ノート:ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ

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吉村の回想[編集]

Blueroses5327さんの編集(というか書き直し)をいじらせてもらいました(私は手持ちの資料が少ないです・二人三脚のつもりです)が、

中心人物の吉村益信の1970年代の回想によると「芸術のために非芸術をとるか、非芸術のために芸術をとるか」ならば「ネオ・ダダは後者」で「前者は絶望的なネガ」であり、実際その道を歩んだ。

の部分が解釈できなかったので一時的にカットさせていただきました。吉村は万博でテクノロジー・アートに転向し、「非芸術のために芸術をとった」ように見えますが、ネオダダ活動は「芸術のために非芸術をとった」ように思えますし。修正をお願いします。--Otkoyg 2007年2月26日 (月) 11:49 (UTC)[返信]

見事に書き間違いです。「前者は~」じゃなくて「先は~」でした。少し補足すると、こんな感じです。

(ネオダダの)中心人物の吉村益信の1970年代の回想によると(ネオダダの活動は)「芸術のために非芸術をとるか、非芸術のために芸術をとるか」ならば「ネオ・ダダは後者」で「先は絶望的なネガ」であり、(ネオダダは)実際その道を歩んだ(歩み、消滅した)。

180度意味が変わる間違いって恐ろしいですね(笑)Blueroses5327 2007年2月26日 (月) 13:49 (UTC)[返信]