ノート:フューチュリティステークス (オーストラリア)

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全面改稿に関して[編集]

従前はほぼ出典皆無でしたので、全面的に改稿を行いました。

ただ、いくつかよくわからないことがあり、書かなかったこともあります。いちばんよくわからないのは、1960年代の複数の文献で、「6ハロン、1920年創設」と書いてあることです。1冊だけなら間違いかなとも思うんですが、こうした記述が、複数の、出版社や著者が異なる文献に見られました。英語版などを信じるならば、創設は1898年、距離は一貫して7fのはずで、ちょっとよくわかりません。

また、1970年代から90年代にかけては「オーストラリアの主要競走」や「オーストラリアのG1競走」リストから消えており、これもよくわかりません。--柒月例祭会話2015年3月25日 (水) 16:09 (UTC)[返信]

自分で書いたことですが、いくつか不明瞭なところがあり、ひとまずコメントアウトしました。

  • 「春はメルボルン、秋はシドニーがメイン」 - 出典があります
  • 「オーストラリアは長距離重視」 - 出典があります
  • 「フューチュリティSは必ずしも主要競走とはみなされない」 - 独自研究かも。正確には「『オーストラリアの主要競走』『コーフィールド競馬場の主要競走』にこのレースがあげられていない文献がたくさんある。」
  • 実はわたしは出典を見つけられていないのですが、「G1格付け以来、ずっとG1だったのか」さえもわかりません。90年代の資料の「オーストラリアG1競走一覧」に出ていないこともあります。この表が完全なものかもわからないので、なんともいえません。詳しい事情を調べてもいないのでわかりませんが、IFHAのリストにもない年がしばしばあります。
  • 歴代勝ち馬表についても、英語版と一致しているようですが、おおもとの情報源がわかりません。少なくとも英語版では1972年から出典があり、いちいちチェックしていませんが、たぶん間違いないんでしょう。(作業が面倒くさいので、この歴代勝ち馬表に出典をつける作業を私はやる気はありません。書いた方・残したい方がやればいいと思います。)
  • 『オーストラリア競馬史』という650ページほどの文献があるのですが、これは編年体で書かれているうえ、索引がないので、この本の中からこのレースの記述を探しだすのはしんどいです。頭から全部読んでいくしかない。ザーッっと眺めた感じでは、コーフィールドカップやコーフィールドギニーズに関しては頻繁に話題に出ますが、この競走についてはほとんど記述が見当たらず、私が唯一みつけられたのは4勝しているマニカトの死について述べた部分で、「フューチュリティSも4勝した」とあるだけで、フューチュリティSそのものについて詳述してはいませんでした。古い勝ち馬にはファーラップもいて、ファーラップのことは何ページにもわたって詳述しているのですが、フューチュリティSについては触れられていません。もちろん全部を目を皿のようにして通読したわけではないので、どこかに書いてあるかもしれません。
  • 想像と理想を織り交ぜて言うと、季節外れの裏開催で、しかも短距離の馬齢重量のレースなので重要なレースとはみなされていなかったのではないか、なぜ2歳戦でポピュラーな「フューチュリティ」の名称なのか、たぶんだけど賞金を募っていたのではないか、「1920年創設の6fのフューチュリティS」との関係は?2015年の開催は「italktravel フューチュリティステークス[1]」で間違いないと思うんだけどIFHAで確認できない。「italktravel」の読み方がわからない。きっと「i・トーク・トラベル」じゃないかと思うんだけど、ひょっとすると原住民語由来のなにかかもしれない。ギブアップです。--柒月例祭会話2015年3月26日 (木) 07:57 (UTC)[返信]