ノート:マスケティア・ルージュシリーズ

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ダルタニャン物語に関して[編集]

客観的に考えて『マスケティア・ルージュ』は『ダルタニャン物語』を題材にした物語と考えてよいと思います。根拠として、まず「三銃士」と呼ばれる軍人が登場する点、その他作品の重要な部分にかなりの類似点が見られることです。私の主観だけでないようで、ネット上で検索しても同様の書評をいくつか発見しました。また、三銃士ファンサイト、銃士倶楽部では『マスケティア・ルージュ』の新刊発売のたびにサイト内で宣伝してました。また、出版者の方でも、角川ビーンズの作品紹介で『ローゼンクロイツから遡ること100年――三銃士版グランドロマン、開幕!』ともあります。『三銃士』というのは、『ダルタニャン物語』三部作の第一部、場合によっては作品自体をひっくるめて指す場合があるので、『マスケティア・ルージュ』と『ダルタニャン物語』の関連性は独自研究ではないと考えます。--ゆとりすけ 2009年4月14日 (火) 13:09 (UTC)[返信]

その関連性を指摘している研究者はいますか。上記のサイトはただのファンサイトですので、情報源としては適切とは言えないでしょう。書評についてはそれが評論家の発言であるなら詳しく提示していただきたく思います。
また、その内容が「正しいかどうか」はウィキペディアでは重要ではありません。重要なのは「検証可能かどうか」ということです。WP:VWP:NORを一通り読むことをおすすめします。--春日椿 2009年4月14日 (火) 16:33 (UTC)[返信]
ご主張は理解しました。本来なら脚注でもつけるべきところ、出典なしで『ダルタニャン物語』との関連性を加筆した点には反省いたします。ですが、『マスケティア・ルージュ』と『ダルタニャン物語』関連性について適切な情報源を見つけたので提示します。
明確な根拠として『ローゼンクロイツシリーズ』の最終巻後に出版された短編集、「2人のノワール」のあとがきをごらんください。「次の作品は三銃士をモチーフにしたものを考えている」、という趣旨の記述があります。それほど明確な記述はないものの、『マスケティア・ルージュ』の1巻あとがきには「ダルタニアンが女だったら面白いだろうな」と考えて執筆したともあります。
以上の点を踏まえ、再考をお願いします。1週ほど待って有効な反証がなければ、私の方で出典を追加した上、もとの記述を復活させるつもりです。
なお、意に沿わない編集を「独自研究」と決め付ける貴方の方針には疑問を感じます。性急な編集をせず、「要出典」をつけるなりの前置きが必要と思います。--ゆとりすけ 2009年4月15日 (水) 11:56 (UTC)[返信]
ええと、それは「発表済みの情報の合成」にあたります。この関連性を記述したい場合は、まず何らかの情報源でそれを取り上げてもらってからにして下さい。
意に沿わない編集を決めつけたわけではなく、出典がなかったから除去したまでです。また「出典を記述するのは掲載したい側の責任」です。--春日椿 2009年4月15日 (水) 16:00 (UTC)[返信]
「発表済みの情報の合成」というのは、三段論法的に推論を加えることですよね?どちらソースも、推論を加えるまでもなく三銃士との関連が書かれてます。2つ出したのは、春日椿さんが片方をお持ちでない場合を配慮しただけですので、とりあえずどちらか確認してください。
どうしても「ダルタニャン物語が題材となっている」という記述が気に障るようでしたら、もとの記述に手を加えず「著者によれば、三銃士をモチーフにした作品とのことである」あるいは「著者によれば、ダルニアンが女だったら面白いだろうな、という発想で執筆された」と改めためるか、「角川ビーンズからは、三銃士版グランドロマンと紹介されている」のとしたうえで簡単に「ダルタニャン物語」の説明書きを加える妥協案を提示します。
こうすれば検証は確実に可能ですし、「ダルタニャン物語」を知っている人間が読めば、本作の要素を即座に理解できます。逆に、「マスケティア・ルージュ」の小説1、2巻のあとがきにはさんざん「三銃士」の話題が書かれてますが、漫画しか知らない方に対しては、関連する作品を知る機会を提供できます。
