ノート:フランシスコ (ローマ教皇)/過去ログ25

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その他[編集]

「ウルビ・エト・オルビ」について[編集]

これは、わたしが一度「第一声」に書き換えた件ですが、意図を以って、節の名称として「ウルビ・エト・オルビ」とすることについては、理解し、賛成致します。ただ、「ウルビ・エト・オルビ=選出後第一声」のように読めてしまう文脈となっているのではないかと思い、その点について、妙案がないか、お尋ねしたいところです。教皇フランシスコが復活祭の日にバチカンの聴衆に向けて「アジア、とりわけ朝鮮半島に平和がもたらされんことを。和解の精神が育つよう祈る」と述べたのも、外電の出典を読むと、復活祭のウルビ・エト・オルビの中での言葉だったようですので。--ジャコウネズミ会話2013年4月26日 (金) 05:45 (UTC)

ノートを読まずに先に編集してしまい、すみませんでした。「ウルビ・エト・オルビ」については反対ではないのですが、分かりやすさ優先で、カッコ書きで日本語を添えていただきたいです。ただし、カッコ内の日本語は「第一声」にこだわりはありません。ただし、これも強硬な主張ではなく、諸般の事情から「ウルビ・エト・オルビ」のままにしておいたほうがベストであるということであれば、そのご意見を尊重いたします。--Isamit会話2013年4月26日 (金) 10:20 (UTC)
3月31日、復活祭(イースター)のウルビ・エト・オルビでは、USA TODAYが、"Urbi et Orbi" (to the City and the World) と括弧付きで報じています(語源に即して英訳するなら、to the Urban and its Orbit といったところかと思います)。解説は記事「ウルビ・エト・オルビ」とその充実に委ねるとして、見出しと本文でこの用語の使用と記事の読みやすさの両立が達成できればよいと考えます。わたし自身、多少推敲しましたが、まだしっくりとは来ていません。--ジャコウネズミ会話2013年4月26日 (金) 13:06 (UTC)
お二方のご指摘は、ごもっともです。しかし、節名が長すぎるのはよろしくないので、「ローマと世界に向けて」だけにして、そこに注釈を入れたらどうでしょうか?これは、元々はぎぶそんさんが作られた新節なのですが、いつの間にか替わっていたわけです。「第一声」というのは、間違っているわけではないですが、欧文の新聞や雑誌では、「節目節目の教皇発言」くらいの意味で、よく用いられる表現です。もちろん、カトリック信者が僅少の日本では違和感があると思いますが、違和感と言えば「コンクラーヴェ」にしても違和感はあるのではないでしょうか。単に「教皇選挙」と説明的な訳語で済ませれば、違和感はなくなりますが、同時に瞠目性も消失してしまいます。復元したのは、違和感をむしろ活用できないかと考えたからなのですが、Wikipedia は「カトリック大辞典」ではないので、日本語だけの方が無難かもしれません。「ローマと世界に向けて」だけにして、注釈を入れるたらどうかと考えたのは、如上の次第を考えた結果です。欧文版なら何の問題もなくラテン語のままで可と思いますが、jpwpの特殊事情を考えると確たる判断ができないというのが、正直なところです。Tizizano会話2013年4月26日 (金) 13:07 (UTC)
「コンクラーヴェ」は「根競べ」との語呂もあって一般に広まりましたが、「ウルビ・エト・オルビ」はカタカナにしてしまうと欧文での見事な「韻」が分かりづらいですね。だからどうしよう、ということではないのですが…。--ジャコウネズミ会話2013年4月26日 (金) 15:41 (UTC)
注釈はつけなくて良ければそれに越したことはなく、「教皇選出後に信徒に向かっての第一声『ウルビ・エト・オルビ』(ローマの聴衆と全世界に向けて授ける祝福)にも表れた」「また、ミサの後のウルビ・エト・オルビにおいて、広場を見下ろすバルコニーから」等々、本文記述そのものが注釈の役割を果たし、かつ簡潔明瞭な、ジャコウネズミさんの再編集でベストだと思います。Tizizano会話2013年4月26日 (金) 22:16 (UTC)
私も現在の版(版番47625493差分))で分かりやすくなったと思います。目次をパッと見てスッと頭に入ってきました。蛇足ですが、コンクラーヴェカメルレンゴ使徒座空位の用語は、ダ・ヴィンチ・コードのヒットで随分と一般的な認知度を得たと思います。私は映画は見ていませんが、原作は楽しく読みました。--Isamit会話2013年4月28日 (日) 14:27 (UTC)
諒解です。ありがとうございました。--ジャコウネズミ会話2013年4月28日 (日) 14:53 (UTC)