ノート:ミュンヒハウゼンのトリレンマ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

『原論』の「公理」の意味[編集]

2009-03-27 13:32:49の編集({{要出典範囲}}の貼付)に関連して、疑問を提起しておきます。

まず、{{要出典範囲}}を貼付した段落とその前の段落の記述は、現代的な形式主義的論理観・数学観を前提にしているように思えます(ここでの「前提」は非形式的な意味)。たしかに、形式主義的な数学観を前提すれば、「公理」は正当化される必要はありません。

しかし、『原論』自体の立場、あるいは『原論』が書かれた時代において「公理」はそのように受け取られていたのではなく、自明な真理として考えられていたのだと思います。少なくとも、形式主義が登場するまで、近現代のほとんどの数学者・哲学者はそう考えていたはずです(そうでなくては、形式主義のインパクトと、それが引き起こした論争の存在が説明できない)。

したがって、現代的な「公理」の位置づけはミュンヒハウゼンのトリレンマの認識によるものといえるかもしれませんが、『原論』が書かれた時代から「公理」がそのような位置づけであったということはできず、したがって『原論』における「公理」の存在をミュンヒハウゼンのトリレンマの認識に結びつけることはできないだろうと思います。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月27日 (金) 13:42 (UTC)[返信]