやってみたいな、と思って調べている人にとっては、現場の具体性が重要になります。写真や図面もほしいですが、これは著作権に引っかかるのでしょうか?

日本の考古学ではそういった面を前面に出すことは当たり前なのですが、海外の考古学ではそうではないのでしょうか?

たとえば、モチェでは、王宮はあるのか、ないのか、王墓はあるのか、ないのか、あったとしたらそれらはどこにあるのか、どのような形態的技術的特長をもっているのか、その構造とにた墓の分布はあるのか、ないのか、墓制はどうなっているのか、建築の技術はどういった特徴があるのか、土器の具体的な製作技術はどういったものがあるのか、どういう成形がなされているのか、などなど「モノ」学としての考古学的側面が、ほとんど感じられず、読んでいても、考古学としての具体像が浮かびません。


なんか、すでに研究者の頭の中でできあがっている古代文明像を読んでいるみたいです。

 これは、アメリカ式考古学と日本式考古学の違いからくるのでしょうか?それとも、扱うのが、日本の古墳などとちがって、はるかに規模が大きく「文明」全体を扱うので、どうしてもぼやけた説明になってしまうのでしょうか。

もうちょっと出てくる遺構や遺物の説明、特に考古学者の解釈がなるべく入らない「事実」を知りたいので、知っている方がおられましたら、今後、よろしくお願いします。


>もうちょっと出てくる遺構や遺物の説明、特に考古学者の解釈がなるべく入らない「事実」を知りたいので、知っている方がおられましたら、今後、よろしくお願いします。
あなたは何様ですか。ティアワナコの記事を書いたのはわたしの友人で博士課程にいた若手研究者の一人ですが、彼は、77年に岩波から刊行された増田義郎先生の訳されたL.G.ルンブレラスの『アンデス文明』を読みつつ、最新の概説書も目を通して既存の赤リンクを尊重して「ティアワナコ」で記事名を立てたのです。あなたは、アンデス文明の記事で形成期の定義は間違う、古期の代表的な遺跡名は挙げられない(紀元前2500年は、古期であって形成期ではない。コトシュの「交差した手の神殿」は古期の遺構)ということは概説書をろくろく読んでいないということじゃないですか(ちなみに私は、ウチュクマチャイ洞窟以外は知っていました)。まず、概説書をよんでそこの参考文献で直接発掘報告書にあたれなかったら論文集の参考文献をさがして発掘報告書にあたるのです。アンデスやメソアメリカをやっている学生さんも同じ手順で発掘報告書をさがして、自分の大学の図書館や研究室になければ他大学、それでもなければ出版社に手紙を書いてクレジットカードで引き落としして購入するなど苦労して資料を集めているのです。しかもわたしはメソアメリカやアンデスに関して指導教官がいない大学だったので非常に苦労しました。それを概説書すら馬鹿にして「知ってる人がおられましたら」なんて…怒り心頭に達しました。アンデス文明の記事ですがアンデスの農耕の起源は世界史的にも重要です。ジャガイモがなければアイルランドは飢饉でどうなっていたかとうがらしがなければキムチはどうなっていたかという意味で世界の食文化に大きな影響を与えました。それほど重要なのに、農耕起源の記述がまったく書かれていない、怒りに震えながら加筆しました。それからノートには署名をしてください。誰の意見かわかりません。siyajkak2005年8月30日(月)16:20(UTC)
>あなたは何様ですか。

 検索で「モチェ」を調べてやってきた者です。いろいろとご指摘ありがとうございます。

ただ、思ったのは、日本考古学のような、浩瀚な報告書を期待していました。概説ならば、岩波で角川でもいいです。ですが、それら概説書ではなく、実際どのような状況で、どのようなものが出土しているのか、についてRAWデータとも言える、もっともそんなものは考古学にはないことはわかってますが、データを知りたかったのです。研究者が築き上げた○×社会「像」ではなく。概説本はすでに研究者の色眼鏡でかなりの部分が変色しているかと思います。 日本の弥生社会や古墳時代にしても、研究者の立場によって描かれる像が異なります。概説書はある程度一般論しか書いてありませんが、それでも立場によって微妙に差があります。それに、日本の場合、膨大な報告書があるからあとで検証もできますよね。書いた人が言っていることが正しいかどうか、報告書によって検証もできます。 ですので、ナニがドノヨウナ状況でドコから出土してるのか、といった考古学の基礎データが詳細に書かれた文献を知りたかったのです。それがないとすれば、もはやそれは考古学ではない。研究者の自己満足です。そんなことに、企業や政府からの助成金が使われているとしたら、金の無駄使いですよね。ましてや政府からのお金は、額は道路つくりに比べたらたいしたことないかもしれませんが、それでも国民の血税ですよ。これだけ年金問題で社会はゆれてるのに。ただ、ネットで検索して調べましたが、日本の調査団はきちんと、毎回、報告書を出していますので、問題はないみたいですね。これについて誤解を与えたとしたら、どうもすみません。それでも、モチェについては、そういったものはないようでした。少なくとも簡単に手に入る形で報告書は市販されてないようでした。 それに報告書がないとすれば、それは遺跡の破壊活動以外の何ものでもないのではないでしょうか。埋蔵文化財の破壊活動以外の何ものでもないような気がします。報告書によって、後世に遺跡がよみがえるのですから。

