ノート:バダウレト・ハン国

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この項目についての疑義[編集]

「バダウレト・ハン国」という国は、実在した国家なんでしょうか? googleで「バダウレト・ハン国」と検索をかけてもWikipedia以外のサイトはヒットせず([1])、「バダウレト・ハン国」に該当する"Badaulet Khanate"、"Badaulet Kingdam"でもこの語の使用例は確認できません。([2][3]

  • 『アジア歴史事典』(平凡社, 1959年-1962年)
  • 長沢和俊『シルクロードハンドブック』(雄山閣, 1982年6月)
  • 『中央アジア史』(世界各国史, 山川出版社, 1987年1月)
  • 『中央アジア史』(竺沙雅章監修、間野英二責任編集, アジアの歴史と文化8, 同朋舎, 1999年4月)
  • 『中央ユーラシア史』(小松久男編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2000年10月)
  • 『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社, 2005年4月)
  • V.V.バルトリド『トルキスタン文化史』2巻(小松久男監訳, 東洋文庫, 平凡社, 2011年3月)
  • 『中国のムスリムを知るための60章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2012年8月)
  • 中西竜也『中華と対話するイスラーム』(京都大学学術出版会, 2013年3月)

上記の書籍を調べましたが「バダウレト・ハン国」という名称とそれに相当する国家の記述は確認できません。また、ヤクブ・ベクが樹立した政権の名称については

  • 『シルクロードハンドブック』 - カシュガル・ハン国
  • 『中央アジア史』(世界各国史, 山川出版社, 1987年1月) - ヤクーブ・ベク王国
  • 『中央ユーラシアを知る事典』 - ヤークーブ・ベク政権
  • 『中央ユーラシア史』 - ヤークーブ・ベクのカシュガル国家

という名称が確認できたほか、『中央ユーラシアを知る事典』の「ヤークーブ・ベク」の項目では「一般にヤークーブ・ベク政権と呼ばれる」と記されています。--オオミズナギドリ会話2016年9月6日 (火) 15:26 (UTC)[返信]

もう少し調べてみました。

  • 中国語版のヤクブ・ベクzh:阿古柏)の項目で触れられている「洪福汗国」「毕杜勒特汗国(畢杜勒特汗国)」という国について検索をかけたが、信頼できる情報源での言及は確認できない([4][5][6])。
  • この項目でバダウレト・ハン国の前身であると書かれているイェット・シェヘル・ハン国の中国語版の項目(zh:哲德沙尔汗国[7])には、この国についての記述が存在しない。
  • ヤークーブ・ベクが樹立した政権に対しては、「七城政権」という呼称も使われている([8]

--オオミズナギドリ会話2016年9月8日 (木) 22:31 (UTC)下線部の追記[返信]

以下の書籍も参照しましたが、バダウレト・ハン国についての記述は確認できません。

  • 今谷明『中国の火薬庫』(集英社, 2000年) - ヤクブ・ベク王国、ヤクブ・ベク政権、ヤクブ・ベク汗国
  • 王力雄『私の西域、君の東トルキスタン』(馬場裕之訳, 劉燕子監修, 集広舎, 2011年)

私が参照した上記の書籍すべてでヤクブ・ベクが「国名を変更した」という旨の記述が確認できなかったため、検証可能性を満たさない情報のみで構成された項目と判断して削除依頼を提出します。--オオミズナギドリ会話2016年9月11日 (日) 07:47 (UTC)[返信]