ノート:ノガイ

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ノガイについて、ジョチ・ウルス関係の他の項目でもよくジョチ・ウルスの君主であるハンの実権をも上回る専横的な人物のように書かれていることがいささか気になります。本項目でも「ジョチ・ウルスの王位を左右し、ハンを上回る実権を握った」と書かれていますが、『集史』やドーソンの『モンゴル帝国史』など(赤坂恒明先生が論文等で紹介されているものも含む)を読む限り、この主旨には疑問を感じます。ノガイはトデ・モンケ・ハン即位のあたりから、ジョチ・ウルス右翼諸軍の統括者としてあらわれ、バトゥ、ベルケ時代から活躍した王家の重鎮、長老格で、左翼諸軍の統括者であったオルダ家の当主コニチと比肩するほどのジョチ家で最有力の王族だったことは間違いないようですが、果たして「ハン位の改廃を自由に」していたかというと、これらの資料からはそのようなニュアンスは読み取れません。むしろ、有力王族ではあっても基本的にハンに対しては臣従的立場をわきまえ、その立場からバトゥ家王族のハン位の推戴や王家内部の紛争では諸方面のへの働きかけを行って立ち回っている様子が伺えます。ノガイはコニチやモンケ・テムル・ハンの義母ケルミシュ・アガ・ハトゥンなど他の王族のハトゥンたちの存在も配慮して行動していることも重要でしょう。もし、それほど強大な権力を持って事実「ハン位の改廃を自由に」していたり専横的な人物であったならば、カイドゥやバラクのようにノガイの行動についても『集史』などで批難がされているはずです。しかし、そういう風には書かれていないので、もう少し資料に則して関連項目を書き改める必要があるように思います。とりあえず以前からの自分の疑問を書いてみたのですが、いかがでしょうか?Haydar 2006年10月21日 (土) 02:05 (UTC)[返信]