 日本考古学は、旧石器捏造事件を経験しました。馬場壇Aは報告書も出ています。それでも捏造でした。だから、報告書があればいいというものではないのかもしれません。ですが、こういった調査報告がないとしたら、それ以下です。現に、旧石器捏造事件では、だんだんと報告書が出なくなってきましたし。

知りたいのは研究者が描く「○×社会」像ではなく、実際に、発掘現場に、どういった遺跡があり、どういったつくりなのか、何がどういった形で出土していたのか、です。そのあと、個々の研究者の「○×社会」像の説明があれば、読む人もわかりやすいかと思います。ご紹介されていたティアワナコもみました。こちらは、全部とはとてもいえませんが、かなりの部分でそういう順番になっているようでした。siyajkakさんのお友達は、そのあたりをわかってて、記されていたのではないでしょうか。218.230.208.99 2005年9月2日 (金) 14:12 (UTC)alpaca7[返信]

 追加です。 :>紀元前2500年は、古期であって形成期ではない。

角川から出ている解説書『文明の想像力』を読まれましたか?日本の調査団は、形成期の始まりを、神殿を中心とする社会の始まりととらえて、紀元前2500年前からとしていますよ。 人に概説書を読んでいない、という前に、siyajkakさん自身も概説書を読まれてみてはいかがでしょうか? 個人的には、お話を伺っていて、やっぱり現地で本物を生でみなければいかんなあと思いました2005年8月31日 (水) 09:05 (UTC)218.230.208.99 2005年9月2日 (金) 14:12 (UTC)alpaca7[返信]

>角川から出ている解説書『文明の想像力』を読まれましたか?

東大調査団のあくまでも平成10年時点の意見でしょう。『文明の想像力』に出ているペルーの研究者の編年を見てください。それがスタンダードです。それからチャビン=ホライズンを書きつつ「初期ホライズン」(Early Horizon。『文明の想像力』には「前期ホライズン」とある。こちらがアメリカの研究者の編年用語)がなぜ出てこないのでしょうか。

>やっぱり現地で本物を生でみなければいかんなあと思いました

当然の話です。ただ、正しい知識がなくて現地でモノをみても誤りを犯してしまう。東大調査団の出身でLower Central AmericaをやっているH氏が現地の研究者の研究に誤りが多いと指摘していました。アンデスは「ティアワナコ」の記事を書いた私の友人N氏も言っていましたが日本以外は報告書がまともに出しているところが少ないそうです。 日本にいて報告書をみて現地の研究者が見落としたところを発見できるというメリットもあります。ただ今は昔と違って現地の調査に参加しないと卒論、修論すら書けない状態になっています。

142.176.157.242さんが時間と金があれば是非現地へいって遺物整理をし報告書刊行の手伝いをしてください。私はそんなに歳でもないのに結構「ロウトル」のようになってしまいました。貴方は若い方のようですからこんなところに書き込んで満足しているのではなく是非向学心をもって現地へ行ってください。siyajkak 2005年9月1日 (水) 11:43 (UTC)[返信]

私は、siyajkakさんの友達のN氏の後輩です。Nさんの家に行ったときに、モチェ文化を見て一番最初のコメントを書き込みました。 私が書いたことに関しましてはN氏も納得済みでした。実は、N氏も横で書き込みを見ていました。昨日siyajkakさんから連絡があって、N氏も当惑していました。でも、問題が大きくなってきましてすみません。 私は現地に行っていた経験もあります。そのときは、ペルーの遺跡と先住民の村を3ヶ月ほどみて回りました。思っていたよりペルー北海岸にもプレ・ヒスパニック時代の名残が多くあり驚きました。今後の研究を続ける上で非常に有意義で、私の研究姿勢に大きく影響を与えました。今後もがんばっていきたいと思います。218.230.208.99 2005年9月2日 (金) 14:05 (UTC)alpaca7[返信]

