ノート:ヒルデガルト・フォン・ビンゲン

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使徒の資格について[編集]

1147年の項ですが、「この時同席していた聖ベルナールの取り成しもあって、教皇より使徒の資格が彼女に与えられ、これによって彼女の名が広く知られるようになる。」の「使徒の資格が与えられる」というのはどういう意味なのでしょうか?何か参考資料にそう書いてあるのでしょうか。Gakuinryou 2005年7月22日 (金) 10:23 (UTC)[返信]


  1. 『ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 女性的なるものの神学』バーバラ・ニューマン/著,(村本訳)(新水社,1999) の P.30 。
  2. wikipedia 使徒 : >> 広義の「使徒」では、ある地域に初めてキリスト教を伝えた人物や特定地域の宣教に大きな働きを示した人物に「使徒」の称号を冠することも一般的である。
当時の状況下では、幻視体験を表明するということは一種の綱渡りだったんではないかと思っています。40歳頃まで隠し続けてきたという所にも彼女の本能的な慎重な対処が現れているようです。マインツの大司教が懐疑的だったかどうか分りませんが、周囲は模様眺めであった可能性は大きいと思うのです。特に教皇エウゲニウス3世はカタリ派などの"異端者"に対して厳しかった事で知られていますから、異端という烙印に対する恐れや懸念は大きかったでしょう。そしてまた、単に教皇から賞賛されたというだけでは、教皇が変われば見解も変わって逆になる可能性もある。彼女はベルナールに対して政治的なお墨付きを得る為の働きかけを請願したのだろうと、その結果が使徒という看板であった。という理解です。このお墨付きは強力でしょうね。模様眺めをしていた人達も安心して彼女の元に来られる。「使徒」なんてなかなか得られないでしょうからその知名度は近隣どころかドイツ中に知れ渡ったでしょう。単に「ラインのシビラ」だけでは物珍しさはあっても、バルバロッサに謁見してバックアップを頼んだり、由緒あるケルンで説教するなんて出来ないでしょう。おまけに後年その皇帝まで堂々と非難するわけですから、その強気のバックボーンはやはり「使徒」というお墨付きであったんではないか。また、既存のグレゴリオ聖歌に置き換わる様な、それも教会旋法に則らないような典礼曲を作って修道女達に歌わせる事も、単なる院長の資格で出来るとは思えないのですが。そういうふうに受け取っています。
こんなところです。
ただし、御指摘の点は非常に気になっている所でもあります。カソリック・エンサイクロペディアのHPでも、他の有名HPでも、「使徒の資格を与えた」とはっきり書かれている所がありません。
では、これは間違っているのでしょうか?
残念ながらバーバラ・ニューマンがまさにこの箇所で注書きをしている、書簡集『Epistola』及び『Patrologiae cursus completus: series latina』を確かめる術が無いので裏付けが取れていないのは確かです。
--Rp21 2005年7月23日 (土) 01:08 (UTC)[返信]

Rp21さん、お返事ありがとうございます。参考資料の『ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 女性的なるものの神学』を取り寄せて読んでみました。確かに30ページに教皇が「彼女に使徒の資格を与えて執筆を続けさせた」と書いてありますね。
私の個人的な推測ですが、おそらく訳者が原文にあった「apostolic ~」というのを「使徒の資格」と訳してしまったのではないかと思います。この部分の訳は正確には「使徒の資格」ではなく「使徒座の承認」ではなかったかと。「apostolic」には「使徒の」という意味と共に「使徒座の」という意味もあります。使徒座の承認というのは「教皇庁の承認」、それこそ「お墨付き」という意味です。英語の原文を見ていないので断言はできませんが、おそらくそのような事情かと推測しています。
キリスト教(カトリック教会)の歴史の中で「使徒」というのは資格ではなく、「使徒の資格」を与えるという話は聞いたことがありません。たとえばフランシスコ・ザビエルが「東洋の使徒」と呼ばれるのは、教皇や誰かに与えられた資格ではなく、後世の人々につけられた敬称のようなものです。もしよろしければ他のキリスト教史にくわしい方にもご確認ください。これは執筆された方の問題ではなく、参考資料を訳された方の問題かと思います。
上記のことは原文を見ないと判断できないため「参考までに」ということでノートに記しておくにとどめますが、この記事は読み応えのある記事ですので、今後の発展に期待しています。Gakuinryou 2005年7月28日 (木) 09:29 (UTC)[返信]

