ノート:ピナトゥボ山

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英語版の画像[編集]

ほとんどの画像はUSGSかNASAによるPDとなってますが、ソースが書かれてなかったり、書かれててもリンク先に画像がなかったりします。こういう状態でも、Wikipedia日本語版やコモンズにアップロードして使ってもいいのでしょうか?--morita 2005年7月9日 (土) 12:57 (UTC)[返信]

24時間以内という予報が出たのは6月の何日か?[編集]

資料によって7日と8日に分かれています。『ピナトゥボ山と先住民族アエタ』(越田清和訳、明石書店)には、警報レベルが3(2週間以内に噴火)になった24時間後にレベル4(24時間以内に噴火)になったと書いてます。本文では、レベル4になったのも2週間以内の噴火を予報したのも7日になってますが、多分どちらかが間違いです。6日にレベル3になり7日にレベル4になったか、1日のうちにレベルが2回上がったか、どちらかだと思います。--morita 2005年7月9日 (土) 12:57 (UTC)[返信]

『火山に魅せられた男たち』によると、フィリピン政府(=PHIVOLCS)とUSGSと在比米軍とで警報レベルが異なっている時期があったそうです。一旦レベルを上げると簡単には下げられないシステムだけに、立場によってどうしても判断基準が違ってしまったようで。同書はUSGSの視点から描かれているためにはっきりしませんが、PHIVOLCSのレベルが公式なものだとすると3になったのは5日深夜(避難などの行動が始まったのは6日になってからだったのかもしれません)、4になったのは7日夕方だとされています。West 2010年12月26日 (日) 12:38 (UTC)[返信]

ケソン市のAmorantoスタジアムに避難した人数[編集]

本文と[1]には3万人と書いてるが、[2]には「当初は3,000名以上」とある。どんどん増えて10倍になったのだと思うが、もしかしたら桁を間違っているのかもしれない。--morita 2005年7月9日 (土) 12:57 (UTC)[返信]

夕焼け空への影響[編集]

噴火した後、4~5年ほどでしょうか、夕焼け空がそれまで見た事ないほどに 鮮やかなワインレッドカラーになって見とれる事が何度もありました。 高層大気の微小塵埃が増えたせいだとニュースでみた憶えがありますが、 何方か、解説して記事追加して下さる事を希望します。以上の署名の無いコメントは、202.220.104.16会話/Whois)さんが 2010年10月22日 (金) 07:46 (UTC) に投稿したものです。[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

ピナトゥボ山」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月17日 (日) 13:51 (UTC)[返信]

1991年の噴火の分割提案[編集]

「1991年の噴火」の節を、「1991年のピナトゥボ山噴火」に分割する提案をします。この噴火は世界的にも規模が大きく、世界中に影響を与えた噴火です。被害もかなり大きく、単独記事にする価値はあると思います。--タボラ会話2021年4月8日 (木) 10:13 (UTC)[返信]

提案者は無期限ブロックとなりました。ただし、私としては、主題の特筆性、分割後の記事の状態を考えると、1991年の噴火のこと以外のこともかなり書かれていることから、分割しても良いのではないかとは思います。無理に賛成票は投じませんが、分割に強く反対したりはしません。--鞠夫会話2021年4月8日 (木) 18:12 (UTC)[返信]

提案無効 終了 利用者:タボラ会話 / 投稿記録LTA:HEATHROWとしてブロックされています。なお、「提案の引継ぎ」を主張するアカウントが出てくるかもしれませんが、それも同一のLTAと推測できるでしょう。(参照 ノート:十勝沖地震#分割提案(2回目))--113.197.241.187 2021年4月9日 (金) 11:57 (UTC)[返信]