わたしは、事情があって、7年ほど前に小学生からの夢を捨てざるを得ませんでした。また青山・猪俣著『メソアメリカの考古学』は、最近の目をみはらせるような研究の進展ぶりを見せつけるもので、想定していた研究テーマを失ってしまって相当なショックを受けました。いま考えてみれば学部生の頃に学芸員研究室にいらしていたメキシコの研究者についていってしまえばよかったと後悔しています。N氏と電話でも話したのですが、メソアメリカの土器の分類は、アメリカの研究者もO先生のものも問題が多く、遺跡ごとに明らかに共通の土器でなければ異なるTipe;Varietyで分類するので、この産地でどのように製作されてどのような集団が使用したのかわからないものになっています。現地へ行って虚心坦懐に土器を見ないことには判断がつかない状態です。ですからalpaca7さんの「現地へ...」ということは重々承知です。しかし、あえて言わせていただけば私は1冊の本のみで判断はしません。『文明の想像力』を読まれましたか?と聞かれたときには思わず閉口してしまいました。最近は、ひとつの本だけを「紙の教皇」のように信じ込んだり、自分で調べようとしない若者がネット上に増殖しているので、また「紙の教皇」を信じているような中途半端な奴が来たか、と思ってしまいました。そのような気持ちでalpaca7さんに接し失礼いたしました。概説書を詰め込んだような私のような者は、alpaca7さんにとっては、不愉快だったのかもしれませんが、概説書は基本中の基本です。といいつつ学史ってたしかにまとめるのが面倒くさいという気持ちもわかります。それから現在の現地での状況では、ペルーの考古学者もアメリカの考古学者の影響で、従来の編年観とされてきたものが必ずしもスタンダードでなくなりつつあるとN氏からご指摘を受けましたので、今後のスタンダードはむしろアメリカの研究者の編年観になるのかもしれません。N氏もアメリカの研究者のpreceramicという年代区分はよい、と評価していましたし。なお、東大調査団の編年観は、私も尊敬している先生方の出されたお考えなのですが、1997年まで、S先生ご自身もペルー研究者の編年観を踏襲して概説書を書かれているようにいままで定着してきたものなのでどうしても抵抗感があります。むしろ古期の無土器神殿の存在をアンデス文明の独自性と考えたいです。小学校の頃読んだ泉先生の本に洗脳されているのかも知れませんがどうしても三つ子の魂っていうわけで(苦笑)
alpaca7さんは、是非整理作業をやったり調査成果をまとめてアンデス考古学(そもそもこの呼称でいいのか?)に貢献してください。日本人の研究者がいかに優れているか世界に知らしめてください。今後の活躍を期待しています。
先輩のNさんにも突然の電話をして申し訳なかったと思っています。ただお詫びをしたかった次第です。

Siyajkak 2005年9月3日 (土) 01:34 (UTC)[返信]


SiyajkakさんことYさん、どうもいろいろとご迷惑おかけしました。 とりあえずは、僕もあまり遊んでないで、そろそろフィールドへまた出ようかなと思っています。

先土器という名称もいいな、とおもうことはあります。先土器のあとが草創期となっているので、まあいいかなと。実際には形成期と内容は変わらないですが。でも、長いスパンで見たら、個人的には、やはり東大調査団の出した編年がいいかな、と思ったりします。

『アンデスの考古学』で用いられている編年は、本書にも書いてありますが、便宜上みたいです。

最近の調査で、カラル遺跡は紀元前4000年にまでさかのぼるかも知れないといわれているそうです。もしそうなら、土器の出現よりも1000年以上もはやく建築を主体とする文化が栄えていたわけです。カラルへは僕も行きましたが、マジですごい。海岸の遺跡なのに石造りのみ。アドベは使いません。規模にせよ、そのつくりにせよ、ティワナクなど目ではない! もちろん、かなり復元されてはいますが、それでも遺跡の規模が違いすぎます。しかも、建築も紀元前2500年ころのわりには、やたらと精巧です。ということは、実際には、それ以上前にまで起源はさかのぼるということです。さらに現在見れるのは全てではないので、最盛期の広がりはさらに巨大だった可能性もあります。もっとも、すべての地域を一時に同時につかったかどうかは、疑問ですが。

こういった建築を主体とする文化が、その後、紀元前50年ころまでつづくとなると、やはりこの時代の特色=神殿を中心とする時代ということで、ひとくくりにしたほうがいいのかな、と思うのです。つまり、あえて土器の出現によって時期を分ける意味が見えないのですね。世界の他地域では土器の出現が大きく社会構造を変えたりしているようですが、アンデスの場合、そうでもないような。すでに、その前から神殿によって社会がある程度まで規定されていたような気がします。なので、そういった意味でやはり、紀元前2500年ころからを形成期とするほうがいいかと思います。そんな話をよくします。

本当に、カラル遺跡はすごいです。一度、ぜひ足をお運びください。

文献をたくさん読むことももちろん非常に重要ではありますが、所詮は他人の研究成果です。特にアンデスの考古学は理論へ偏りすぎているので、10年もたたないうちに、それらは干からびた話になる危険すらあります。

現代の用語も含めてアンデス関連を時々見てますが、正直、どこかで読んだ文献をもとにしてここで書いている人の文章は、一目でわかります。あまり実感が伝わってこないのです。

考古学も人類学もやはりフィールドサイエンスなので、まずは現地へ足を運ぶことが一番だと思います。

な~んて、偉そうなことを書いてますが、実は、僕自身、周りからそういったことをずっと言われ続けてきました。昔はフィールド苦手でしたしね。

でも、昨年、現地へ滞在してみて、お恥ずかしながら、いまさらながら、やっと実感できるようになりました。

やはり現地で感じたことが一番の宝だなと思い始めています。

                            219.110.38.195 2005年9月6日 (火) 20:32 (UTC)N.N.[返信]