この「使徒」に関しては、今に於いても残念ながらあまり良く認識できておりません。自分としても認識不足の物を、また上記の邦訳以外に他にそういう説明を行っている文書を知らない以上、掲げておくわけにはいかないので、これに関しては内容を単なる「執筆の奨励」に書き換えようと思います。
その他、認識を改めなければならないのはバルバロッサとのつながりです。当初インゲルハイム宮廷の場所がビンゲンから離れた遠方と思っていたので、謁見するにはかなりの政治的な知名度がなければおかしいと思ったのですが、実はインゲルハイムはビンゲンとマインツの丁度中間にあるライン河畔の地、つまりヒルデガルトの生活圏内に位置していた事が分かったため、それ程知名度がなくても謁見は可能であったと思われます。

--Rp21 2006年2月27日 (月) 16:14 (UTC)[返信]

「生ける光(umbra viventis lucis)」という言葉について[編集]

umbra(羅) =「影」ですから、「生ける光の影」というのが正しいと思いますが。 確かにヒルデガルトは幻視体験を述べるときにこのような言い方をしています。しかし、これは一般的な言葉でしょうか?この言葉の意味する所はすなわち「神からの啓示」ということではないでしょうか。 辞書である以上、だれでもが理解できる言葉に置き換えるべきと思うのです。単なる「生ける光」では何の事かわからないと思うのです。というか捉え方によっては神という概念が薄れてしまう。キリスト教辞書という特殊な辞書のなかで語られるならともかく、一般辞書の文章では読者にそういう文脈を念頭に解釈しなさいといわなければならなくなります。むしろ補足説明という形で「神からの啓示」(彼女はこれを「生ける光の影」からの啓示と述べている)というふうにもっていったらいかがでしょうか。 --Rp21 2006年2月27日 (月) 16:48 (UTC)[返信]

当時のヒルデガルトのキリスト教派が不明でかつ婉曲表現である「生ける光」がさすものが何(父なる神、キリスト、聖霊、天使、聖母マリア?)かはヒルデガルト本人を含め解釈が正確には不明であるので、正確性からは現在の記述がよいと思いました。もしご存知であれば修正してください。Izayohi 2006年2月27日 (月) 22:40 (UTC)[返信]
彼女のキリスト教派は不明ではありません。とんでもない。ベネディクト会派であることはまず第1に彼女の生活の根幹をなすべき事で、これを抜きにして彼女の著作や行動を推し量る事はできない。それは大いなる貴方の認識不足と言わざるをえません。さらにヒルデガルド本人の解釈は、このベネディクト会の規範によって自ら理論武装している。その結果の一つが一連の著作物なのです。あなたが何も分かっていない事が分かりましたので、修正させていただきます。--Rp21 2006年2月28日 (火) 03:31 (UTC)[返信]
私が不明としたのはこの記事にヒルデガルトがベネディクト会派であることが明確に描かれていないという意味です。ますますの加筆よろしくお願いします。Izayohi 2006年2月28日 (火) 10:24 (UTC)[返信]
ちょっときつい言い方になってすいませんでした。こちらもできるだけ吟味しながら作文しているので、簡単に消されてしまうというのは間違っている場合を除いてあまり気持ちの良いものではないのです。ウィキのガイドラインにも書かれているように、元の文章に加筆するような形をとっていただければと思いますし、また自分もそうしてきましたので。それはこれに手を入れてきた方達を尊重する意味合いでもありますから。そして白状いたしますが、オカルト趣味に陥るのを出来るだけ避けたいという拒絶反応もありました。それはともかく、今後も遠慮なさらず修正加筆できるところはよろしくお願いします。--Rp21 2006年3月1日 (水) 19:14 (UTC)[返信]