なお、私の意図として、某ネット書評のように、オマージュとの区別もつけずパクリだのと言って中傷するつもりは一切ありません。どちらも好きな作品ですので、同好の先達である春日椿さんとは、協力して本記事の情報を充実させて行きたいと考えてます。--ゆとりすけ 2009年4月16日 (木) 04:26 (UTC)[返信]
ええと、『2人のノワール』のあとがきの情報からは「次の作品の予定は三銃士をモチーフにしたものを考えている」となります。「三銃士」というのは、『ダルタニャン物語』三部作の第一部、場合によっては作品自体をひっくるめて指す「場合がある」ということはこれも一般的なことではありません。『マスケティア・ルージュ』の1巻あとがきには「『ダルタニャン物語』のダルタニアンが~」とあるわけではないのですよね。現時点の情報では、それらからこの作品が「ダルタニャン物語が題材となっている」とするのは独自研究となります。
もちろんこれは三銃士という言葉にリンクを張ることを否定するものではありません。--春日椿 2009年4月16日 (木) 15:32 (UTC)[返信]
1点目「場合がある」ということはこれも一般的なことではありませんに反論を。一般論として、「ご飯を食べる」の「ご飯」は文脈によって狭く「米飯」に限定する場合もあるし、広く「食べ物」を意味する「場合がある」というのと同じ意味で使ってます。同じ風に、一般的に「三銃士」が狭く「ダルタニャン物語」の「第1部三銃士」のみを指す場合もありますし、広く「ダルタニャン物語」を指す場合もあります。
これの検証は学術書含めれば膨大な例を提示できますが、銃士倶楽部をあげておきます。ページ内には、アレクサンドル・デュマの「三銃士」を愛するファンの集まりですとの表現がありますが「ダルタニャン物語」を全体を扱ってます。
2点目ですが、確かにダルタニャン家は多くの軍人を排出した家系ですので、春日椿さんの「『ダルタニャン物語』のダルタニアンが~」とあるわけではないのですよね」という指摘どおり、著者が別人を指している余地はあります。前後にあれだけ三銃士の話題をしていることから、「晩ご飯はマクドナルドだった」を「マクドナルドで米飯を食べた」とするくらいのものだと考えるのですが…。
とりあえず、お互いの合意がとれたところで、私の考えるベストではないですが概要の部分に「なお、本作品は著者によれば、三銃士をモチーフにしたものとのことである」(出典「2人のノワール」)という形で近日中に加筆したいと思います。
遅れましたが、私の誤解を招くような編集のため、春山椿さんに4日も貴重な時間を費やさせてしまいまいました。しかも、初期にルールを読んでなかったため喧嘩ごしで御不快な思いをさせたと思います。申し訳ありません。以後、出典には特に配慮した編集を心がけたりと思います、ありがとうございました。--ゆとりすけ 2009年4月16日 (木) 16:53 (UTC)[返信]
ええと、その二つの例の大きな違いは、それをそうと認識している人の数の違いです。「ご飯」に関しては日本語を母語とする人の間ではおそらく納得できるものでしょう。ですが、後者に関してはその結論を持つにはある程度のその項目に関する知識が必要となります。
出典などが明示されない推論が独自研究とならない唯一の例外は、「分別のある大人なら誰でもわかること」です。
ローゼンクロイツシリーズ』の最終巻「2人のノワール」のあとがきで作者は、次の作品は三銃士をモチーフにしたものを考えている、と語っていた。
記述するならこのようになると思います。--春日椿 2009年4月18日 (土) 11:58 (UTC)[返信]
そのように加筆させて頂きました。ただ、内容的にユーグたちに称号として「三銃士」って言葉を当てている関係上、混乱を避けつつ「文学作品の三銃士」というのを明確にするため、「デュマの三銃士」と一言補っておきました。無限定で「三銃士」といえば普通、アニメや映画でなくデュマの作品を指すのが常識、と判断しましたが、問題ありましたら訂正お願いします。
本当に、どうもありがとうございました。--ゆとりすけ 2009年4月18日 (土) 15:34 (UTC)[返信]

既刊一覧[編集]

一般的な形にしてみました。が、実は原作をよく知らないので詳しい方は追加、訂正をお願いします。--123.230.7.22 2009年11月6日 (金) 18:14 (UTC)[返信]